明け方にほど近い時間。うすらと空が白みはじめる頃。
ライディングデスクから取り出した書類を捲くっていた男は、フと顔を上げると、音もなく玄関へと大股に急いだ。
わずか数歩の距離で出入口へと移動できる、機能性が集約された現在の棲み処は、以前に暮らしていた古めかしくも
不便な洋館に比べればおおよそ、主の趣味であったが、
じつは男は気に入っていない。
狭く密閉された空間で、あの方とふたり過ごすなど恐れおおい、と思う。
もっと猥雑な人混みから離れ、自由な土地に建てられた、広く豪奢で優美な住まいの方が
あの嫣然と笑うひとには似合うはずなのに、と思う。
それを以前、ポツリと洩らしてしまったときは、盛大に呆れ顔をされた。
「昔とちがって今日日は郊外の一戸建てより、都心のマンションの方が値段が高いんだよ。こっちの方が断然、贅沢なんだ。
それに僕は人間の多い街が好きだ。緑に囲まれた大自然のなかで、オマエと二人きりになって、なにが楽しい。
どうやって生きていけと言うんだ」
非常に現実的かつ即物的な意見は尤もであり、主に対する男のロマンはバッサリ却下され、反論の余地はまるで残っていない。
もともと反論する権利も与えられていないが。
玄関まで迎えに出た男の手が、ドアノブに触れる直前に、厳重に鍵が掛かっていたはずのソレは音もなく開く。
「お帰りなさい。キラ様」
「ああ、ただいま。魅上」
音がなくても、気配がなくても、分かる。
白々と明るく表を照らしはじめた朝の陽光を避けるように、建物の内側へスルリと滑りこんできた美しい黒い影。
造作の整ったちいさな面。スラリと華奢な全身のシルエット。
蜂蜜色の髪がドアを閉めた際に、微かに巻き起こった風にフワリと揺れた。おなじく甘い蜜色をした切れ長の瞳に、
トロリと蕩けている紅い煌き。それを縁取る長い睫毛。すべらかな頬。淡色の柔らかな唇。
いつ見ても綺麗だ。魅上はそう思う。
いつでも、どこでも。どんな瞬間でも。惹かれずにはいられない。
彼の姿を目にした瞬間、時が止まる。視線も、思考も、想いも、すべてが彼に向かって集中する。吸い寄せられる。離れられなくなる。
魅上の偽りの命などとは比べ物にならない、この世の何より誰より尊い、ひと。
私の神。私のキラ。私の主。
夜神 月。
「狩りは如何でしたか」
放り投げられた上着を如才なく受けとりつつ、静かに尋ねてきた影のごとき下僕に、月はハ、と乾いた声をあげた。
「出すもの出して、ヤることヤってきたってカンジかな。如何もクソもないさ」
「………口が悪いかと」
「おんなじ事だろう。溜まったモノを出して必要なモノを摂取する。
まさにセックスと排泄と食事を兼ねてるんだから」
ドサ、と気に入りの一人掛けソファに腰をおろし脚を組む、まだ若く、麗しい外見をもつ主の様子を、魅上は注意ぶかく観察した。
為すことを成した充足感で、尊大に寛いでいる風にも見える。
終わりのない虚無感に疲弊しきっているみたいにも、見える。
魅上程度の存在からでは、主の本当のこころは読めない。真実の姿は、わからない。
ただ、いつまでも今のまま今の夜神 月のまま、共に在れれば良いと願うばかりだ。
「殺したのですか?」
「当然」
「…気に入った人間は、見つかりませんでしたか」
「なんども同じことを言わせるな、魅上」
眇めた瞳に睨め付けられ、その琥珀の奥に燻る紅い炎が一瞬、ユラリと昇りたつのを認めて。
魅上の背筋に戦慄と、それから光悦の痺れが、走りぬけた。
「人間なんてクズだ。ただの餌だ。
いいや、僕が食するにも値しないヤツラがこの世界に我が物顔でのさばっている以上、害虫だ。人間は、悪なんだ。
そんな害虫を駆除し殺しこそすれ、なんでわざわざ同族に引き入れてやらなきゃならない。
