竜崎が船長をつとめる海賊船は、月からしてみれば十分すぎるほどに巨大で、堅牢で、設備もととのっていて、
まるで海の上をはしる独立した一国の城のように思えたけれど、

やはり船は船であるらしく。時には陸につながれての整備が必要だったり、限られた積荷を補充するために、
港に停泊する必然性があ
るようだった。
以前いっていた竜崎のことばどおり。船は日が沈みきるまえの夕刻、貿易の中継地点ともなっている国の港に、
しずかに錨を下ろした。
「手のあいている者はすぐに船の修理にかかれ!陸に遊びにでるのは仕事がすんでからだぞ!」

「船に残る者は武器庫のチェックをしろよ。ここは海の上より危険な場所であることを忘れるな!」
ひさびさの寄港に、海賊船のなかは活気づいている。
様子を伺っていた月はそっとドアを閉めると、部屋の中にもどった。
「ワタリ。役人に提出する書類と、貨幣と、金砂の用意を。『停泊料』は多めの方が、うるさい連中を黙らせやすい」

「準備はしております。私が処理しておきますのでお気になさらず。竜崎はどうか月様と」
「…助かる」
目の前でそんな会話をかわしたあと、主人にいつでも忠実な初老の男が、奥の部屋から取りだしてきたガウンを
身にまとった竜崎をみて、月は「ああ、竜崎も出かけるのか…」とボンヤリ思った。
そういえば陽の国に向かうための物資を調達しなきゃいけないって前に言ってたよな…じゃあ今晩はこの部屋に
ひとりきりなんだ…。
「月くん。出かけますよ」
「え?」
呆けた月を怪訝な顔で竜崎は見返すと、そのままジロジロと頭のてっぺんから爪先まで観察した。
「その格好ではすこしマズイですね…ドレスはともかくせめて顔が隠れるようにしないと…」
心得たようにワタリがフード付きのケープを持ってくる。それを月の肩にかけ細い肢体を隠し、フードで顔も
見えづらくなるように紐を調節しながら、竜崎は真面目な声で月に言いふくめた。

「月くんいいですか。この港は入国審査も税関も甘く、なにかと勝手が良いかわりに当然、多種多様な人間が
集まっています。
居る者たちの大多数が犯罪者だと思っていい。街中も人がおおく雑然としていて、慣れない貴方をつれて歩くのは
正直、不安なくらいなのですが。絶対に、私の側から離れないように。約束してください」

「え…ていうか…僕も行くのか?」
「…?…出かけるのは嫌ですか?それでしたら無理に外出することはありません。このまま船に残って…」
「いやっ行きたい!出かけたいっ!…だけど、まさか竜崎が連れて行ってくれるなんて思わなかったから…」
夜の国を出国してからは一度も陸にあがる機会がなかったのである。街に出ておもいきり歩きまわりたいという欲求は
当然あったが、月は、竜崎がそれを許可するとは考えもしなかった。
確かに外には危険もあるだろうし、なにより自分は竜崎の、いわば籠の中で飼われる身分だ。
独占欲と庇護欲のつよいこの男が、船から出してくれるとはいったいどういう風の吹きまわしなのか。

竜崎が苦笑する。
「ずっと閉じこめた結果、萎れてしまうよりはいいですよ。たまには気分転換も必要でしょうし、
私が傍らにいるかぎりは貴方を守れますから大丈夫です」

「竜崎…ありがとう」
「でも絶対にひとりになっては駄目です。私も目を離さないよう気をつけますが、月くんも常に私につかまって
いるように。他人に顔を見せないようにも注意してください。
貴方みたいな人をみつけたら誰だって、どんな事をしても手にいれたいと思います。くれぐれも警戒が必要です」
「うん。わかった。ちょっと大袈裟な気もするけど」

