雲ひとつなく、澄んだ高い青空のひろがるハレの日。
ついに陽の国では、太陽の王の戴冠式と、婚礼の儀が執り行われるそのときを迎えた。

国中が大騒ぎである。道という道に祝福のメッセージと花が飾られ、朝から祝い酒が大盤振る舞いされ、女房たちが
腕をふるった料理を肴に至るところで乾杯がおこり、陽気に笑い、手に手をとって踊り、歌い、人々はめでたい祭りを
満喫する。

王宮でも忙しなく従者たちが駆けまわっていた。スケジュールは主に、午前中から昼すぎにかけて行われる戴冠式と
婚礼の儀、そのあとで諸国からの表敬訪問客もまじえた披露の会。

午後からは新国王と后の、国民への挨拶と祝いの宴がはじまり、祝賀さわぎは少なくとも明日いっぱいまで続くことが
予想される。

「ご準備が整いました」
女官に招かれ、正装した竜崎が部屋に足を踏みいれた。
明るい日ざしをいっぱいに受けて、仮縫いから完璧に仕上がった純白のドレスに身を包んだ月が、俯いていた視線をあげると、
フワリと面映そうに微笑んだ。
「───とても美しいです」
「ありがとう」
精緻なレースのうえに幾重にも大粒のパールがあしらわれ、短いながら軽く結われた髪にはちいさなティアラを飾り、
そこからヴェールが、天使の翼みたいに広がり優しく月を覆っている。

この世界でいちばん美しい宝石。
誰よりもなによりも、大切なひと。
眼を見開いて凝視したまま、竜崎は月に近づいた。せっかくの支度が崩れると女官たちに怒られるので、抱き締める訳に
いかなかったが。

かわりに想いが伝わるようにとひたすら見つめ続けていると、クスッと月が笑った。
「これ」
レースの手袋を外す。左薬指にはあの夜、竜崎から贈られたエンゲージリング。
「とらなきゃダメかな。オマエからのマリッジは、無いんだろ?」
「婚礼の儀では正式な指輪を使いますから。でもどうせ形だけの指輪ですし、そのリングは填めていても大丈夫ですよ」
「ん」
手袋をなおすと、ポツンと呟いた。
「父さんたちにも…見せたかったな」
この晴れ姿を。遠く、夜の国にいる月の家族、月を育み、愛し、守り、慈しんでくれたあのひとたちにも。
いまごろ月のしあわせを祈り、月の笑顔を願ってくれているであろうひとたちにも。
「いつか夜の国に帰ったときには、もういちど式を挙げましょう」
「うん」
「竜崎さま月さま。お時間でございます」
告げられて掌に掌を重ねると、ふたりは揃って部屋を出た。
儀式は、王宮内のもっとも奥にある祭壇で行われる。陽の国は宗教をもたない。国交が盛んで多くの民族がいりまじる
大国は、宗教よりも人と人とのつながりを重んじる習わしだった。

たくさんの花で彩られた荘厳な空間。燦々と眩しいひかりのなか。
集まった親しい人々と、過去からいまに繋がり、未来へと絶えぬ血で結ばれた祖先の御霊のまえで、宣誓を。
太陽の王となった竜崎と向きあい、永久の愛を誓い、猫背の男がめずらしくも必死な様子で背筋をのばし、ヴェールを捲くる
のに吹きだしそうになるのを堪えながら身をかがめた月は。

壊れものに触れるみたいに愛おしく、頬を包みこむ男のぬくもりに、ヘイゼルの瞳を閉じると、
そっと。約束の口づけを受けとめた。


挙式を終えて宮殿にもどれば、今度はすぐに披露会席の準備である。せわしない事この上ない。
「国王さまはまだご挨拶がおありです。お后さまは、こちらのお部屋でお休みになられていて下さい」
予定どおりのスケジュールを伝え、月につきそい別室に移動する女官の見慣れない顔に、竜崎はフと違和感をかんじた。
今日はあまりに忙しいから、人手が足りずに外部の者も雇っているのだろう。
脳裏を掠めた疑問をそんな風にやりすごす。竜崎もまだ、王宮に仕えている人間の顔を完全に把握しきっている訳でも
なかった。