僕の血を分け与えなきゃならないんだ。冗談じゃない」
「しかし…有事の際の、保険にはなります。私のように」
淡々と応える男の様子に、月は細い指先を唇に沿えて声もなく笑う。
「その為」に魅上は存在している。存在を月に赦されている。
下僕であると同時に、自分は神の命綱でもある。それは、どれほどの優越感を男に与えてくれる事実か。
魅上は、本気でそうするべしと進言しているのではない。
月に、キラに選ばれたのは自分一人だけ。神の傍らに侍ることを赦された人間は、この世界で唯ひとり。
それは男の替え難いプライドだ。だからこそ同じ立場の「下僕」が増えることを、喜ばしいと感じる訳がないのだ。
しかし反面、月の身を心から案じているのも確か。だからこそ建前上、すでに聞き飽きている忠告のセリフを
何度でも繰りかえす。
そして月も、そんな事はよく知っている。
「オマエを生かしているのは、オマエが使える人間だったからだ。魅上。
オマエは優秀だ。僕に対する忠誠心も相当なモノだ。だが、オマエのその盲目的なまでの献身を、僕は逆に信用していない。
オマエは詰めの甘いところがあるし、何より余計なことをする。
だから、オマエが僕の許可なしに勝手に人間を襲うことはけして赦さない」
「はい。キラ様」
かなり酷い言われ様だったが、魅上は粛々と頷いた。
信用されていないのであれば、信用して貰えるよう努力すれば良いだけのこと。
認められていないのであれば、認められるまで、隣に居ればいいのだ。
「僕に逆らうな。大人しく従っていろ。そうすればオマエだけは僕の目として残してやる。
………僕の血を、分け与えてやるよ」
微笑した琥珀の双眸に、紅い灯火が大きく揺らめき。
瞬間、クラリ、と男の意識が酩酊する。
遠ざかる世界のなか、主のまろやかな囁きだけが、魅上の頭のなかで木霊する。
「欲しいか魅上」
今宵、仕入れてきたばかりの真新しい血。
かりそめの命を続ける以上、必要不可欠で、だが禁じられているから自分で手に入れることは叶わない。
毎回かならず月を通して施される、甘いあまいあまい、ソレ。
本能が啼いた。
欲しい。
鼓膜に、主の掠れた呻きが響いた。苦痛でありながらも艶やかに嗜虐心を煽る、嬌声。
「あうっ…!…あ、あ」
逃れるみたいに痩身が悶えるのを両腕で抱きすくめ力一杯押さえつけ、まるで絹糸で編まれた極上の薄布を思わせる
素肌に牙を立て、メリメリメリッと容赦なく彼のひとの肉のなか、己を刻みこむ。
熱い。心地よい。たまらない。
そこから流れこんでくる甘露。生命の息吹。
奔流となって全身を流れ、より男を欲望へと駆り立てる。
「あ、あっ…はっ…魅、上」
太く鋭い牙で月を繋ぎとめ、滴る体液を貪りながらその肢体を忙しなく弄った。
魅力が月とセックスを交わしたのは、たった一度きりだ。それ以来、許されてはいない。
けれどこうして血の施しを受けるたび、その時の快感は鮮やかに蘇り、神経の隅々まで蹂躙され、
しばしの悦楽と幸福に酔い痴れる。
この行為はセックスと排泄と食事。それ以上でもそれ以下でもないさ。
冷静な月の言葉。
でも魅上にとっては、自分のすべてを犠牲にしても手にいれたかった、最上で刹那の歓び。
「は…は、くっ…」
無我夢中で貪っていると、なぜか腕のなかの愛しいひとがクツクツ哂っている気配がした。
愚かだと思われてもいい。馬鹿な人間だと罵られても、それでも。
貴方を離さない。
たとえこの生が尽きる時がきても。自分はこの人から、離れない。
いま、手にしている大切な存在を喪くさないように。魅上は抱き締める両腕に必死で力をこめた。


「死体の処理はどうされましたか」
「それをわざわざ訊くか…?
