南方地帯の入口に位置する、陽の国は大国である。建国からその歴史は長く、ふかく、ある一部分は闇に包まれてもいる。
国を、国民を、統べる『太陽の王』は表むき世襲制だが、過去をひも解いてみれば必ずしも直系が、その玉座に
ついていた訳ではなかった。
王となるべき人物は、たったひとりの人間が背負いきれないくらいの重く、大きく、つらい責務を担わなくてはならない。
それに足り得る器でなかった場合は、たとえ先代の国王の実子であろうとも、実力で容赦なく頂から引きずりおろされる。
そうして表面的には揺るぎない王政を取り繕いながら、内部では暗躍と駆け引き、血なまぐさい権力の交代劇をくりかえし、
しかし陽の国は歴然とした強国として現在もその地位を保っている。
ながきにわたる国の歴史が、弱肉強食の磐石たる礎を支えているのかもしれなかった。遡ればもともとは蒼い大海原を
闊歩するならず者たち、奪い奪われることを生業とする海賊の長が、太陽の王の祖先であるという真実。
強きが弱きを制するのは、この世の当たり前の理。
気候にも土地柄にも恵まれた陽の国は、つねに潤い活気に満ち溢れている。
燦々と照らす太陽、真っ青な空にうかぶ白い雲、いたるところで甘い香りを漂わせ咲き誇る花々と、緑のジャングル。
滔々と流れる太河。日々を逞しく生きぬき、陽気に歌い、笑うひとびとの明るい声。
そんな多くの人々がつどう港を背にし、街の中心部からすこし離れたところに、その白亜の城は悠然と巨門を構えていた。
執権の中心部でもあり、同時に太陽の王と従者たちが暮らす宮殿。
一見、敷地ちかくは人影もすくなく軽やかな鳥の鳴き声が響き、穏やかでかつ荘厳とした雰囲気に包まれている。
だが、実際は訪れるものに気づかれないよう、網の目のごとく張り巡らされた監視と警備によって、国の中枢は守られて
いるのだった。
広大な土地に建てられた石造りの建物。回廊で囲まれた、美しい中庭のとある一角に、
そのふたりはしかつめ顔を突きあわせ、眩しい午後のひとときを不穏な様子で過ごしている。
「そもそもだね。最初から大人しくおまえが太陽の王を継いでいれば、こんな面倒な事にはならなかったのだよ」
「貴方も相当しつこいですね。
ハッキリ言えば私はいまでも、王の座なんて継ぎたくはないんです。これ以上、やる気をうしなう愚痴を聞かされるのは
ご免です」
「なら、継がなければ良い」
「仕組んだ貴方のセリフではないですね。指図は受けません」
「偉そうな口をきくんじゃない。誰のおかげでいままで好き勝手できたと思っているんだ。
おまえは私にかなりの借りがあるはずだが?」
「借りた分はこれまでに全て返済ずみです。忘れたとは言わせませんよ。
こじれかけた某国との協議、誰のおかげで再調停が結べたと思ってるんですか。捕まえそこねた刺客を始末してやったのは
誰ですか。遠海への渡航が無事に行われているのは」
「うるさいな。恩着せがましいヤツだ」
「そっくりお返しします」
互いに一歩も退かない。なんとか相手の弱みを見つけ、さらけだし、優位に立とうとする熾烈な応酬。
肌を焼く午後の日ざしを避け、いくぶん涼しい木陰に置かれた木製のアームチェアーに腰かけて、
竜崎と竜崎の兄である流河は、視線をそらせたまま無言で冷めかけの茶をすすった。
傍らに置かれたワゴンにはワタリの用意してくれた軽食が置かれている。
色とりどりの瑞々しいフルーツ。香ばしく焼かれジャムとクリームの添えられたスコーン。ハムとチーズと野菜をはさんだ
サンドイッチ。それから竜崎の好む甘いケーキも、幾種類か。
手つかずのそれらの横には、硝子製のティーポットに並々淹れられた薫り高いフレバーティーが、キラキラと光を反射
している。他国の珍しい茶葉はちかごろ陽の国でも大人気で、ワタリも気を利かせてわざわざ取り寄せてくれたのだろう。
しかし残念だがもちろん、いまのふたりには優雅なティータイムを楽しむ余裕など、絶対に、ない。
フウ…とため息をついて再度、竜崎の兄は口をひらいた。
チェアーと揃いのテーブルに広げられた地図を眺めて、竜崎が応える。
「東方諸国はいま、代替わりのシーズンだ。
穏健派の年寄りどもに代わって、血気さかんな若手がここぞとばかり軍事力強化に乗り出している。
挑発されても乗るんじゃないぞ」