賓客へのご機嫌とりに伺うため踵をかえす。
不意に腕をつかまれた。
驚いて目をやれば、さきほどから姿の見えなかった兄の流河がそこにいる。険しい表情をして、口早に竜崎に告げた。
「女だ」
「…なにがですか」
「暗殺者は、女ふたりだ。だから私の部下も気をぬいて殺られた。すでにこの王宮に入りこんでいると連絡が」
最後まで聞かずに。
竜崎は走りだした。周囲の人間たちが驚いて飛び退る。
「衛兵を呼べ!」
叫んだ兄があとにつづく。
なぜ。なぜ見過ごしたのだ。不審に思いながらなぜ確かめなかった。
Lの直感は危険を察知していたのに、戦いから離れ満たされた日々に、そこまで判断が鈍っていたとは。
舌打ちしながら疾風のごとく回廊を駆け、目指す扉をまえに叫びだしそうになった。
早く!はやく!
間に合ってくれ!
「月くん!」
蹴破って部屋になだれこむ。
飛びこんできた光景。
スローモーションで振りかえる月と、かたわらにナイフを翳した女。
鋭く光る、殺意と刃。
瞬間、竜崎は長剣を抜きさっていた。矢のように宙を切り裂いたそれは凶行の寸前、女の胸に突き刺さる。
ドウッ!と鈍い音をたてて女官の姿をした暗殺者は、床に崩れおちた。
───まにあった………
「竜崎!」
物陰に潜んでいたもうひとつの黒い影か躍りでる。
暗殺者は、女が、ふたり。
肉体は反応したが、剣が無かった。しまった、と思った。
大切なひとの命も。自分自身の命も。この国も。すべて守れ。それがおまえの使命。
いつかのセリフがフラッシュバックする。
私、は。


風に流れたヘイゼルの髪。
キイン!と刃物と刃物のぶつかりあう硬質な音。
ヒラリ、しろい一羽の鳥が、視界にうつくしく舞った。


「取り押さえろ!」
兄の怒号がその場の決着をつける。
あっという間に駆けつけた衛兵たちの手で、もうひとりの暗殺者の女は捻りあげられアッサリ凶器を手放した。
「竜崎!大丈夫か?!」
………それは私のセリフです月くん…。
走りよってきた月を、ドレスにかまわず力一杯抱き締める。腕の中のしなやかな肢体に、ドッと安堵に襲われ、
遅まきながらの冷汗が背筋に滲むおもいだった。

「良かったです…無事で…」
「それは僕が言いたい。剣を投げるなんて無謀なことするな。竜崎自身が危なかったんだぞ」
「しかし月くんの身が」
「危険なのは后の僕より太陽の王である竜崎の方だろう!
僕はフェイクで、最初からオマエが狙われていたんだ!そのくらいのこと分かれよ!
オマエ、仮にもLを務めていた男だろうが!」

いきなり厳しく叱りつけられて、ギョロギョロ眼球を泳がせらしくもなく困り果てる。
いつになく動揺から立ち直れないらしい男に、月はフウッとため息とともに表情を和らげると、イタズラっぽく笑った。
「ホラ」
突如。
ほっそりとした月の素足が目の前に晒されて仰天した。
優雅な花びらみたいに広がるドレスとパニエに、ひそかに仕掛けられていた切れこみ。そこから現れたましろい太腿には
白いレースのガータベルト。

