「追いかけっこ」

竜崎は猫である。探偵である。
ボサボサのツヤツヤの真っ黒な毛並みに、ギョロリと見開いた虹彩のない瞳。
おおきく湾曲した背中に、やる気のなさそうな撫肩に、ノソノソとそしてわざとペタペタと足音をたて歩く姿。
竜崎は猫である。けれど探偵である。
正確には彼の飼い主である人間が世界的名探偵で、竜崎も名探偵だ。
その日。いつものように竜崎はお気に入りのアンティーク椅子のうえで、午睡のまどろみのなかにいた。
いつもの如く飼い主は長期出張中で、執事のワタリは用事で屋敷を出ている。
竜崎はつまらない留守番役である。
ふんぐあー
と欠伸をして、フと。
目の端にチラリ映ったものに竜崎は気がつかないフリをした。
部屋の隅をすばしこくチョロリ!と駆けぬけた、小さなちいさな、影。
近頃ワタリが言っていた。ダイニングの棚の奥に、箱にいれて置いておいたドライフルーツが
いつの間にか半分以下に減っていると。
その、半眼で竜崎をみつめる「疑わしきは罰せず」といったワタリの視線と口調に憤慨した。
確かに以前、やはり棚のなかに仕舞われていたドライケーキを食べ散らかした犯人は竜崎だったし、
ワタリがうっかり目を離した一瞬で、買ってきたばかりのプリンは竜崎の腹に消えたし、
ふりむいたらテーブルのうえの砂糖瓶に顔ごと突っこんでしかも抜けなくなっていた黒猫に、ワタリの加齢により
弱った血管がブチ切れたのは一度や二度では、ない。
しかしだからといってドライフルーツをくすねたのは竜崎ではないのだ。
かなり説得力がないが、断固として真実はちがうのだ。
真犯人は別にいる。
竜崎は眠りこむフリをして椅子のうえで蹲り、薄目をあけて様子をうかがった。
チロリ。
何かが揺れた。家具の隙間から、細長くチロチロしたものが見え隠れしている。
そのうちやがてピョコリと本体が現れた。
ほんの瞬間、顔を出してすぐにひっこんだソレを、竜崎の探偵の双眸はシッカリと捉えていた。
仔ネズミである。
まだかなり幼い、小さなちいさな薄茶色の小動物。
食べ甲斐はなさそうだ…
と竜崎はまたふんぐあーと大きく口を開ける。
部屋の隅っこで厳重警戒態勢中の仔ネズミが、ビクッと飛び上がるのがわかった。
怯えている。それはそうだろう。竜崎に捕まったら喰われてしまう。
大丈夫ですよ。私、こうみえても舌が肥えてますし、甘いものしか食べませんし、そもそも貴方になんかぜんぜん
興味ありません。
いかにもそんな風な態度でヒラリと椅子から飛び降りると、竜崎はペタペタ足音を立てて部屋の外に向け歩き出す。
いまだ!
その隙にダイニングに向かってダッシュした仔ネズミの細長い尻尾の先が、
ハシッ!
捕まった。
つんのめってビタンッ!と床に倒れたあと、振り返ったら、黒猫がニンマリ笑っていた。
竜崎は探偵である。普段はわざと足音をたてて歩くが忍び足や気配を殺す事などお手の物だし、
いざとなれば飼い主の人間よりも俊敏に動くことも出来る。
だって猫だから。
ジタジタバタバタ暴れる仔ネズミを片足で軽く踏んづけて、さて、と小首を傾げた。
この、私にお菓子泥棒の濡れ衣をかぶせたコイツを、どうしてやりましょうか。
ドライフルーツの件は濡れ衣だが竜崎は前科もちなので、本来あまりエラそうに憤慨できる立場でもないのだが
自分に優しく他人に厳しいのが竜崎だ。
そうしたら足の裏の肉球の下から、プルプル震える気配が伝わってきた。
逃がさないよう気をつけながらソッと押さえつけていた片足をずらすと、恐怖のあまり縮こまった小さなちいさな薄茶色の
小動物が、ウルウル瞳を潤ませながら竜崎を見上げていた。
…助けて…お願い…食べないでください…
う。
柔らかく滑らかな驚くくらい綺麗な毛並み。クリクリとしたつぶらな目。愛くるしい容姿。
…お菓子を勝手に食べてごめんなさい…でもお腹がすいて我慢できなかったんです…
うう。
ピルピルふるえながら涙目で訴え続ける仔ネズミの様子に、竜崎に動揺が走った。
ううう。
かかかかわいいです。
猫なのに。ネズミなのに。
…もう二度としません…ごめんなさい…許してください…助けてください…
あまりに素直で健気で可哀想な態度に、つい仏心が出てしまった。
竜崎は猫の矜持を折り曲げて仔ネズミを助けてやることにした。
仕方ないですね…と拘束していた片足を持ち上げた、
とたん。
ガブリッ!
え?
すばやく身を翻した仔ネズミは竜崎の足元から逃げだすと、力いっぱいその足に
齧 り つ い た 。
───!!
「馬鹿だな。ネズミに絆される猫なんて、たいしたことないねオマエ」
今度こそ猛ダッシュで安全圏である家具の裏に逃げこんだ仔ネズミは、チロリと顔だけ出して小馬鹿にしたように
竜崎に向かって言い放つ。
痛みに尻尾の先まで痙攣しながら
しまった!あの仔ネズミはあのワタリに気づかれないうちにお菓子をくすねられる位、頭の良いネズミだったのだ!
非力で哀れな小動物などではなかったのだ!
この私としたことが騙された!
だって可愛かったからー!!
声にならない罵りを喚く。
グリンッと剥きだした眼球であたりを見回した時には、薄茶色の塊はとっくの昔に消えていた。
竜崎はガックリと肩を落とす。
これでも名探偵か。情けない。
だって…可愛かったから…
しかしそれにしたってあんまりではないか。確かにネズミを助けてやる猫は馬鹿なのかもしれないが、
仮にも温情で命を助けてもらったクセにあのセリフ。
クソ憎たらしい仔ネズミ。
………でも可愛かった………。
「…せめて名前くらい…教えてくれたって良いでしょうに…」
どうにも恨み言の論点が違う気がするのだが、竜崎が未練がましくポツリと呟いたとき。
「───月だよ。ライト」
そう応える声があってビックリした。
見れば、扉の隙間からスルリと細長い尻尾が消え去るところだった。
追いかける事はせず、竜崎はちいさな影を見送った。
「ライト…月くんですか」
仔ネズミの名は月。竜崎もワタリも知らない間に屋敷に住み着いていたらしい、賢く可愛くこなまいきなお菓子泥棒。
わかりました。つぎは絶対、捕まえてみせます。
竜崎はこころに誓った。猫として。探偵として。
でも捕まえたって、別に喰う気はないのだけれど。

そんなふたりは、出会いから仲良し。

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