私の長男が生まれるとき。私は、私の所属する管轄をまたいだ一大事件の捜査に追われ、家に帰ることもままならなかった。
胸ポケットの携帯に、私のかわりに病院にいる母親から妻が分娩室に入ったとの連絡を受けても、どうしようもなかった。妻の
幸子は初産でつわりも重く、心細かったろう。出産自体にもずいぶん時間がかかったようだ。
車での逃走劇の末にようやく犯人を確保したあと。
疲れきってふと、携帯をみると、留守電に無事こどもが生まれたとのメッセージが入っていた。
うまれた。
そうか。うまれたのか。
無事生まれてくれたのか。
カクンッと肩の力がぬけた。
周囲が事件解決のよろこびに沸くなかで、私ひとりだけがまるでフワフワと別世界にいるようだった。腑抜けた安堵に溜息が
勝手に転がりおちる。視界が滲んだ。
目まぐるしかった一日。終わってみればこんなにも穏やかに。
良かった。良かった。ほんとうによかった。
ドアをあけ車両の外に出て新鮮な空気を腹いっぱいすいこむ。頬をなでる冷たい夜風。
身を切るような冬の寒さがここちよい。
見上げれば、どこまでも昏い空に黄色のひかりが煌々と。輝く月。手を伸ばしてみるが、けして届くことのない遠い星。
闇夜をあかるく照らす冴え冴えとした、しかしどこかあたたかなやさしい暖色。
いまの私たち、地上で右往左往し一喜一憂し精一杯生きている、人間たちとこの夜の世界を見守り包んでくれている。
「月」
「え?なんですか夜神さん」
つぶやきにそばを通りかかった同僚が反応した。
「こどもの名前です。ライトにしようと思いまして」
「へえ珍しい名前ですねえ…
ああ!そういえば奥さんもうすぐ出産じゃありませんでしたっけ?!早く帰ってあげた方がいいですよ!」
いまさらな慌てたみたいな声に苦笑した。
もういちど空をふり仰ぐ。
この寒く澄んだ冬の夜に、おまえは生まれおちた。
うつくしい月。私たちの希望。私たちの愛する息子。ライト。おまえは私の誇り。

ライトはよく出来た息子だった。親馬鹿でも贔屓目でもないだろう。
容姿、頭脳ともに冗談で鳶が鷹を産んだといって、冗談にならないようなこどもだった。
完璧な子だった。
妹の面倒もよくみて、家族を大切にし、努力を欠かさず、秩序や平和を愛するまっすぐな息子だった。もしライトが、思春期の
男子らしく反抗したり悪さをしたりすれば、そのとき私はライトと目をあわせライトにむけて、私の言葉で語りかけていたかもし
れない。
けれどライトはそんな機会をいちどとして与えてくれなかった。ライトには私の言葉は必要ないようにおもわれた。
だから私は言葉ではなく背中で、私が、私の成すべきことを全力でやりとげる姿勢で、息子に伝えようとおもった。
なにがたいせつなものなのか。たいせつなものを守るとはどういうことなのか。
言葉にはしなかったけれど、私のたいせつな家族。たいせつな息子。ライト。
きっと伝わっていた。
キラ事件が起こって、竜崎がライトをキラだと疑う。ライトは自分はキラでないと言う。私も、息子はキラなどではないと言う。
私はライトを信じている。あたりまえだ息子がキラであるはずがない。
そう思う私の言葉はライトにちゃんと届いている。しかし竜崎は些細な可能性や物的証拠をつみかさね、ライトをキラだと疑い
つづけるので、ライトはキラ容疑者でありつづける。
私がライトをキラではないと信じていても、ライトはキラ容疑者なのだ。
そして容疑者である以上ほんの数パーセントでも、キラの可能性があるのだ。
ライトはキラではない。
ライトはキラではない。
けれど、もし。
私は苦しみ、捜査をつづけながらその可能性を想像し、怖ろしい結末までも妄想し、
それから次第にひとつの言葉に辿りついた。

「父さん!頼む死なないでくれ父さん!」
「ライト」
朧にうかぶライトの顔。とりみだし涙目の必死な形相。この子のこんな表情を私は一体いつ見ただろうか。
いつでも毅然と、冷静に、理論整然としていたライト。私の自慢の息子。
「私はまだ死神の目をもっている。ライト、おまえはキラじゃない…本当に良かった…」
「!」
良かった。良かった。ほんとうによかった。
ああライト。私は最初からライトがキラであるはずがないと信じていたんだ。
「余計な事はしゃべるな」
ボンヤリする。いつかのようにフワフワと別世界にいるようだ。意識が遠くなる。耳が聞こえない。ライトの顔ももう見えない。
そうだ。もう伝えられる言葉は少ない。私がライトに伝えたい言葉。伝えなければならない言葉。
それは。
「後の事は頼む…」
「父さん!父さん!死ぬなバカヤローッ!」
ライト。おまえは大丈夫だ。良く出来た息子。自慢の息子。
おまえなら私の言葉なんかなくても、立派に生きていけるだろう。
おまえは私の誇り。
ライト。

ライト。おまえはキラじゃない。
だから辿りついたこの言葉を伝える必要も、ない。

───ライト。おまえがキラであったとしても、おまえは私のかけがえのない息子だ。

私は安らかな眠りにつく。


朧におぼえているあなたの笑顔。
狭くて苦しい道をとおりぬけ眩しい世界へと飛びだした僕を、
涙目のなさけない顔で見つめて、壊れものにふれるみたいにそっと、抱きしめてくれた。
生まれてきてくれてありがとうと囁いた。
あなたは僕の父親。

小学校の運動会のとき。
仕事で家にも帰れなかったあなたが、とつぜん父兄リレーにあらわれた。
ネクタイでスーツで革靴のまま全力疾走していちばんでバトンをつなぐ。
粧裕と母と、手をたたいて大喜びした。
あなたは僕のスーパーマン。

中学の同級生と。
些細なことで殴りあいのケンカをした僕を厳しく叱ったあと、
ほんとうの強さはけして相手を傷つけるものじゃないんだぞライト。
おまえは強い人間になれといって、頭を撫でてくれた。
あなたは僕の尊敬するひと。

高校の進路指導で。
警察官になりたいと希望した僕の顔をみて、目映そうに目をほそめて、
どんなに辛くてもぜったいに諦めるんじゃない。
おまえは必ず父さんよりも立派な刑事になるだろう。そう嬉しそうにつぶやいた。
あなたは僕の目標。

デスノートをひろってキラになった瞬間、ピタリと重なっていたあなたと僕の路は
ふたつに隔たり分かれてしまったけれど、
辿りつく先にある理想はひとつだと信じていた。
新しい世界で僕がほんとうに見たかったものは
もういちどあなたの笑顔。

父さん。父さん。おとうさん。
僕は最期まであなたの良き息子であれただろうか。
僕があなたを誇りとおもうように、
僕はあなたの誇りであれただろうか。
勉強も、テニスも、キラも、殺意も、嘘も、涙さえも

───父さん。あなたのために。