くれなずむ街の茜色に染まった空。
とおく飛ぶ烏の群れ。
家路をいそぎ路を走るこどもたちの騒ぎ声と、それを迎えいれる母親の声。
夕餉の支度にとりかかった家々から流れるあたたかい湯気と食欲を誘うにおい。
しだいに夕闇の帳が落ちるなか、ポツポツと点りだす灯りと団欒の影。
それを窓から眺めているだけで、僕は幸福な気分になれるんだ。
雑多な下町の片隅で、ひとびとは精一杯まいにちを暮らしている。
僕たちもこの街でしあわせに生きている。
皹割れたコンクリートが剥きだしのボロアパートだって住めば都っていうじゃないか。
ねえ竜崎。
いちど僕らは永遠に引き離された。それはキラという名の僕自身の手による辛い別離で、
僕はそれに耐えられなかった。
オマエを失った哀しみに、オマエが死んでしまったショックに耐えきれなかった。
だからもういちど。オマエが僕のところに戻ってきてくれたとき。
僕は今度は僕の手で、キラという僕自身を殺してオマエと一緒に逃げたんだ。
あのとき、僕が壊れたと父さんは叫んでいた。
実際そうなのかもしれないね竜崎。
オマエとふたり逃げ隠れるように移り住んだこの土地。この家。築何十年だか知らないけど裸電球に日の差さない
四畳半一間の湿った部屋。
いまどきありえない破格の家賃だから、当然フロもトイレもついていない。でもここは間違いなく僕らの城。
隣室との壁が薄いことだけがオマエと愛しあうときには気になるけれど、僕が声を我慢すればいいだけだから。
うん。たいした問題じゃないよね。
ああ夜風がきもちいいね。そろそろ風呂にでもいこうか。一緒に帰ってきたら、一緒に夕飯を食べて、一緒に眠ろう竜崎。
僕と竜崎はつねに一緒だから、そんな僕たちを周囲の人はたまに奇異の眼でみる。
こんばんは。
ニコリと微笑んで僕が挨拶すると、近所のおばさんは曖昧な表情で頷きかえす。
でも別に気にしない。他人にどう思われたって構いはしない。
じつは竜崎は風呂があまり好きじゃない。なので僕はひとりでゆっくり銭湯の湯に浸かって、そのあいだ文句もなく
大人しく待っていてくれた竜崎と一緒に、僕らの部屋に帰る。
僕らは言わば駆け落ちした身で、なにもかもから逃げだした身で。結果としてお金がないから今晩も粗末な夕食だけど、
食事なんか何だっていいんだ。
モヤシと卵を炒めて、あとワカメの味噌汁もつくって。ああ米が残りすくないなあ。そういえばティッシュももう無いんだった。
よく使うから、駅前で配ってるのを貰うだけじゃ足りないんだよね。こんど特売するのっていつだろう。
竜崎は相変わらず甘いものが好きで甘いものさえ食べていれば満足だ。いまは商店街の福引でもらった景品のキャンディー
を舐めている。
お菓子がなにもないときは砂糖を舐めるんだよなアイツ。まあいいけどさ。
ふたりで囲む卓袱台。とりとめない会話をしながら食べる夕飯はとても美味しくて、たのしい。
しあわせだなって感じる。ねえそうだろ竜崎。
ぶらさがった紐をひっぱって電球の灯りを消すと、ちゃんとしたカーテンが掛かっていない窓から月あかりが差し込んでいた。
ほの明るい部屋の毛羽立った畳のうえに薄い煎餅布団をひいて、僕は服をぜんぶ脱いでから横たわる。
開いた両脚のあいだにいる竜崎の視線がチリチリと肌を焼く。ぜんぶ見えちゃってるんだろうな。
恥ずかしい気もするけれど今更な気もするし。
竜崎にならどうされたってかまわないし。
僕のなかに潜りこんできた竜崎に、背を反らし固く目を瞑り唇を噛みしめた。だから、壁が薄いんだってば!
声を漏らしちゃいけないと必死で喘ぎを殺す僕をからかうみたいに、意地悪な竜崎はワザと緩急つけて僕を貫き揺さぶり、
そのたびに翻弄されて睫から雫がこぼれおちた。
ひっ…うっん………っっ!!
