カチャカチャ。カチャカチャカチャ。
パソコンのキーボートを叩く音。に、あわせて左手首で鳴る軽い擦過音。
の、原因は僕をつないでいる手錠にあり、その鎖のさきには不機嫌な顔をした、男。
ずっとずっとずっと機嫌のわるい竜崎。の、理由はわかっている。
僕がキラじゃないからだ。
「竜崎。このデータ見てくれないか。おかしいと思うんだけど」
話しかけても返事もしない。こちらを見ようともしない。竜崎はぜったいに僕を見ない。キラじゃない僕を絶対に、見ない。
「竜崎」
「………」
「おいりゅうざ」
「月くん。私、疲れました。そろそろ休みませんか」
「…ああそう」
諦めの吐息をついた。確かに時計に目をやれば夜十二時を過ぎている。普通の人間なら一日の疲労が出て、眠くなってくる
時間帯だろう。普通の人間なら。
「じゃあ父さん。僕ら先に部屋にもどって休むよ」
「ああ。おやすみライト。竜崎」
「おやすみなさい」
手錠の鎖をチャラチャラさせて、並んでエレベーターホールに向かった僕たちと擦れ違うように松田さんが向こうの部屋から
やってきた。
唐突に、
「なんか本当にワンセットって感じだね。竜崎と月くん。お揃いってカンジで」
いつもの何も考えていない軽口だろう。あはははと笑った陽気でマヌケなひとに、僕は苦笑してみせた。
「おやすみなさい」
「あ。おやすみ月くん。竜崎」
竜崎はいつもどおり無視した。松田さんの存在に気が付いていたかどうかさえ怪しい。
いや。気づいてたな。不機嫌に拍車が掛かってる。
松田さんは、ほんとうに馬鹿なひとだ。と思う。
僕らがお揃いの訳がない。竜崎は本当ならこの鎖の先に、キラを繋いでおきたかったんだから。
キラじゃない僕は、竜崎には釣りあわない。
キラじゃない僕は、竜崎には無用だ。
無言で自分たちの部屋にもどって、竜崎はすぐ横になりたがった。
シャワーも諦めて引き摺られるように、僕もベッドに入った。どうせ空調完備のビルの中で日がな一日、
運動もしていなければ汗も掻いてやしない。
電気を消しておやすみを言うと、静寂がおちる。
竜崎がほんとうに眠っているかなんて分からないけれど、今夜もこのまま、気まずい雰囲気のまま、何も無いまま。
時間がすぎて朝の白々しい光を迎えるんだろう。
ため息を噛み殺し、僕は目を閉じた。
期待してるんだ。
僕と竜崎は以前、そういうことをする関係にあった。ハッキリ言えばセックスする関係だった。愛してると囁きあっていた気もする。
今から考えると、とても正気の沙汰だとは思えない。でも。
でも。僕は竜崎が好きだった。
いまこんな状況になって、余計に好きだと強く感じた。
以前は、キラだと執拗なくらい疑いをかける竜崎を半分憎んでいたようにも思う。だけど僕はキラじゃない。
それを監禁されている間にハッキリと確信して、そのあとで僕の中に残ったもの。
それは竜崎への純粋な想いだけ。
いつの間にこんなに心を占められていたんだろう。苦しいくらいの感情に。
竜崎が好きだ。
竜崎に僕がキラじゃないと証明したい。
キラじゃない僕を竜崎に認めてもらって、夜神 月を必要とされたい。
けれど竜崎は。僕を見ない。僕を認めない。僕を必要ともしない。
「僕はキラじゃない。そのことを一緒に捜査して証明してみせる」
と言っても、
「貴方はキラじゃありません。夜神 月はキラです。でも今の月くんは、キラではありません」
そう答えるだけで目を逸らし、僕から興味を失う。
キラじゃない僕など、どうでもいいと言わんばかりに。
早く。どうか早く、キラに戻ってくれと言わんばかりに。
僕はキラが憎い。僕を陥れたキラが。僕をこんな目にあわせているキラが。竜崎の心を占めているキラが。
キラなんて、だいきらいだ。
「…眠れないのですか」
モソリ…と寝返りを打った竜崎がとつぜん喋ったので、驚きに身体が跳ねた。まさか起きているとは思ってなくて、それから、ああ。
もしかして僕を見張っていたのかな。
とボンヤリ考えた。
「うん…ちょっとね…」
「なにか考え事ですか」
「残念だけど竜崎が期待するような事じゃないよ」
暗闇のなかでも黒々とした捕食者の眼が、僕を見据えているのが分かる。それが僕を。視ていてくれるなら。どんなに嬉しいだろう。
コイツが視ているのは僕じゃない。
僕の中にいると信じて疑わないキラ。だけに、向けられる竜崎の視線。
苦しい。
「月くん?」
驚愕したみたいに声が掠れた。シーツの上に横たわったまま顔と顔をよせて、勢いで歯がぶつかって少し痛かったけれど
僕は竜崎に口づけた。
グイッと両腕で押し退けられた。
一瞬だった。見つめた竜崎は、不快に無表情だった。
「すみませんが」
聞きたくない。
「すみませんが、今の月くんとは私、こういう行為をする気にはなれませんので」
分かってるよ。
「おやすみ」
声が震えないようにするのが精一杯で。
僕は竜崎に背を向け、ギュッと瞼をつむった。
どうして僕が。こんな嫌な目に遭わなくちゃならないんだ?こんな辛い想いをしなくちゃならないんだ?
