「つかまえた」
仔ネズミ月はここの所ずっと、夜神さんちに帰りたいなあと思っている。
何故ならば夢みていたケージの外の新世界は想像以上に過酷で厳しく、
ほそぼそと食いつないでいたドライフルーツはある日突然、棚の奥から置き場所を変えられてしまって、
月の食料は綺麗さっぱり無くなってしまった。
フニャ…とちいさな耳と細い尻尾を垂らしたまま、月は途方に暮れた。
アノ初老の男が仕切っているらしい館のダイニングは、怖ろしいほどに整理整頓掃除が行き届いていて
いつでもピカピカに輝いている。そして目ぼしい食べモノは探せど捜せど他になにも見当たらない。
その理由が、とくに甘味類は置いてあればあるだけ喰い散らかすアノ黒猫の存在のせいだとまでは、
さすがの賢い月も知る由もなかった訳だが。
もし知っていれば一瞬捕獲されたアノ時。
月が報復に齧りついていたのは、黒猫の脚ではなくてアノ無用にデカく異様に黒々テカテカしていた
アレにだったろう。 ま ち が い な い 。
月はお利口でお行儀よい優等生の仔ネズミだったが、心底怒らせたらたとえ夜神さんちであろうと
容赦なく牙を剥いた方だ。おなかが空けば誰だって腹も立つ。ついでに月はヒステリー体質である。
しかし月は由緒ただしい仔ネズミだったので。
本格的に飢餓感がつのってきて、これはマジでヤバイと思ってみても
ハッキリいって狩りの仕方とか全然わからない…。
生まれた時から真綿に包まれ銀のスプーンで餌を与えられていた月であった。
ごはんは待っていれば天から降ってくるモノだと思っていたし、事実いままではそうだった。
その辺の野鼠のように、ゴミを漁ったり虫や木の実をとって食べるなんて考えられない。ありえない。
…おなか…すいた…
隠れ家のひとつにしているソファの下で、ペシャン…と潰れたまま目を閉じた。
フラリフラリ…と揺れていた細長い尻尾がクタリと床に落ちた。
だんだん眠たくなってくる…生き物は飢えたとき、生命を維持するために冬眠に近い状態になることすら
月は知らなかった。
…ボンヤリ遠のく意識のなかで月の脳裏に浮かんだモノ…
…頼れる父さん…優しい母さん…可愛い粧裕…温かい夜神さんち…
───ではなく。
………美味しいコンソメチーズ…コンソメチーズ…コンソメ…チー………
───最期にひとくち、食べたかったよ。
黒猫の竜崎はここの所ずっと、気がかりで仕方ない事がある。
アノ仔ネズミのことだ。小さなちいさな、可愛くてクソ生意気な茶色い仔ネズミの月。
その姿を見かけなくなったのだ。
先日。減り続けるドライフルーツの箱を手にため息をついたワタリが、
無言で置き場所を変更しようとしているのを見かけて竜崎は「あああああー!」と思った。
「んにぎゃあああああー!」
と普段めったに鳴かない黒猫がヘンな鳴き方をしたので、振り返ったワタリは冷たい半眼で
「やはり竜崎でしたか…」
と呟いたがそれにはブンブン首を横に振ることで抗議した。
違いますちがいますワタリ!私じゃありません!でもそれは月くんの大切な食料なんです!
取りあげないで下さい!
しかし優秀なはずの執事には竜崎のその願いは伝わらず、フルーツはどこか別の場所に隠されてしまって、
もうこの館に月の食べられるモノは何もないのだ。
竜崎は心配で心配で仕様がない。
アノ日以来。竜崎は、気配を忍んでトテテテテッと軽快に部屋中を駆けまわる仔ネズミの存在が
可愛くてかわいくてたまらなくて、
近日またとっ捕まえて今度こそ仲良くなろうと楽しく算段していたのに。
月くんは、餌の無くなったこの館からよその場所に移ったのでしょうか…。
いやそれならまだ良いのだ。竜崎が心底憂慮しているのは………。
スクッと立ち上がった。
いつもの日向ぼっこをしているアンティーク椅子のうえからヒラリと飛び降りた。
竜崎は探偵である。猫であるが名探偵である。
じつは仔ネズミ月がこの館内に潜伏しているであろう場所など、とっくに目星をつけている。
ただ自分から探しまわるようなマネをしなかったのは、ひとえに月の安心と信頼を得たかったからなのだ。
その為に今までジッと辛抱堪らんしてたのだ。
しかし事情が変わった。
竜崎はフンッと鼻を鳴らすと、常であればペタペタ立てる足音を消して、館中を走りぬけた。
月はすぐに見つかった。
書斎の一人がけソファの下、狭いせまい隙間の奥で、小さくちいさく、蹲っていた。
覗きこんだ竜崎は小首を傾げる。箒みたいなバサバサの尻尾がフサリ…と揺れて、微かな空気の流れが埃を払ったが
茶色のかたまりはピクリとも動かなかった。
試しに「ナアアア」と鳴いてみたが反応なし。
毛玉からのびた、いつもはフリフリしている細長い尻尾すら、ダランと垂れたまま。
ジッとその姿を凝視して、それから黒猫はソファとは反対側の部屋の隅まで下がると、
全速力疾走した。
全身で一人がけソファに体当たりする。
ガタン!