ティッシュが無かったからハンドタオルで放った熱を受けとめた。明日の朝、洗うのが面倒だけど一枚しかない布団が汚れる
よりは、ぜんぜん、いい。
乱れた呼吸を整えながら、満たされた想いに瞼を閉じた。
穏やかな優しい眠りが僕と竜崎を包んだ。
ずっとこのままふたりで暮らしていけたらって、おもってたんだ。
あんまり幸せだったから。オマエと一緒に過ごした時間が。日常が。まいにちが。
しあわせだったんだよ。ねえ竜崎。
竜崎の様子がおかしかった。
どんどん食べなくなって、元気がなくなって、口数が減り、僕が話しかけても返事もしなくなり。
やがて項垂れピクリとも動かなくなった。
ゾッと悪寒が背筋を走った。そんな。まさかそんなことが…。
また───僕は竜崎を失うのか。
せっかくかえってきてくれたのに!
竜崎!竜崎!りゅうざき!
冷たくなった竜崎の名を半狂乱で叫ぶ僕の様子を見かねたのか、近所のおばさんが救急車を呼んだらしい。
サイレンと赤く点滅する光が僕らの部屋に近づいてきても、僕はまだ泣き喚いていた。
僕と竜崎はふたたび引き離された。
なにも喋らず、ただ黙って口を噤む僕に病院の医師たちも困惑したけれど。
ひとつも話す訳にはいかない。まさか父さんたちに連絡を取られる訳にもいかない。
必要書類には名前も住所もデタラメを書いて、どうせ保険証なんて持っていなかったことも幸いして、有り金ぜんぶ払って
運びこまれた白い建物、窓に鉄柵のついた病室から逃げだした。
何駅分もの距離を歩いて、歩いて、歩いて。ひたすら歩きつづけて足が動かなくなるころ。
ようやく帰りついた。
僕らの部屋に。
竜崎のいない、ふたりの部屋に。
鍵を閉め忘れたドアをあけて中に入った。夕陽で赤く染まった四畳半の部屋のまんなか、救急隊員に連れ出される以前その
ままに、卓袱台の上にかつて竜崎だったものの亡骸が放置され干乾びていた。
ノロノロと靴を脱いでへたりこんだ。竜崎の亡骸を抱き締めた。
───好きですよ月くん。
そういってくれた竜崎は、もういない。
───愛してます。
そういって抱いてくれた竜崎は、いなくなってしまった。喪失に耐えきれなかった僕のために戻ってきてくれた竜崎は、ほんの
短い時間を僕と過ごし、ふたたび去って行ったのだ。
なんて酷い。
細い嗚咽が咽喉からもれる。もう生きていたくなかった。
オマエのいない世界になんて、僕もいたくないよ竜崎。
どのくらいそうやって泣き崩れていたのか。
やがて気がつくと辺りは薄暗くなっている。何故そのことに気づいたのかと、僕がボンヤリ考えていると、
トントン…トントン。
また髪を小突かれる。そうだ。これでフと我にかえったんだっけ。
ノロノロと腕から顔をあげて、目の前の存在に唖然とした。
干乾びた竜崎の亡骸の根元。そこに、チョコンと小さなちいさな竜崎が新しく生えていて、
僕の顔をみてニンマリと笑ったのだ!
え?!オマエ一年草じゃなかったの?!
冬になったから枯れたんじゃなかったの?!
驚愕と同時に、またドッと涙が止め処もなく流れた。
そうだ。いちど僕の前から消え去った竜崎は、べつの姿を借りて僕のところに戻って来てくれたんだった。
そうやって何度でもなんどでも繰り返し、竜崎はかえってきてくれるんだ。けして僕から離れたりはしないんだ。僕を独りに
したりはしないんだ。
僕はそんな竜崎の愛を、ただひたすらに信じていればいいんだ。
ああ良かった。そんなオマエが大好きだよ竜崎。僕もあいしてる。
───お還り竜崎。
安堵して、泣きながら笑って囁いた僕に、ちいさな竜崎も微笑んで、
僕らは顔を寄せ合い、チュッとおかえりのキスをかわした。
そうしてまた僕たちのしあわせな日常がはじまる。
「幸せですか」
つまりこういうオチでした…笑。


「ゼロ博」 管理人 藤 魔子 様より
ありがとうございました!
触手触手触手!あはははははは!!(爆笑)
タイトルはさださんです。神田川でも良かったです。
涙が出てくるくらい不憫な(触手)L月。MコさんにOKもらえたのであらすじも一緒に載せました〜。
おれんち祭りで萌りあがり腹筋が痛くなるくらい笑ったのに
「月が可哀想だから描けない…」と最後に掌かえしたMコさんが原案者です。流石ですね!
だからイラストがないとSSの意味がわかりません。すみません…。