「…わかってませんね…まったく、置いていったら寂しがるだろうと思って連れていくんですよ?
言うことがきけないのであれば、大人しく留守番していてもらいますよ?」

「だからわかったって!なんだよ寂しがるって…勝手なこと言って」
「さみしいでしょう?…ひとり寝は」
密やかに笑いながらフードを弄っていた手に顎をすくわれて、反射的に瞳を閉じようとして、月は焦った。

そういえばワタリさんがいなかったっけ?
しかし。よく出来た竜崎の従者は、自分の仕事がすむととっくにその場を去っていて。
うろたえた月の表情を間近でたのしそうに眺めながら、竜崎は「可愛いひとですね」と呟く。

重りあった唇はしばらくのあいだ離れようとせずに、濡れた水音は月の膝がくずれ落ちるまで、続いていた。



想像以上の喧騒だ。むしろ、想像を絶する、というか。
月は、よくて夜の国の祭りの時くらいしか人波というものを経験したことがない。あまりの人ごみに気分が悪くならな
いかと竜崎は心配したが、月のテンションは上がる一方だった。

「うわっ凄い…すごいひとだよ…こんなにいろいろな髪や肌の色の人たちが居るんだ」
「月くんこちらです。歩きながらよそ見しないで」

「あ。アレなに竜崎。ほらあそこで音楽とダンス!」
「あれは大道芸人たちです。流浪の民です。性質のわるいのもまざってますから近づいてはダメです」
「へえ。あ!あそこにあんなにたくさんの仮面が並んでるよ!面白い!ちょっと覗いていきたい!」
「手を離したらいけません月くん!待ちなさい!」
つないだ掌を無意識にふりほどいて駆け出しそうになった、興奮しきった子猫の襟首をひっつかむと、
竜崎はたまらず側にあったリストランテに飛びこんだ。緊急避難である。

ガックリ肩を落としてため息をつく。
「月くん…貴方、私の言った事をひとことでも覚えてますか…」
「ご…ごめん竜崎…あんまり珍しくてさ」
ずっと船のなかに閉じ込められていたうえに、そもそも外国に接すること自体が初めてという月が舞い上がってしまう
のは当然だろう。好奇心旺盛で探究心がつよく、はかなげな外見に反してなかなかにアクティブな本質は、竜崎の好む
月の長所だ。

だが。今回ばかりはもうすこしだけ大人しくしていて欲しい。そうでなくてもフードからこぼれるヘイゼルの髪や、
竜崎の手を握る肌の白さ、ドレスからのぞく足首の細さ。ケープを羽織っていてもわかる華奢な身体のラインに、
さきほどから嫌な視線を集めまくっているのである。
これ以上注目をあびると、本当にまずい。

「オーダーは?」と近よってきた浅黒い男を一睨で下がらせると、店のいちばん奥の席について、メニューから適当に
月の好みそうな食事と甘味を、わざわざ女の店員に注文する。

指をのばし外れかかっているフードでもう一度、ていねいに月の顔を隠しながら、竜崎は声を低くした。
「月くん。私との約束が守れないのであれば、食事がすみしだい船に強制送還ですが」
「すまない…もうしない…ちゃんと静かにしてるよ」
「結構です」
運ばれてきた料理は肉や魚や野菜をふんだんに使った、バラエティに飛んだ内容でさっそく月は目を輝かせる。
普段は食べることに執着をみせない月だったが物珍しさから食がすすんで、つねに痩身の彼の体調を心配している
竜崎としては、良かったですと大いに満足した。

物流が栄えたこの港街ではどんな食材でも手にはいるし、雑多な人種が集まっている分いろいろな国の郷土料理を
口にすることができる。皿一枚いちまい、盛りつけられた材料から調理方法にいたるまで、月の尽きない質問に
こたえてやりながら鷹揚に葡萄酒をかたむけた。

気分のいい夕食を終え、手をひかれ店のそとにでた月は、案内されるまま街を散策する。
街中にあふれる耳をつんざく嬌声。あちこちで奏でられる音楽。ものがなしい旋律と激しいリズム。憑かれたように
踊る女たちが、翻すあざやかな衣。とおりすぎる男たちの炯々とひかる目。うずまく熱気。

