週末の夜。
生温かい風のふく表通り。腕を組みそぞろ歩きの若い男女。談笑。けやき並木。
そこから一本道をはずれれば、雑然としたテナントビル。見上げるコンクリートの森。飛翔するカラスの群れ。
足を向けたのはペンシルビルにかけられたちいさな看板。
調査依頼のあった、カフェと名づけられたその店は実際は食事とアルコールを提供する場で、しかし疚しい雰囲気は
まったく感じられなかった。
薄暗い店内。せまい客席に案内され、周囲の様子をうかがいながらソロリと腰をおろす。
仕切られたとなりの席はどうやら数名の男女で飲み会らしい。盛り上がって哂う声がすこし、煩さかった。
落とされた照明。テーブルのうえのほそい蝋燭のあかりがユラユラと。翳した掌の影もユラユラと。
幻想的な内装を施してはあるものの、ごく普通の飲食店。
いかがわしさの欠片もない。
すばやく判断する。長居は無用と、手渡されたドリンクメニューを開いた。軽いカクテルを一杯飲んでさっさと引き上げ
よう。それで仕事は終了だ。
「オーダーお決まりですかお客様?」
穏やかにかけられた声にふりあおぐ。
グラリ。
世界がまわった。
いつの間にか、息がかかるほど間近にのぞきこんだ琥珀色の瞳。
反射する蝋燭の光。仄かに朱色のそれは瞳孔にユラユラユラユラ煌いて。
ユラユラユラユラユラユラ。
私の視界も。
ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐら。
「…珈琲を」
「アルコールメニューは宜しいですか?」
メモに書きつけながら薄く微笑んでいる人影を私はじっと凝視する。
「すでに酔っぱらっているみたいなので。…貴方に」
綺麗な指先のうごきが止まった。
床に膝をつき、店内の喧騒のなか私の肩越しに顔を近づけ、オーダーをきいていた彼はまるで人形。
ましろい陶器の肌。瞳とおなじ色の絹の髪。精巧につくられたうつくしい貌。
パチリパチリと音がするほど、人形らしく瞬きすると、
クククッとひそやかにわらった。
「いきなり口説かれたのははじめてですよ」
「本気です。貴方は不思議な目を持っているんですね。…ひとを酔わせ惑わす魔性の目」
「たしかに酔ってますねお客様」
食前酒をお持ちしましたが下げたほうがよろしいですか。
そっけなく、テーブルのうえに置かれたカクテルグラスを片付けようとした細い手首をつかむ。反動でグラスのなかの
赤黒い液体がその掌に零れた。
濡れた感触の素肌は、ひんやり冷たく脈をまるで感じない。まるで硝子細工に触れているようできもちいい。
おもわずくちづけたくなる。抗いがたい誘惑。
身体の芯から湧きたつような興奮をおぼえた。
………みつけた。
「離してください」
「仕事の依頼でこの店にきました」
ふりほどこうとする腕を押さえつけて耳元で囁く。耳朶を掠める吐息に、ピクリと細い肢体が揺れた。
「ここ半年ほどこの店に来た男女が数人、行方不明になっています。彼らがこの店に来たであろうことは確かなのに、
その姿を目撃した人間は誰もいない。その後の足取りも消息もつかめない。
店の内部事情、オーナーや店長の経歴もしらべましたが目立ってあやしい所もない。警察もお手上げです」
「…刑事さんですか?」
「ちがいます」
捜査の聞き込みにきたと思われたのか、彼の表情が硬くなる。
「その件なら確かに以前、警察の方たちが店に来て、話もすこししました。でも僕たち従業員はなにもわかりません。
行方不明になられたという方々がもし本当にこの店に来ていたとしても、いちいち客の顔なんて覚えてないです」
低い声で周囲に聞こえないよう、早口に述べられるセリフはおよそ予想通りのものだった。
なので説明を遮るかたちで口をひらく。
「私は警察ではありません」
「じゃあ」
「ただの探偵ですよ」
「探偵?」
彼の瞳がまっすぐに私を見据えて、私も彼を見つめ返す。
そこには先ほどの朱色の煌きは見つからず、ただ、トロリと蕩けた蜜色が浮かんでいるばかり。
「調査依頼をうけて直接、足を運びましたがこの店はやはりただの飲食店のようですね。犯罪に絡んでいることは
ありえないとおもいました」
「そう…それは良かったです」
すこし、力をぬいてふたたび彼は微笑した。完璧につくられた綺麗な笑み。
「いっそ人身売買の証拠でも見つけられたら、良かったですね」
冗談めかした軽い口調で言って、立ち上がろうとして、僅かに秀麗な眉をひそめる。
きつく、掴まれたままの腕。
「たしかにこの店は関係無い。…でも貴方、は」
きゅうに握りしめた手首をグイッと引き寄せた。が、目の前の膝をついた痩身はビクとも動かなかった。そのことに内心驚く。
彼は、まるで見かけはうつくしい人形のまま、中身はつめたい氷塊であるかのごとく。
しのびよる冷気。
「無駄足でしたね探偵さん。すみませんが仕事の邪魔になりますから、どうぞおひきとり下さい」
うっすら嘲りの色を浮かべ、パタン、と閉じたメニューを胸にかかえ立ち去ろうとする彼。
けして離さない腕。
逃がすものか。
「お客様。あまりしつこいと係りの者を呼びますよ?」
「私は探偵です」
「それがなにか」
「謎があればそれを解き明かすのが生業です。事件があれば犯人を。犯罪には動機を。トリックの存在を見破り、秘密が
あればそれを暴き、闇に潜むものは白日のもとに引きずり出す。そうせざるをえない、性分なんです」
片目を眇め、まじまじと改めてこちらを凝視してくる彼の瞳に、隠された秘密はみえない。
まだ。
「………白日の下に晒されるのは勘弁だな。灰になるのは御免だ」
おもわずポツリと洩れたみたいな、可愛らしいひとりごと。
口角をあげた。
「人間はそう簡単に消えたりはできません。なんの問題もなくごく普通の生活をおくっていた男女が、ある日いきなり行方不明
になる。影もカタチも見当たらない。犯罪に巻きこまれていれば何らかの痕跡が、もし殺されているならば死体のひとつでも、
かならず残るものです。常識的には。
しかし、どこからどう検証しても、常識では解決できない事象が起こっているとするならば。
非常識でも幻想でもどれほど有り得ない事実でも。
私はすべてを認めて、そして謎の真実が知りたい」
「お客様。なにを言って」
「誤魔化さないでください。貴方の、しわざですね」
見開かれたアーモンド形の双眸に。
───朱い灯が、ともった。
それからゆっくりと細められた瞳に。クラリ。意識が吸いこまれる。
スッと周囲の喧騒が遠くなった。
「困った人間だな」
愉悦を含んだ声と仮面を剥いだ表情。
昏く、深く、甘い闇が辺りを包みこみ、そのなかで彼の目だけが炯々とひかりを放っている。
もうひとつ闇に浮かぶ、あかい唇からのぞく白い牙。色鮮やかなコントラスト。
侵食される。喰われる。異世界のうつくしい生き物に。
………それでもかまわない。
「気づかなかったフリをすれば、殺されずにすんだのに」
「真実を知って死ぬのであれば。本望ですね」
「覚悟はできてるって訳か」
綺麗にきれいに、華が咲くように。笑った。
「探偵ってやっかいな性質のイキモノなんだな」
「貴方たちほどではないと思います」
「ははは。そうかな。そうかもね。面白いねオマエ」
彼の眼光に縛りつけられ、指一本うごかせなかった。肉体の感覚がまるでない。いまさら逃げることも叶わない。
逃げたいともおもわない。
意識だけが冴え冴えと、あたまの片隅で「ああ。死ぬな」と考えた。
「この店は狩りの絶好の場所でね。店の雰囲気も名前も、すごく気にいってたんだ。数回の食事をしたけどこんなに早く
みつかるとは思わなかったな。残念だよ」
やさしく、彼の凍える指先が私の頸部を撫でさする。
何度もなんども、薄皮一枚の下に流れる熱い血流をいとおしむように。
頬を両手でつつまれ、恋人にそうするように。慈愛に満ちた彼の顔が。
スローモーションで近づいてくる濡れた唇。
ふれた、柔らかな肉。痺れる舌先。
滴る雫。
くびすじに鋭く立てられた牙が、咽喉を切り裂くのをかんじた。
嗚呼。いま私は。
しあわせだ。
最期のことばもなくまぶたが落ち、意識がフツリと途切れた、そのとき。