「そのあたりは、私も情報収集しています。実際、いちど船を走らせてみましたが検問がひどく厳しく、
あれでは正規の貿易や国交にも支障が出るでしょう。
しかしあの一体はエネルギー資源の輸出元でもあります。下手に関係をこじらせると厄介ですし、鎖国されても面倒くさい」
「西と手を組め。はやめに圧力をかけるんだ。こちらから密使をおくり、内々に協定を結んでもいい。
西の大使は知っているな?」
「知ってますよ。突然バカンスを取りたいとかとんでもない我儘言いだした貴方の身代わりに、昨年の会談には急遽、
私が太陽の王として参加したんじゃないですか。
向こうにしてみればすでに、陽の国王の顔は私になっているはずです」
「ああ。そうだったそうだった。丁度よかったな。私の根回しが生きてきたということだ。感謝しろ弟よ」
「なにが根回しですか。単に都合よく利用しているだけで」
「だからそもそもおまえが最初から王になっていれば」
「ですからそれは───やめましょう。虚しいだけです」
フ───………と長いながい吐息がふたつの口から洩れて、また沈黙が落ちた。
昼すぎに太陽の王を引き継ぐための打ち合わせを始めてからずっと、この調子である。つくづくこの男とは馬が合わないと、
双方が胸のうちで吐き棄てつつ、実りのすくない時間ばかりが過ぎていく。
「私の方は、Lの地位の引き継ぎ作業は滞りなく済んでいるんですよ。そちらもちゃんと仕事をしてください」
「単におまえの人望が無かっただけだろう。トラブルも起きず引き止められもしなかったのは」
「その理屈からいえば貴方もですね。正直、こんなにスムーズに交代が承認されるとは思いもしませんでした」
正式な発表には至っていないが内定事項として、兄の流河が王代理の座からしりぞき、かわりに竜崎が太陽の王になることは、
王宮に仕える者たちにも政務に携わる者たちにも伝達ずみである。
陽の国の玉座を継ぐのは、表むきは直系の子孫。しかし現実には、王の器に見合った人物。
その意味で、逆に今回の交代劇について周囲の側近たちから大々的な反対意見は出ていない。それだけ、竜崎の実力が
認められているということだ。公にはされないが、Lとして知られる男の力。
竜崎が国を率い、今まで王の代理を務めていた竜崎の兄がLになる。
兄弟で陽の国を表裏両面から支える、ある意味、もっとも頼もしい権力構成図といえる。
たとえ二人の立場が入れ替わろうとも、それが両者合意のうえであれば、周囲の人間たちにはあまり関係ないのである。
「まあ戴冠式と婚礼の儀をいっしょに行えば、正式な国王として国民も納得するだろうな。
もともと私も、そうそう表に顔を出していた訳じゃないからね。
みんな、誰が太陽の王になろうと、いまの暮らしが守られていればそれで良いのさ。
この国の平和と繁栄が続くかぎりは、どんな王でも国民は歓迎するのさ」
太陽の王は名をもたない。個人として認められず、ただ、王としてのみ在る。陽の国王室ではそういうしきたりだ。
あくまで国のためだけに存在する、自由を許されない人間。
「まったく、虚しいかぎりだね。国王なんて」
肩をすくめる調子で言った男に、竜崎はボソリと呟いた。
「…私には、私自身を必要としてくれるひとが、そばにいますから」
月が。
月が、竜崎を必要とするかぎりは。
遠い異国、夜の国から、太陽の王の后になる為だけに海を渡ってきた美しいひと。荒波のなかで海賊Lとしての竜崎と出会い、
いつしか恋に落ち、許されざる想いに涙を流し、別れ、絶望し。命を喪いかけるほどひたむきに竜崎を求めた、彼のひと。
純粋で、強く、儚く、いとおしく。心から愛しあう大切なひと。
「月くんと一緒にいるかぎり、私は私でいられます」
「ふうん。羨ましいねえ…私もライトが良かったなあ」
とぼけた調子で不穏なセリフを口にした男を、竜崎の出っ張った両眼がギロリと睨みつけた。
「まあ、婚礼の儀までにライトの気が変わらないとも限らない」
「なにを期待しているんですか。さっさと引き継ぎを済ませて、とっととこの国を出て行ってもらいます」
「そうはいかないな。言っただろう?ライトの婚礼姿をおがむまでは、この王宮から梃子でも動かんぞ」
ああそうそう。
ポンと掌を打ちあわせ、おもむろに兄はスクッと立ち上がった。
「そういえば、今日はライトの衣装の仮縫い日じゃなかったか?