何もかもがはじめてだった。息がつまりそうなほど、こんなに強烈に生々しく暮らす人々を、月は見たことがない。
貪欲な欲望。明日への希望。ただしいものも汚いものも。混沌としたこの場所を、
目の前の背をまるめて歩く男は、飄々と、街に溶け込みながらもけっして混じりあわずに、すりぬけていく。
「本を買いましょうか」
いきなり話しかけられて、思考にふけっていたので反応が一拍おくれた。うるさくて声がよく聞こえなかった。
「前に約束したでしょう?貴方の好きな本の続編が出ているはずだから、港によったら手に入れましょうねって」
「…そういえば」
「ほかに欲しいものがあったら言ってください。またしばらく海のうえで暮らすことになるんです。
この機会に月くんの望むものはなんでもそろえますよ」

───もしかして、僕を連れてきたのはそのためでもあるのか…?
男のうしろ姿をまばたきしながらじっと見つめたあと、月はつながれた手はそのままに、スルリと竜崎の腕に両腕を
からませた。

衣を通して感じるその素肌が、思いのほか温かいことなんてもうとっくに知っている。
「月くん?」
「騒々しくて聞こえないんだよ。こうしていれば喋りやすいだろ」
ビックリしたみたいな顔をした竜崎に、言い訳めいたことを早口でまくしたてる。
軽くうつむいた横顔の頬がわずかに上気しているのを見てとって、竜崎は笑った。

夜がしだいにふけていく。街はまだまだ、眠る気配はない。



必要なものも欲しいものもだいたい買い揃えて、信頼できる店に明日の朝、船に届けるよう荷物をあずけると、
そろそろ休みましょうかとふたりは宿場にむけて歩きはじめた。

「街に泊まるんだね」
「本当は船に戻ったほうが安全なのですが…たまには波に揺れないベッドでゆっくり眠りたいでしょう?」
「ん。嬉しいな」
まあ簡単には寝かせませんけどねと不穏なことを言ってくる男を無視して、ふと道端に目をやると、
「…竜崎。アレ」
指さしたのはいくつかの並べられたケージ。そこで無邪気に動きまわっているのは、可愛らしい小動物たち。
「かわいい…」
「ペットとして売っているのでしょうね。許可証が置いてありますから危険な密輸ものではないようです」
「見てもいい?」
「仕方ありませんね」
嬉々として方向転換した月に竜崎は苦笑した。以前、船のうえからイルカの群れを発見したときも、それはもう
大はしゃぎした月である。

動物が好きなのかと問えば、夜の国では、雛のときにひろった黒鷲に『リューク』という名をつけて
とても可愛がっていたという。

「でも陽の国に連れて行くわけにもいかないから、置いてきたんだ」と哀しそうに話す彼をみて、真剣にペット購入を
検討したこともある竜崎であった。結局、衛生上の問題で断念したが。

ちいさなケージのなかでは羽根の美しい鳥やプライドの高そうな猫、コロコロ転がる毛玉みたいな仔犬たちが、
思いおもいに過ごしている。

白い指先でじゃれてくる動物たちを突っつきながら、店主らしい老人と、顔を合わせないまでも和やかに会話して
いた月は。店主がかぶっていた帽子の下から突然、現れたちいさな生き物に驚きの声をあげた。

「わっ」
「ああ…リスザルの仔ですね。やんちゃで愛らしい。でもこのあたりでは珍しいですね」
「この子は売り物ではありません。わたしのこどもなんですよ」
のぞきこんだ竜崎のセリフに、しわくちゃの顔で嬉しそうに笑って店主は大事に仔猿の頭をなでる。
気持ち良さげに目をとじ大人しくしている姿に、月は微笑した。

「さわったら嫌がりますか?」
「大丈夫ですよ人慣れしてますから。どうぞ」
クリッとした大きな目と、柔らかそうな茶色い毛並みの誘惑に勝てず、月が店主の肩に乗った仔猿に手をのばす。
そのとき。