その場で塵になって消えたよ。肉片ひとつ、残っていないさ」
「ならば良いのですが」
行為のあと。
ぞんざいに着衣の乱れを直していた月に問いかけた魅上は、ライディングデスクに放りっぱなしになっていた書類等を
手早く片付けはじめる。
「なんだ…またマスコミか」
察しよく月が呟いた。
先刻、月が戻る前まで調べていた資料を片手に、魅上は振りかえり、しばし躊躇ったのちに口を開いた。
「行方不明者の数が増えているとニュースになっていました。警察も動き出しています。
それに、詳細は分かりませんが極秘裏の捜査も始められたようです。
現在ではまだ個々の事件性と関連性を調べている程度ですが、世間ではあらぬ噂も立ち始めている。
いつ、我々の存在を嗅ぎつけられるか」
「ふっ」
馬鹿にしたみたいに鼻を鳴らした。
「そんなのは承知のうえさ。警察が動くのも、おかしなヤツラが出てくるのも。いつの時代だってそうだったじゃないか。
大体、どうやって僕の正体を調べる?人間には分からないよ。餌にした連中の死体は残らない。証拠もない」
「それはそうなのですが…用心するに越した事はありません。
すこし狩りの回数か、人数を、抑えるべきではないかと」
「ひとを殺すと気分がいい。魅上」
突如、鮮やかに笑って、月は高らかに告げた。
高慢で、高貴で、高みから愚民を見くだす、冷酷でうつくしい神の相貌だった。
「オマエは知らないだろうから教えてやる。人間を殺すと、ひどく気持ちがいいんだ。
塵になって風に吹かれ消えていくその時だけは、彼らもとても綺麗な存在だ。キラキラ砂塵になって朽ち果て、
この世界と同化し、生命は還っていく。
そして世の中は殺した人間分だけ、浄化される。清らかに、優しくなる。
魅上。僕は仲間を増やさない。けれど人間たちは自然界の摂理に反し、どんどん自分勝手に増殖し、
この世界を壊していく。どこかでそれを喰い止める、神の手が必要なんだ。
生物界の頂点に立ち、天敵のいないホモサピエンス。彼らの真の天敵はなんだと思う?」
「…人間同士の憎悪感情が産みだす、戦争という名の自然淘汰」
「それから新種のウィルス。───すなわち、僕だ」
仮面を入れ替えるみたいにニコリと無邪気に、月は微笑んだ。
魅上は荒ぶる神の言葉を耳にする殉教者のごとく、項垂れた。
「逃げも隠れもしない。邪魔者は捜しだして始末する。ついでにこれも教えといてやる。
勝つには守るだけではなく、攻めること。
僕を捕まえようなんて愚かなマネをする人間たちには、神の裁きが下るまでだよ」
「畏まりました…キラ様」
「シャワーを浴びてすこし休む。朝日が眩しい。遮光カーテンをひいてくれ。
昼過ぎには起きるから、それから食事とコーヒーを」
「はい。ごゆっくりお休みください」
気だるげに立ち上がり浴室へと消えていく後姿を見送って、魅力は考えた。
月は、キラは同族をけして増やさない。本能が命じるままに。
それが意味するのは、彼が孤独な存在であり、いずれは、いつかは、絶滅する孤高の種であることの、証。
キラの思想。月の想いと強い意志、行動。目的。そのすべてを肯定し、支えたいと思う。支えになりたいと願う。
彼の力になりたい。彼に必要とされたい。月に、自分を認めて欲しい。
それこそが魅上の存在する目的。生きる手段も理由も、月から与えられた。すべてが月の為に。
キラの為に。
ただひとり。選ばれた自分だけが、彼の為に、と。
己だけの神に祈りを捧げ誓ったあと。男は命じられたとおり、下ろされたブラインドのうえから更に厚手のカーテンをひいて
室内を暗闇の時間へと巻き戻した。
太陽の光は彼らの敵ではなかったけれど。
また、味方でもなかったので。


魅上は知らない。
たったひとり赦されたはずの自分の他に、もうひとり。
月の牙に掛かりながら生を赦された男の存在があることを。
探偵という業を背負ったその男が、ヒタヒタと、暗闇よりもなお昏い闇として
月に迫っている事実を。
本当の敵は、彼らの棲み処である暗闇にこそ、潜んでいるのだという真実を。











月→「CHILL6」 管理人 ボム山 様より
竜崎→「ゼロ博」 管理人 藤魔子 様より
照→「アネクメーネ」 管理人 アリスレオ 様より
リクエストして合作イラスト頂戴致しました!ありがとうございました!

貴重な1枚かと…笑。2月の月誕で集まった深夜、御三方が眠気で意識朦朧としている隙をついてリクエストのうえ
強奪しました〜!
リク内容は、竜崎さんの血を吸うバンパイヤ月ちゃん、それに仕えるバンパイヤ照坊、でしたが…
なんとゆうか、作家様それぞれの作風がものの見事に反映されたイラストになっている様な気がします〜笑。
血を吸われながらも強気(鬼畜)の竜崎さん。吸血鬼ならではの色気漂う月ちゃん。
そして、何故か笑いを誘う照坊…(失礼)…いえでもコレ描かれたアリス様ご自身が爆笑していらっしゃいましたし!笑
照坊の牙を前歯にしようかって…それじゃさ○まちゃんになっちゃうよって…深夜ならではのおかしなテンション大炸裂☆
結果、ステキな萌絵が出来上がりましたvv
これを萌活に、バンパイヤストーリー頑張りたいと思います。