僕は生まれたときから檻の中にいる。
血統書つきの整った造作。薄茶色の柔らかな毛並。同じ色をした瞬くふたつの瞳にも、綺麗な光がきらめいている。
たいせつに保護され、管理され、愛玩され、ずっとちいさなケージの中で過ごしてきた。退屈だなあとは思っていたけれど、
まあこんなモノなのかもしれないな、とも思ってた。
諦めとは少しちがう。檻の外を、僕は知らなかったから。知らないモノは別に欲しくもないだろう。
四角く切り取られた空間から、たまに広がる蒼い空を見上げては、溜息をつく位だった。
こうしてずっと、死ぬまで詰まらないまま退屈のままに過ごすんだろうな。
ところがある日。
「誰、オマエ」
「初めまして月くん。私はLです」
「L………変な名前…」
「傷つきますね。竜崎でもいいですよ」
どこからやって来たのか。
突然、僕のまえにもう一匹、ゴワゴワした黒い毛をもつ雄が現れる。
僕だけの世界であったはずの狭いケージのなかに、ソイツはぺタリぺタリ足音を立てながら入ってくると
僕の隣に膝を抱えて座りこんでしまった。ちょっと横にズレると、ソイツもズレる。歩きだすと付いてくる。
こちらの都合などお構いなし。
結果、ふたりで暮らすことになった。
なぜだ。僕は当惑して、すごくイヤだと思った。
だって竜崎と名乗った雄は見た目なんだかキモチワルイし、ぜんぜん僕に対して気を使わないし、自分勝手だし、
今だってちゃんとした餌を食べないでおやつに貰ったお菓子ばかり、背中を丸めてモシャモシャ租借している。
竜崎の行儀の悪い食べ方のせいで、お菓子の欠片がポロポロこぼれてはケージの中を汚しているのを見つけてしまい、
ウンザリする。
ああイヤだ。そこは僕のテリトリーでもあるんだぞ。
「月くん。一緒におやつ食べませんか?」
「いらない。僕の分も竜崎にあげるよ」
「ちゃんと食べないと『彼ら』を余計心配させてしまいますよ。もともと月くんは痩せてますしね」
「オマエに言われたくない」
「でも私、月くんのなめらかな身体も、長い睫毛も、桜色の爪先も、優雅な仕草も賢い頭脳もだいすきです。
月くんは本当に、とてもとてもとても綺麗です」
「ああそうありがとう。触るな」
伸ばされてきた手を素気なく拒絶すれば、モノ欲しそうに親指をしゃぶってニンマリ、僕を凝視したまま竜崎は笑う。
気もち悪い。キモチワルイ。
虹彩のないドンヨリしたその目がイヤだ。ひとを小馬鹿にしたみたいな態度がイヤだ。なにもかもイヤだ。
そう。近頃ますます食欲が無くなり、大人しすぎる僕を心配して、僕の退屈やストレスを紛らわす為の遊び相手に
竜崎をここに連れてきたのは『彼ら』の親切心である事など、聡い僕にも十分良く分かっていた、が。
いい迷惑だった。僕は、竜崎がキライなのだ。僕らの相性は最悪だ。
ボンヤリ柵にもたれ掛かってケージの隅に座りこんでいると、僕の周囲でしきりと竜崎が騒ぎたてた。
「月くん月くん月くん。ホラ見てください。私、こんな事も出来るんですよ。凄いでしょう?」
うるさいな。
無視していたものの気になったので、チラリと横目で伺ったら
ズボンのポケットから溢れるくらい甘いあまいお菓子を次々取りだした竜崎。
まるでマジックみたいだ。僕は目を丸くする。
どこにそんなの隠し持ってたんだ?僕が持っていないモノを、なんでオマエはそんなに一杯持ってるんだ?
竜崎は、僕には出来ないことが出来る。竜崎は、僕が知らないことを沢山知っている。
僕が思いもつかなかった発想をする竜崎。それを実行する実力を持つ竜崎。
ちくしょう。
だから何だって言うんだ。初めて、ほんの少しだけ竜崎自身に興味が湧いた。でも僕は竜崎がキライ。
それから二匹きりの、この狭いせまいケージが大嫌いになった。
もっと広くて自由な新世界に行きたいと考えた。きっと竜崎はそこからこのケージの中に来たんだ。
だから僕よりちょっとだけオトナで博識なんだ。僕だって毎日褒められる優等生だけれどもね。
生まれたときから檻の中にいる僕は新世界がどんなものかも知らない。そこはたぶん素晴らしい世界に違いない。
恋焦がれるみたいに、ケージの外に出たいと、願った。
来る日も来る日も来る日も、柵の側に座りこんで、ジッと外を眺めていると、
生まれたときから僕を保護し管理している『彼ら』が、とても心配そうにしている様子が伝わってきた。
元気がないね。
具合が悪いのかな。
Lは気に入らないかい?
仲良くしなさい。おまえの伴侶だよ。おまえたちは番になって、子孫を残すんだよ。
………ビックリした。
開いた口が塞がらない。僕はパチパチ、睫毛をしばたいた。
ムリだよ。僕は雄だし、竜崎もオスだ。こどもなんて作れないよ。何てムチャクチャ言い出すんだろう。
竜崎はただの遊び相手だろう?僕を退屈にしない為に与えられた、オモチャのひとつに過ぎないだろう?