予想外の展開だった。
なにをおもったかいきなり仔猿が、のばした腕をつたって月の頭までかけあがると素早くフードを引っぱったのである。
「!」
「月くん!」
竜崎が叩き落とそうとした時にはもう、店主の肩に舞いもどっていた。おそらくイタズラだったのだろうが、竜崎の
怒声に怯えたように震えている様子に毒気をぬかれる。

しかもそれどころではなかった。
「アンタ…」
茫然とした店主の声に舌打ちすると、竜崎はすばやく月にフードをかぶせなおした。
「ごめん…油断した」
「行きましょう」
足早にその場を立ち去ろうとして、すでに叶わないことを知る。
大勢の男たちに取り囲まれていた。
フードがはずれたときに晒された月の顔を見たのだろう。ほんの一瞬だったが、いやらしいほどにモノの価値を
見極める眼をもったこの世界の男たちを、彼の美しさが魅了するには充分だった。

「マズイですね…人数が多い」
ポツンと竜崎が言う。走って逃げるには退路を完全に遮断されている。
男たちは余計な口をいっさい叩かない。プロは狙った獲物をすみやかに手に入れ、邪魔者は殺すだけである。
背後では仔猿をだきしめ、老人が祈りをつぶやいている。
はりつめた沈黙に、グッと欲望と殺気を孕んだ空気の密度が濃くなった。
ザワリと月の肌が総毛だった。瞬間。
「───っ!」
グイッと肩を抱かれた。声をあげる暇もなくおそらくは竜崎のガウンにだろう。視界をふさがれる。怒声。衝撃。血臭。
なにが起きたのかもわからない。

ピタリと動きがとまる。
そっと瞼を開けるとそこには、
かぞえて、五人の男たちが折り重なるように倒れていた。地面に垂れた血の量から絶命していることがわかる。
「貴様!」
「あまり騒ぎはおこしたくなかったのですが、しょうがありませんよね。死ぬつもりでかかってきてください」
ひとふるいして剣についた血糊を払うと、竜崎は無表情に静かな声で言った。男たちの身体が怒りに膨張する。
唐突に横から飛びかかってきた男の咽喉を、竜崎の剣がザックリ切り裂いた。
血潮を吹きあげゆっくり仰向けにたおれる。動揺がはしる。
屈強で獰猛な男たちにくらべてヒョロリとした猫背の男は、いっけん誰しもがすぐさま殺されると思っただろう。
大切なたいせつな綺麗なひとを片腕に抱いて、しかし幽鬼のごとく竜崎は剣を振るいつづける。

そのたびに次々と死者が増えた。積み重ねられる死体に、守られている立場でありながら月は背筋が凍るのをかんじた。
───そうだ。はじめて出会ったとき、自分も竜崎と剣をまじえてその強さに圧倒された。けれどあんなものは全然、
コイツの本気じゃなかったんだ。

知力も。財力も。戦う力も。迷いなく人を殺す冷酷な精神も。
知ればしるほどに、どこまでも底がみえない竜崎という男。
「うらあああっ!」
「っち」
数人がかりでタイミングをあわせいっせいに襲いかかられ、どうしても月から手を離さざるを得なかった。
しかしそれこそが男たちの狙いだったのだろう。

「竜崎!」
待ち構えていた連中が竜崎と月をひきはなす。もともと、男たちの目的は月であったのだから獲物が手にはいった以上、
厄介な相手にかまう必要性はなかった。

「月くんっ!」
「いやだっはなせよっ竜崎っ!」
あばれる月を無理矢理肩にかつぎあげた男が、仲間と逃げるのを追おうとして、竜崎はつぎつぎに阻む人間の首を
切り落とす。
やがて遠巻きに騒ぎを楽しんでいる野次馬たちを残して周囲に生きている人影がなくなったときには。

月のすがたも見失っていた。
竜崎は激しく爪を噛んだ。