「テリトリー」
空腹でパッタリ行き倒れた仔ネズミ月を懸命に救助してくれたのは、なんと天敵であるはずの黒猫竜崎。
思う存分、好物のコンソメチーズとミルクでおなかを満たして、「はふー」とご満悦のため息をついてから、
月はやっとその事実を認識した。
ちいさな耳がピルピル震えた。
くそ!やられた!屈辱!!
結構ホンキで命が危なかったところを助けてもらい(しかも二回目だ)しかもしかもその救助猫本猫を前にして
「くそ!やられた!屈辱!!」
と叫ぶのはあんまりじゃないかと冷静に竜崎も思うのだが、
目の前で頭を抱えうずくまり、キイキイ歯を剥きだして憤慨している仔ネズミのキュートさには、
唯ただ黙って目を細めるばかりである。
グルグルグルグル…と眺めているうちに知らずご機嫌に咽喉まで鳴らしていたらしい。
ワタリが、
「竜崎…その鼠、お召し上がりになるおつもりですか?」
と控えめに咎めだてした事で気づいた。
ギョッ!と月が飛び跳ねた。動揺したのか温かな布を敷きつめたバスケットのなかで、ふたたびクルクルクルクル
二足回転をはじめる。
「落ち着いてください食べたりしませんから」と無表情になだめながら
「失礼なワタリ。月くんは私のお友達です。最初の友達が餌では困ります」
「ンギニャアグググ」と普段鳴かない黒猫は、ものっすっごく不機嫌な鳴き方をしてみせて、
それだけでとても優秀な執事であるワタリはすべてを了解し、受けいれ、
月はその館の賓客として迎えいれられた。
いやすこし違う。正式には仮ペットとしての面倒を(主にワタリに)みてもらう事になったのだ。
仮と付くのは、館の正統な主である名探偵はただいま仕事で長期出張中。
多忙な彼に承認を得るのは当分先のことになると考えての、緊急措置であり。
いやいや実際はもうすこし違う。
正確には、月は「館のペット」ではなく「竜崎のペット」なのである。
竜崎もワタリも、そういう認識だった。気づいていないのは月本鼠だけだった。
「信用してください月くん。友達ですから」と言われピタリと回るのを止めると、「そう?」と素直に小首を傾げる。
見上げてくるクリクリした茶色の目も、ピクピクしている髭も、かわいい…。
猫のペット。の、可愛いかわいい、ちいさな仔ネズミ。
もし月が、竜崎とワタリの暗黙の了解に気が付いていたとしたら
「こんな屈辱は初めてだははははは!」
とブチ切れそうな事態だが、だが事実は事実なのだった。
そして鼠はさいわいにして、ほんのすこうし、脳の容量が少なめだったので。
こうして仔ネズミ月は館の正式な住鼠に加わり、黒猫竜崎の「友達」になったのだった。
共存にするあたって、生き物には必ずテリトリーがある。人間だってそうだし、猫も、鼠も、おなじだ。
竜崎の安息テリトリーはワタリの愛する観葉植物たちで満ちみちたバルコニーのそば。
陽のよく当たる南向きの一室の窓際、ドッシリしたアンティーク椅子にかけられたキリムのうえが、定番の憩いの場と
なっている。
対して月は、この館に忍びこんでからいくつかの隠れ処を見つけていたのだが、
そのほとんどを竜崎に却下された。
「あの一人がけソファの下は、掃除が行き届いていません。不潔で月くんが病気になったら困ります」
「あの部屋は、今はドアが開いていますが、いきなり鍵を閉められるときがあります。閉じ込められたら餓死しますよ」
「アソコは月くんなら上れますが私には無理です。だから絶対に上ってはダメです」
「アレは私、好きじゃないんですよ。なのでワタリも普通に戸棚にしまっていたのですね。
あんな不味いモノ月くんも食べなくていいですからね。コンソメチーズくらい幾らでも差し上げますから。
だから戸棚のなかに隠れるのも、止めてくださいね」
アソコは問題があります。アレは危険です。アノ場所は気に食わないです。
月はたいそう賢く用心深くお利口な仔ネズミだったので、
さらにちょっぴり脳の容量が竜崎よりも足りなかったので、
(だって猫と鼠だから)
なんとなく不審を感じながらも、忠告はちいさな眉間に皺をよせて、すなおに聞き入れた。
「じゃあ…僕はいったいこの館の、どこに居たらいいんだ?」
「私と一緒に居れば良いんです。常に私と一緒なら安全ですし、私の隣が月くんの居場所です」
黒猫は向かいあった仔ネズミに、箒みたいな尻尾をバサバサやりながら、さり気なくそう口説いた。
アッサリ答えを返されてクルンッと細長い尻尾を巻いたあと、
「ん」
月はコクリと頷いた。
理に適っているのかいないのかイマイチよく分からないが、まあ、いいか。
竜崎やワタリの暮らす館は、とにかく広かった。とてつもなく広大な敷地面積をもつ建物だった。
それは一見無駄な広さにも見えたが、扱ってきた膨大かつ重要な事件資料の隠し場所でもある、世界の名探偵の暮らす家。
セキュリティは万全で、鼠一匹の侵入をも許さない。
(…アレでも僕ふつうに侵入できたけど…ふっ…セ○ムなんて簡単なもんだ…)
(うちはセコ○ではありません月さま)
管理状態は良好なものの、築ン十年を越す洋館は、ワタリくらいしか全容の現状を把握していない。
だが竜崎は名探偵である主人に倣う、名探偵猫である。
その記憶力も、猫とは思えないくらい抜群だ。
たとえば、広い館のなかの何処の部屋になにがあるか。大概おぼえているのである。
以前、ワタリの不在中に主が探しもので難儀していたとき。
捜していた必要な書類を、口に咥えてペタペタ現れた黒猫に、主は驚愕したように隈のついた
両眼を剥きだし、しきりに爪先を噛んで、それからソッと優しく頭を撫でてくれた。
オマエも私とおなじ名探偵ですね、と。
という訳で竜崎は名探偵である。
真実すべてを語る必要はないけれど、けして嘘は言わないのだ。
しかし。
じつは月は竜崎をまったく信用していなかった。
友達だって?ジョーダンじゃない!ははは!
猫と鼠が、追うものと追われるものが。友人なんてありえない。
竜崎には月が美味しそうな餌にみえるだろう。月には竜崎の顔はコンソメチーズにしか見えない。
(酷い)
もしここに黒文鳥のリュークンがいたら、たぶん月は偉そうに言っている。
「上辺だけの友達だよ。裏では喰うか喰われるかの腹の探り愛。
いいだろう友情を求めるなら快く受け入れてやろうじゃないか」
リュークンはきっと、文鳥のクセに「ウホッ」と鳴くだろう。
けれどここにリュークンは居ないので、ひとりでふんぞりかえって高笑いしてみても、空しいだけの仔ネズミ月である。
とにもかくにも。互いの利害が一致して、24時間一緒にいる事が決まったふたりだった。
別に手錠は必要ない。
そのくらいなんとなく自然に。
仔ネズミのテリトリーは黒猫の隣。
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