おまえの無愛想な面を見ているくらいなら、業腹だが他人のものでも綺麗な花嫁を見ているほうが、目の保養にもなる。
どれ、私はちょっと休憩してくるから、おまえはここで国政と世界情勢について復習でもしていなさい」
「ちょっ…なに言ってるんですか!待ちなさい!」
嬉々として小走りにその場を去ろうとする兄を追いかけ、竜崎が慌てて席をたつ。
ドカドカ足音荒くふたつの人影が消えて、あとには結局、燦々とふり注ぐ日ざしと手つかずのアフタヌーンティーセット
だけが残された。
それを発見したワタリが、せっかくの心遣いを無下にされたうえ引き継ぎはまるで進んでいない現状を確認して、
眉間に皺をよせながら軽くため息をつくのは、もうすこし後のことになる。
数十日後に控えた国王の戴冠式および婚礼の儀をまえに、陽の国は、国民は、街は、王宮は、祭り気分で浮き足だっていた。
海の向こうから港に入りこんだ黒い影は、そんな祝賀一色に染まった人々の合間を縫うようにして、
ソロリと密やかに街中に消えていった。
それはまるで一枚の絵画だった。
明るく風通しのいい部屋のなか。一羽の鳥みたいに腕をひろげ、月がその場に立っている。
ましろく透けるような肌。
そのうえに纏った衣は、やはり白色の精緻なレースを全体に編みこまれ、華奢な肢体をよりほっそりと優美に装飾していた。
デザインそのものはごくシンプルに、なおさらいっそう、着ている者の美しさを際立たせている。絞られた細腰のラインから
広がる見事なドレープ。幾重にも可憐な花びらを連想させるそれは長くながく、数メートルにも及ぶらしく、部屋のなかに
完全に広げきるのは無理の様で。
まだ仮縫いの段階なので、式当日にはあしらわれる予定のティアラやヴェール、宝石や飾りの類は
ひとつも身につけていない。
それでも圧倒されるほどに綺麗だった。
光の粒子が集まったかのごとき輝き。
「───」
視線は釘付けのまま、言葉も出ない。
「ほお…さすがライト。これは美しいね」
隣の男の、惚れぼれとした声で竜崎はやっと、我にかえる。
ハッとすると同時に視界に、べつの人物が立ちふさがった。
「ちょっとちょっとちょっと!ここは男子禁制なんだから!竜崎さんたちは出ていってよね!」
金髪の小柄な少女。夜の国から月に付いてやってきた、ミサという名の彼女はいま、月専従の従者として王宮に勤めている。
「ホラ早くってば!だいたい仮縫い中を見にくるなんて、不躾なうえに悪趣味だよ!
ライトのハダカが見たいワケ?!サイテー」
キャンキャン噛みつく番犬さながら男たちを追い返そうとするミサのセリフに、
「ライトの裸…ああそれは確かに見たいな…」
「貴方いい加減にしないと本当に蹴りますよ?