「でもね…いまは僕、そんなに空腹じゃないんだ」

ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐら………ことん。
男の身体がテーブルにたおれる。
そばには誰もいない。狭い客席にたったひとり。
隣の席からは相変わらず騒々しい男女の笑い声。蝋燭にゆれる影。
薄暗い店内で、壊れた人形みたいに机に突っ伏した男の背中。
やがて悲鳴。
救急車のサイレン。

意識がもどったときは病院のペッドのうえだった。生きている、と目を開けた瞬間、困惑した。
原因不明の大量失血。それにともなう極度の貧血。脈拍や血圧も下がり、一時はかなり危ない状態だったらしい。
医者の淡々とした説明が耳を通りすぎていく。
退院してすぐさま、あの店に駆けつけた。けれど当たり前のように彼の姿はなかった。そんな従業員が存在していたこと
すら、知っている人間は誰もいなかった。
あの店で、彼に餌として喰われた男女は塵となって消えたのだろう。
そして私はのこされた。
空腹じゃないと言っていたな。では私は、彼の口に合わなかったのかもしれない。
口許をゆがめ、週末の夜。生温かい風のふく表通り。けやき並木のあいだを歩きつづける。
いつかまた会えるだろうか。この頸に刻まれた、彼の牙痕があるかぎり。
闇に棲むうつくしい貴方の真実を、私はもっと、ふかく、知りたい。
見上げるコンリートの森。
飛翔するカラスの群れ。

いつかまた。あの店で。






名前が出ていませんが一応L月です。