「ここに短剣を隠し持っていたんだよ。なにかあったらすぐに取りだせるよう、わざわざドレスも誂えてもらった。
僕の得意技だろ?」

「…それでさきほどの賊を返り討ちにしたという事ですか」
よくよく見れば、月の右手には透かし彫りも瀟洒な短剣がひとふり、握られている。
竜崎は肩を落とした。
「………さすがです…月くん」
「僕はオマエに守られているばかりの存在じゃないって、前にも言っただろうが」
たしかに。
あれはまだ陽の国への航海の途中。寄港の際に立ちよった街で、人身売買組織に目をつけられ浚われた月は、竜崎の助けを
待つまでもなく自分自身でならず者たちを処分してみせた。

「竜崎が僕のために危ない目に遭うのは、もう嫌だからな」
わずかに低く本音を吐露した声音に、瞳を瞠る。
竜崎が月を喪いかけたように、月もいちど、自分のせいで竜崎を喪いかけた経験がある。
喪失の恐怖は悪夢に蘇るほどで、もう二度と、あんな想いをするのは嫌だと。それくらいなら自分の身は自分で守ると。
守りたい。そう願うのはお互いに、けれど相手を守るために自らに何かがあれば、結局は相手を傷つけてしまうのだから。
だから。
───大切なひとの命も。自分自身の命も。この国も。すべて守る。それが、喪えないものを手にした人間の、使命。
「すみませんでした」
「謝らなくてもいい。竜崎のきもちはすごく、嬉しい。
オマエが僕を守ってくれるなら、僕がオマエを守ってやるさ」
勝気に、鮮麗に微笑む月に一瞬みとれて、
竜崎も口角をあげると再度その身体を抱きよせた。
「キスしていいですか」
「ん…いいよ」
「───こらこらおまえたち。いくら新婚ホヤホヤとはいえもう少し、周囲のことも考えなさい」
微妙にひきつった兄がウンザリしつつ止めに入らなければ、暗殺者を捕らえた衛兵たちも、騒ぎを収めにきた家臣たちも、
この後の披露会準備に追われる従者たちも、
全員がどうしたらいいか立場と目のやり場に困るくらい、ふたりの口づけは永くながく、続いたことだろう。
結果として太陽の王暗殺事件は未遂に終わった。たいした混乱にも騒動にもいたらず、東方諸国の思惑はみごと空振りして、
陽の国の祝いの宴は盛況に円満に、幕をとじた。



今夜も、見わたすかぎりの星空とポカリと浮かぶ月明かりが、風に揺れる草花を淡く照らしている。
「月くん」
カウチのうえで名前を呼ばれ、そちらを向くまえに伸びてきた男の腕に拘束された。
話そうとした言葉は唇をふさがれ、吐息と共に絡みとられて、声にならない。
「…っ…ん」
トントンと背中を拳でたたかれる感覚に、竜崎は月の甘い舌を解放する。
嫌だったのだろうかと首をかしげ顔をのぞきこむと、白磁の美貌がうっすら朱に染まっている。

「月くん?」
なにをいまさら。
と、竜崎が余計なセリフを喋るよりはやく、月が口をひらいた。
「あのな。話しておきたいことがあるんだ」
「なんでしょう」
「ずっと僕、調子が悪かっただろう?眩暈がしたり吐き気がしたり。
その…陽の国にたどり着く前後のいきさつは別にして、本当に身体の具合が」
「私が貴方を傷つけたせいですね」
「いや。ちがった。違ったからソレ。べつに竜崎のせいじゃなかった。竜崎のせいなんだけど、でも竜崎のせいじゃなかった」
「…意味がわかりません」
「ちゃんと医者に診てもらったんだよ。もしかしてって思ったからね。アタリだった。
こどもが出来た」
「は」
「妊娠してるってさ。赤ちゃん。僕らの。竜崎」
「───」
カパッと落ちた顎と、剥きだしに出っ張った両眼。
ほんとヘンな顔だなあと月は面白くて笑いだしそうになりながら、好ましく考える。
そのまま凍結したみたいに動かなくなった男を前に、解凍をしばらく待っていた月だったが、そのうち少し不安になると
ペシペシ顔色の悪い頬を叩いた。