フラれた竜崎の隣で、なんで惨めに僕は寝なくちゃいけないんだ?
僕を見ない男のかたわらに、繋がれていなくちゃいけないんだ!
竜崎が好きだ。
苦しい。哀しい。つらい。
憎い。
竜崎に想われているキラが憎い。
キラが憎い。
憤怒と憎悪にまみれ堕ちた夢のなかで、キラと竜崎が抱きあっていた。
いつかの捜査本部ホテル。ベッドの白いシーツのうえで、僕とまったく同じ貌をしたキラは、艶やかに酷薄な微笑をうかべ
竜崎を根元まで受け入れている。
「…んあっ…あっうっ…あああ…っ!」
竜崎の肩に担がれた脚がなんども宙を蹴って、爪先まで細かな痙攣を繰りかえし、脱力し。
それでもまだユラユラと貫かれるがまま揺れている。
ギシギシと軋むスプリングの音も聞こえる。ひっ…あっ…と絶え間なく洩れる嬌声。部屋中に充ちる荒い息づかい。
耳を塞ぎたい。眼も閉じたい。でも出来ない。
いつしか竜崎に犯されていたキラは、僕に入れ替わっていた。ズルズルと熱塊が身体の奥で蠢く感覚に、咽喉から高い悲鳴が
ほとばしった。
「いっ………やっだっあああ…んんっ…んんんっ」
仰向けに組み敷かれ、大きく広げられた両脚はガッチリ掴まれ、ふたつに折るほど持ち上げられた腰の後口に容赦なく、真上から
竜崎が突き刺してくる。
熱をもった柔襞を抉られ弱いところを擦られると、火花みたいな痺れが脳髄まで駆けぬける。
「ひっ…いっ…いくっ…りゅっ…っ………っっ!」
全身を撓らせながら射精した。思考がましろに染まった。
きもちいい。
この悦楽を、僕は知っている。
当然だ。僕と竜崎は出会ってすぐに抱きあう関係になったんだ。竜崎に仕込まれた肉体の、内側を蝕まれ感じるのは、
むしろ馴染んだ歓び。
ちがう。
竜崎が抱いていたのはキラだった筈。
僕じゃない。
「…嫌…だ…竜、崎…やめっ………っっ」
抜かれる事なくふたたび律動を開始する雄に、混乱して必死で叫んだが止まらない。ビクビクと勝手に快感を追い求めるからだは
確かに僕のものなのに僕のものではなく。
圧し掛かってくる竜崎を誘いこむ仕草も、溢れでる卑猥な体液も、包み搾りあげる蠕動も、白濁を放つ熱い性器すらも。
これは誰なんだ?
僕だ。キラだ。
助けを求めてグルリと視線を巡らし、嘲笑っている僕を見つけた。違うキラだ。ちがう僕だ。
ちがう僕はキラなんかじゃない。キラじゃない事を竜崎に証明して、キラじゃない夜神 月を竜崎に認めてもらう。
ははは。馬鹿じゃないか。夜神 月はキラだよ。キラだったからこそLと出会う事ができた。こうしてセックスも出来た。
キラでない夜神 月の存在なんてまるで意味がない。なによりそう、竜崎が認めているじゃないか。
ちがう僕はキラじゃない。僕は大量殺人犯なんかじゃない。
いいやキラであり新世界の神なんだ。
怖いのかキラが。怖いさ。もし僕がキラだったらどうする。父さんを裏切り家族をあざむき世界中の人々を何千人と殺し、
Lに追われいずれは捕まる。そして死刑台逝き。
そうじゃないだろう捕まらないさ。もし僕がキラなら。
竜崎に愛される。
ちがうちがうちがう愛されるのは僕じゃないキラだオマエだオマエなんだオマエさえ居なくなれば僕は竜崎と
バカだなまだ分からないのかキラじゃない僕は必要とされない僕はオマエだオマエは僕なんだよ僕らは
片翼ずつ担う一羽の鳥だ片方の翼が欠ければ鳥は堕ちる深いふかい澱んだ海へ汚濁へ深淵へ暗闇へ
男の掌へ何処までも何処までもどこまでもどこまでも───
僕らは一対だ。
でも僕は竜崎に愛されない。
オマエは愛されているのに。
憎い。
「あ、あ、あああああ──────────……… !」
「月くん!」
ビクッと飛び跳ねた。
鼓動が、ドッドッドッと激しく波打っていた。
「だいぶん魘されていたので起こしましたが…大丈夫ですか?」
心配気な竜崎のセリフ。正反対の無表情な声音。