さほど巨体な訳でもなかったが脚力には自信がある。そして黒猫は名探偵だ。
やるときゃやるのである。
飛び下がっては蹴りをくらえ、飛び下がっては体当たりし、
ついに。
ガタタン!ガッターン!
ソファが横に転がった。すばやく駆けより埃にまみれた茶色の毛玉を咥えると、
「いったい何事ですか竜崎」
額に青筋うかべたワタリのところまで疾風怒涛に運びさる。
ものすごい勢いで、竜崎が咥えてきた仔ネズミ月をみた優秀な執事は、ほんの少しだけメガネの奥の目を丸くした後。
クッタリ気絶している小さないきものを黒猫から受けとって、
何も言わず柔らかな布で包み込んでくれた。
…月…月。
ああ。夜神さんちが呼んでいる。
そうか。ごはんの時間なんだ。
夜神さんちの優しい飼主は、毎日決まった時間、ケージのなかに月たちのごはんを入れてくれる時に必ず名前を呼ぶ。
そうすると賢い月は、モソモソと埋もれていた寝床から這い出てきて、だいすきなコンソメチーズをおなかいっぱい食べて、
それから粧裕といっしょに夜神さんちに遊んでもらう。
そんな優しい月の日常。
退屈だと思っていた、だけど幸せだった月の世界。
…月…月…月くん…。
なんども名前を呼ばれて月は不機嫌に耳をピクピクさせた。いまは眠たくてねむたくて仕方ないのだ。
コンソメチーズよりも眠たくて…コンソメチーズより…コンソメ…チーズ…
いや。
コ ン ソ メ チ ー ズ だ !
アーンと口をあけたら欠片が放りこまれた。
林檎だった。
ペッ!
月は吐き出した。
「チーズだ!僕はコンソメチーズが食べたいんだー!!」
「………飢えて死にかけてた鼠のセリフとは思えませんねえ………」
パチッと目を開いたら至近距離に黒猫の隈つき双眸があって、
ギョッ!と飛び上がろうとしたが萎えたカラダでは無理だった。
困惑にパチパチキョトキョト瞬きする仔ネズミに
「とりあえずコレ食べてて下さい」
と言い置いて、黒猫はスタスタ去っていく。
シャリシャリ瑞々しい果物を齧っていると、遠くからアノ初老の男の声と、黒猫の鳴き声が聞こえてきて、
動揺に月は収められたバスケットのなかで立ち上がりクルクルクルクル二足回転した。
どどどどうしよう…捕まっちゃったんだ…!
僕としたことがクソ!やられた!
やがてどうやって意思疎通したのか、初老の男が皿にコンソメチーズを載せてやって来たのをみた
とたん。
月の動揺はどうでもよくなった。
コンソメチーズコンソメチーズコンソメチーズコンソメチーズ!!
細かく刻んだチーズをガツガツ貪りながら、飲もうとしたミルク皿に顔ごと突っこんだせいで、見かねたワタリにスポイトで
ミルクを飲ませてもらい、濡れた顔は傍らに控えている黒猫に舐めてもらって、
月はちょおご満悦だ。
やっぱり僕はこの館のペットになる!ははは!
フリフリチロチロご機嫌で振られている細長い尻尾をジーッと眺めていた竜崎は、チーズとミルクに夢中の小さなちいさな
仔ネズミの様子を確認したあと、おもむろに改めて自己紹介する。
「はじめまして月くん。私は竜崎といいます。見てのとおり猫です」
「ん?…りゅーざき?」
「はい。猫ですが、可愛い月くんとお友達になりたいと思っています。
月くん、私のはじめての友達になってくれませんか」
「ん。いーよ!」
久方振りのコンソメチーズの美味に酔っている月にとっては、何もかもがどーでもいい。
月はとても賢いこどもだったが、仔ネズミらしく脳の容量はちょっぴり少なめだったので。
そこら辺を計算済みで声をかけている竜崎は、チャシャ猫よろしくニンマリと笑った。
「今度いっしょにテニスしましょうね」
「ん。いーよ!」
「喫茶店デートもしましょうね」
「ん。いーよ!」
約束ですよと月のちいさな顔に付いたチーズをペロリとやった竜崎に、
臆することなく「おかわり!」と返す二匹のやりとりを観察しながら。
ワタリは「竜崎は甘いモノしか食べない筈でしたが…」と内心、不思議に首を捻っている。
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