ミサさん。私は月くんの夫になるのですから、べつに見たって構わないでしょう」
「ダメですから。それにいま忙しいの!作業中なんだから邪魔な人たちはさっさと退散してください!」
未練がましく喰いさがる、仮にもやがて国王となり主の夫となる男に、ミサもけっこう容赦なかった。
たしかに、部屋のなかは多くの女官たちで溢れかえっていて、床に積まれた仮縫い道具やデザイン図、布切れなどで
足の踏み場もない状態だ。
部屋のまんなかで人形みたいに突っ立ったまま、されるがままに任せている月をもういちど、竜崎は凝視した。
日焼けした浅黒い肌色が多い陽の国で、月の白さはひときわに目立つ。光を弾くようなそれ自体が、どんな宝石もかなわない
美しさを備えている。蜂蜜を溶かしたみたいなヘイゼルの髪も瞳も、うつむいて長く影をおとす睫も、色づいた唇も。
竜崎だけではない、目に映したすべての人々を惹きつけて止まない、稀有な存在。
「ちょっと見蕩れてないで!竜崎さん!出て行きなさいってば!」
「───ミサ。いいよべつに。僕は気にしないから、そんなに怒らなくても」
「でもライト!」
剣幕に苦笑した月が、はじめて竜崎たちに顔を向けた。縫い針を何十本何百本とつかう仮縫い作業のあいだは、危険なので
頭ひとつにしても迂闊には動かせないのである。
スッと、竜崎の双眸が細められた。
「え?………ちょっと!」
「りゅ、竜崎さま!」
突然、ズカズカ周囲の状況にかまわず月に近づいて、有無を言わさぬ口調で命令をくだした。
「はやく針を外しなさい。なにか他に着るものを」
「竜崎」
「作業は中止です。すぐに月くんを休ませます。はやく!」
動揺したみたいに女官たちがバタバタ動きまわる。何人もの手で衣装を脱がせられ、代わりのガウンを羽織らされたところで
カクリと急に、月の膝が折れた。
「ライト!」
「月さま!」
「大丈夫です。おそらく疲れただけでしょう」
軽々と抱えあげて側のソファに寝かせた。
貧血でも起こしたらしく、蒼白い貌をして目を閉じている月に、傍までやってきた兄の流河が声を抑える。
「まだ完全に回復していないのか」
「ええ。…なので、実はあまり無理をさせたくないのですが」
竜崎が、隠していた真実すべてを月に打ち明けられなかったころ。
已むを得ない事情からいちど、竜崎は説明も約束もなしに月から離れざるをえなかった。そのことで傷ついた月は結果として
大きく体調を崩し、後遺症はいまでも続いている。
悔やんでも悔やみきれない、竜崎の過失。
やっと近頃になって、日中はベッドから起きあがれる状態になったばかりなのだ。今朝からずっと行われている、根をつめる
仮縫い作業に、疲れきって倒れたとしても不思議ではない。
「竜崎…ごめん…すぐに治るから…」
気を失ってはいなかったようで、ちいさく掠れた声で大丈夫だという月の前髪をそっと梳いて、
竜崎は見守っていた女官たちに決定事項として告げた。
「いいですか。これからの挙式準備はすべて、月くんの体調を優先して行います。けして彼に無理はさせないでください」
「しかし竜崎さま…それでは婚礼の儀の日程に間に合わなくなる可能性が…」
「万一、間に合わなければ日にちをずらせばいいんです。月くんの身体の方が大事です。いいですね」
当然みたいに言い放ったが、戴冠式と同日に行われる予定の婚礼の儀は、国をあげての一大行事である。
諸国からの表敬訪問客も招き、王族家臣とも一堂に会するスケジュールを直前になって変更するなど、簡単な話ではない。
だが。この背中をまるめ指を齧りつつ目をギョロギョロ動かしている、新しく彼女らの王となる男にとって、そんなことは
問題にならないほどこの美しい后は大切なのだ。守るためには無理すら押しとおす実力を、この男は持っているのだ。
諦めたみたいに息を吐くと、ニコリと微笑んで女官の長は了解した。
「かしこまりました。それでは月さまのお支度ができない間は、竜崎さまの正装をご準備させていただきます」
「───」
ピタリと男のうごきが止まる。
「通常ですと男子のお支度はさほど時間が掛からないものですが、
なにぶん竜崎さまは事のほか、ご自身の準備には非協力的であらせられますので」
ニコニコと言葉をつなぐ女官に、隈つきの虹彩のない瞳がさらにドンヨリ濁っていく。
太陽の王継承が決まったいま現在も、竜崎の王宮内での装いは、シンプルな警備兵用の黒衣であった。さすがに海賊のソレ
とまではいかないものの、あまりに軽装すぎるいでたちにワタリにも注意を受けていたが、今まで知らんふりを決めこんで
いたのだ。
「戴冠式や婚礼の儀に、そのお姿では幾らなんでも困ります。隣に立たれる月さまも、お困りになられるかと」
「ホントよねーライトが恥ずかしい思いするわよねー」
「そうだな。どう考えてもまずライトとの釣り合いが取れそうにないな。
なに、おまえがどうしても正装は嫌だというのなら、私が代わりにライトと挙式してやってもいいんだぞ」
「………わかりました………」
女官やミサにまで責められ、無表情にひきつりながら了承した竜崎と、
ここぞとばかり愉快そうにからかう兄とのやり取りと。
ソファに横たわったまま眺めていた月は、具合が悪いのも忘れ、クスクス声をあげて笑いころげた。