こめかみを流れる冷や汗を拭いながら、横目でデジタル時計を確認した。まだ夜明けには程遠い時間だった。
悪かったな…と僕は頭の片隅で思った。
欠片も興味を抱けない人間と二十四時間繋がれて、むしろ本当に迷惑なのは竜崎の方なんだろうな。
早くはやく。キラに戻ってください。
いやだ竜崎。
僕はキラじゃない。
例えキラであったとしても。もう二度と、キラには戻らない。
キラに、オマエを渡したくないんだ竜崎。
キラが憎い。
「竜崎」
不審そうな虹彩のない双眸が、間近で見開かれる。唇を触れあわせようとして今度は押し退けられるだけでなく突き飛ばされて、
僕はシーツに転がった。
冷ややかに見下してくる竜崎は、僕のことを愛してはいない。キラでない夜神 月の存在なんてまるで意味がない。そのとおりだキラ。
「言いましたよね。私、いまの月くんとセックスする気はないと」
「オマエが愛してるのはキラだけだからか。竜崎」
何を聞き分けのない。この子供は、こんな夜中に困った事を言い出すのだろう。
雄弁な竜崎のため息は、意思の疎通を完璧に拒んでいて。
そこまで拒絶されている自分が憐れだとポツンと思った。
「キラじゃない僕は抱けないのか」
「寝ましょう月くん。私、疲れているんです」
「抱けよ竜崎。僕とセックスしろ。
───もし竜崎がキラでない夜神 月も認めてくれるなら、僕はオマエと共存してやっても良いんだ」
キラ。
「夜神くん?…どういう意味ですか?」
キラ。
僕らが片翼を担いあう一羽の鳥だというのなら、オマエだけ愛されて僕が愛されないなんて神様にだって赦される事じゃないだろう。
僕らが本当にシャム双生児なら、オマエを生かす為に僕が死ぬか僕が生きる為にオマエを殺すか。それとも仲良くともに路逝くか。
さあ選べ。
その選択権を持つのはオマエだ。
竜崎。
「………よく意味がわかりませんが」
竜崎は、壊れた人形みたいカクンと小首をかしげた。カシカシと体育座りのまま親指の爪を噛んだ。
未だ昏い世界のなかで。愛しい男の見慣れたその癖は、ひどく優しく甘く、僕のこころを満たしてくれた。
いまは未だ。
この世界に三人でいるけれど。
「とにかく───今の月くんは欲しくありません」
「ああそう。残念だよ」
「もういいでしょう。いい加減寝ますよ」
「そうだな。…おやすみ竜崎」
永遠に。
もう会わないよ。もう会えないよ。竜崎。これから僕は僕の中のキラを殺しに逝くよ。
いつかどこかの本で読んだ事があるんだ。人間のなかには、表面に現れている本人とは別に、幾つかの人格が潜んでいるのだと。
きっとキラは僕の中に紛れ潜み隠れているんだろう。そうして竜崎。オマエとの再開の刻を、密かに待ち望んでいるのだろうけれど。
僕はそんな事は絶対にゆるさない。
憎い。
キラが憎い。
大量殺人犯だからじゃない。悪だからじゃない。竜崎のこころを占め竜崎に愛されているオマエが、
ただ、狂おしいほどに羨ましくて妬ましくて憎くて、憎くて憎くて憎くて
たまらない。
これは誤算だったろうキラ?まさか自分自身に殺されるなんて。だって。竜崎が僕は要らないと言うんだから、仕方ないさ。
さあそろそろ迎えに逝こうか。
大丈夫。人格は幾つもあるんだ。夜神 月はまだまだ他にもたくさん居る筈。その中の誰かがまた、あらたに新しい夜神 月を務める
だけの話。
僕がキラの代替欠陥品だったように。
だから僕は要らない僕を棄てて、キラを路連れに。
願わくば明日の朝。目覚めたとき。眩しい光のなかで、僕が竜崎の望む夜神 月に生まれ変わっていますように。
今度こそ僕をキラ足らしめる僕で、在り得ていますように。
そしてもういちど。竜崎に愛されますように。
昏い世界のなかで僕は何処にもいない神様に祈り、そっと目を瞑った。
手錠で繋がれた、ほのかに背中に感じる男の温もりを胸に。涙は一滴だけを零して。
ゆっくりと意識が遠のいていった。
おやすみ竜崎。
さよなら僕たち。