それより僕は外の世界に行きたい。ここから出して。自由にして。そうしたら僕は元気になるよ。生まれ変わるよ。
「ここ以外に、私たちの棲む場所なんてありませんよ」
背後からノッソリ近づいてきた竜崎が偉そうに言ったので、ムッと振りかえって歯を剥きだし威嚇する。
オマエが何を知っているって?
「新世界なんてありません。どこまでいっても、私たちの周りには柵があり檻がある。
その中でしか生きられない、私たちはそういう風に生まれついたイキモノなんです。真の自由なんてありません。
そしてこの世界に同族は私たちだけですよ月くん。分かり合えるのも、睦みあえるのも」
嘘だ。
そんなこと絶対ない。外の広い世界には、どこかに僕らとおなじ魂を持つ種族が必ずいるはず。
どこかに僕を待つ仲間が大勢いるはず。
大体、同族がオマエと僕だけじゃ、あとは絶滅するしかないじゃないか。僕ら雄同士なんだから。
「だから貴重種なんじゃないですか。
こうやって保護され管理され、柵の向こう側で『彼ら』は固唾を呑んで私たちの生殖行為を待ち続けています。
さあ月くん期待に応えましょう。これでも私、けっこう強いですよ」
「イヤだ!」
バネみたいに飛び掛かってきた竜崎に押さえ込まれた。床に組み敷かれ、逃げようと遮二無二あばれても引っ掻いても
噛みついてもどれだけ抵抗しても、竜崎は言葉どおり強かった。
覆い被さり手足を押さえつけられ、身体を引っくりかえし後ろから乗っかられ、
もうダメだと。恥もプライドもかなぐり捨てて大声を出しても、悲鳴を上げても、
いつも外から心配そうに見守っていた『彼ら』は最後まで助けてくれなかった。それどころか見てみぬフリをされた。
クソッ!やられた!屈辱だ!ちくしょう!
なのに肉体は反応する。刺激されれば頭を擡げる。ぬめる敏感な部分から、快感という名の痺れが神経を走り脳髄まで
駆け抜けまっしろになる。堪えきれないヘンな声が咽喉から細く洩れて、竜崎が嬉しそうに顔を歪める。
熱く硬く猛る生殖器が、ムリヤリ僕のなかに挿ってきて、僕らは一緒にユサユサ揺れ、
やがて僕のなかで温い種が大量に撒き散らされた。
その種はけして実を結ばないまま結合部から流れおち、
僕の生殖器から弾けた種も、無駄に汚濁となって狭いケージのなかを穢した。
みろ。この行為はなにも生まない。終わってしまえばそれっきり。無意味だ。意味を成さない僕らの存在。
「絶滅するな」
四肢を投げ出したまま、四角く切り取られた空間から広がる蒼い空を見上げて、呆然と呟いた僕に、
「そんな事はないです。私達にはちゃんと残すモノがあります」
竜崎は意味不明な言葉を返して、
それから、荒れた爪先で僕の薄茶色の毛並を優しく丁寧に梳いてくれた。何度もなんども。
柵の外には、やっぱり心配そうな目をした『彼ら』がいる。計画どおり僕が犯されたのだから、つぎは僕が孕むんじゃ
ないかと期待半分思い込んでいるみたいだけど。それはとても無理な話だ。
「なにを産めっていうんだよ。
もともと愚かな人間たちによって、僕らのような絶滅種が作られたんだ。いまさら保護だの繁殖だの知ったことか」
「月くん?なにを言っているんですか?人間は私たちですよ?」
「え」
竜崎は僕の知らない事をなんでもよく知っている。
「人間である私と貴方が、檻に入れられ、監視されているんです。私たち以外のすべての存在から」
「───」
では。僕はなにを勘違いしていたのだろうか。
人間という名のイキモノ。そのなかでも絶滅に瀕する貴重種。それが僕と竜崎。
だったら、僕たち以外のすべての存在とは、何なんだろう。動物か。人間か。神か。それとももっと他の、別のなにかか。
僕らは僕ら以外のすべてから隔離され管理され監視され、死に至るその時間を計られ、その経過を記録されている、
ただそれだけの生命。僕たちは子供なんて残せない。なにも遺せない。なんて哀しく虚しい種族。
「月くん。遺すモノは子孫や遺伝子だけではありません。
私と貴方が出会って、共に時を過ごした。私は月くんと、話をしたり、笑いあったり、ずっと側に居たいと思った。
楽しくて、嬉しくて、繁殖の為ではなく純粋に、月くん自身が欲しいと思った。
私は月くんが好きです。
これだけでは理由になりませんか。形ではない想いも、遺せますよ。檻のなかでも、私たちは幸せであり、自由です」
「竜崎」
僕には出来ないことが出来る竜崎。僕には思いもつかなかった発想をする竜崎。それを実行する実力を持つ竜崎。
ここはそんな竜崎と、僕との、ふたりだけの世界。
戸惑って、躊躇って、やっと怖るおそる、差し出されていた掌に掌を重ねると
ケージの外から眺めていた沢山の『彼ら』の眼が、いっせいに哂った気がしたけれど構うものか。
閉じこめられた獣の僕らを笑いたければ哂えばいい。
僕らも、柵の向こう側にいるオマエらを、これからは哂って過ごすから。
どちらが檻の中かなんて、本当は誰にも分からないのだから。