「おい竜崎。竜崎?生きてるか、こら」
「こども」
「あ。平気だな。うんそう、僕らの子供」
「いつ…ですか…」
「いつって…妊娠したの?知らないよそんなの。オマエの方が詳しい位じゃないか?でね竜崎」
「月くん!」
「うわ!ビックリした!」
ガバアッ!と抱きつかれて竦みあがった月にかまわず、竜崎はギュウギュウと力をこめた腕を離さない。甘い香りのする髪に
顔をうずめて、月の名を呼び続ける。

「ちょっと…苦しい…くるしい!竜崎!」
「月くん月くん月くん───ありがとうございます………」
泣いているのかな、と月はおもった。
なので引き剥がすのは諦めて、自由になる肘から先の手で、男の背中を撫でてやった。

ほのかな光に浮かぶこの中庭も、王宮も、陽の国も。とても綺麗ですばらしい場所だと月は思うけれど。
でもここで生まれ育った竜崎は、あまり幸せなこどもではなかった。実の母親から、秘密にしか本名を与えられないくらい、
自由を奪われ、国のためだけに生かされた人間だった。

生きることの意味をもとめ、いちどは祖国を棄てた竜崎は、月のために陽の国に帰ってきたのだ。
ならば。
この国でこの場所で。自由にしあわせになればいい。月と竜崎ふたりが力をあわせ。そうして生まれてくる子供たちには
この場所で、幸福に育って欲しいと、こころから祈る。

月と、竜崎と、こどもたちと。みんな一緒にしあわせに。
「大切にしますね」
腕をゆるめ瞳を合わせ、見つめあった男は泣いていない。
真黒な双眸に自分の姿が映っているのをみて、月の顔がほころぶ。
「当たり前だ」
「月くんも、子供たちも。かならず幸せにしてみせます」
「僕はもう幸せだけどね。…あ。それで思い出した。医者から注意されたから、当分、夜は禁止だ」
「え」
「危ないんだってさ。特に初産の初期のころは。大事にだいじを取りなさいってクドイくらい注意されたから」
二コリと微笑すると、
「大切に、してくれるんだよな?」
「も………勿論です…」
「良かった。お兄さんは寝室をべつにした方がいいんじゃないかって、言うもんだから」
「あのひとはまだグズグズ居残ってたんですか───月くん!なぜ私に言う前にさきに兄に言ったんですか!」
「ああ…ごめんつい」
「ついじゃないです!」
あんまりです酷いです!とまたギュウギュウしがみ付いてきた男に、月は声をあげて笑う。
ずっとこんな風に笑っていられたらいい。ときには笑いときには喧嘩して、また仲直りして、笑って。
ずっとずっとずっと、ずっと。一緒にいられたらいい。
「それでは、夜の国に帰るときは、家族みんな一緒ですね」
「そうだね。きっと父たちも喜んでくれる」
「私にも、こどもたちにも。貴方の故郷の美しい雪景色を、見せてくださいね」
瞼に浮かぶようだ。まっしろな世界、オレンジ色の松明、キラキラと輝くダイヤモンドダスト。月と月の愛する家族の帰国を
よろこび、笑顔で手をふる懐かしいひとたち。

いつかみんなで、一緒に。
穏やかに腕がまわされて、くるまれた胸に凭れかかり目をつむった。優しく降りそそぐキスと、かわされる愛の言葉は
ずっと変わらない永遠の約束。

左薬指に煌くひかりも。
静かな波にうかぶ、船のうえでも。
異国の活気あふれる街のかたすみでも。
満点の星空のした、夜のとばりに咲き誇り、謳う花々に囲まれたこの場所でも。
出会ったときから、いまこの瞬間まで。
変わらない永遠の約束を。
愛してる。