「月くん」
目を開けたら、竜崎の顔があった。ついさっきまで見ていた筈なのに、ひどく懐かしい気のする男の貌。
ボサボサの黒髪も、いい年して指を噛む悪癖も、姿勢の悪さも、眉がなくて、かわりにまっくろい隈付きの
双眸が、まっすぐに僕を覗き込んでいる、その無遠慮で不躾で何もかも見透かす眼差しも、
僕の名を呼ぶ、ユックリ動く唇の動きすらも。
懐かしい。
懐かしくて、あまりに、愛しくて、切なくて、重たい。
胸が締めつけられるように痛い。
「月くん」
僕の名を呼ぶ。僕はパシリパシリと瞬きする。睫がグッショリ濡れていた。目尻からは次々と
雫が零れているのが分かった。泣いているんだ。こんなに涙を流すのは、いつぶりだったろうか。
「月くん。…目が覚めましたか?」
「………覚めないよ」
覚めないよ竜崎。僕はまだ夢のなかにいるんだな。ちくしょう。まだ悪夢を見続けるんだな。
死んだ筈のオマエが僕の目の前にいるという悪夢。
死んだ筈のオマエにふたたび出逢えるという奇跡。
そうか、今日はクリスマスイブだったか。ミサの作った、甘ったるい匂いのするケーキに触発されて
この男を夢想したか。
サンタクロースから僕へのプレゼントは、この束の間のまぼろしか。
こんなのいらない。いい迷惑だ。
こんな甘く優しく残酷な悪夢は、嫌だ。二度と目覚めたくなくなるから。現実に還りたくなくなるから。
ひとりぼっちで、寂しくて、哀しくて、虚しい新世界に。
「ミサ。清美。魅上。………誰でもいい。誰か、助けてくれ」
「月くん」
「竜崎───どうして。オマエじゃない」
そうだ。オマエじゃないんだよ。僕の求めているモノ。
僕が欲しいのはあと少しで手に入れられる理想郷。サンタなんかの力を借りずとも、自ら創りあげる正しい世界。
矛盾している。
僕は新世界を選んだ。キラとして、邪魔な障害物であるLを倒し、神になる事を。僕は自らの意思で選んだ。
どんなに寂しくても哀しくても辛くても、独りでも、成さねばならない正義があると。
僕の選択は誤りでない。僕は後悔してない。僕は、不幸ではない。
でも竜崎を喪って、からっぽになった。ポカリと穴が開いた。また退屈でつまらない毎日に戻ってしまった。
さみしい。
竜崎に、逢いたい。
だからこんな夢をみている。
僕は、バカだ。
何でオマエなんだ竜崎。何で僕はオマエじゃないとダメなんだ。何で僕はオマエを殺してしまったんだろう。
何で死んだオマエに逢えて、こんなに嬉しく感じるんだろう。
「───」
無言のまま、宥めるみたいな触れるだけのキスをされ、静かに髪を梳かれて、ますます混乱した。
本当に夢なのか?
どこまでが夢で、どこからが現実か、分からなくなってくる。
竜崎。オマエ、とっくに死んだだろう?僕が殺しただろう?それが事実だろう?
僕はオマエの事は忘れると誓った。忘れなきゃいけないと。
なのに今頃、僕の夢に勝手に現れてくれるなよ。迷惑千万、嫌がらせなのか。どこまでも僕の行く手を
遮るつもりか。僕の決心を鈍らせて、躊躇わせて、隙をついてキラを捕まえる気なのか。
「消えろ馬鹿!オマエなんかに負けない!僕は新世界の神になるんだ!」
唐突に、横たわったまま手を振りかざしてヒステリックに喚いた。感傷的になっていて、我ながらガキくさい
反応だとは思った。
虚を突かれたらしい竜崎は、微妙にしかめ面をすると、
「ちょっと月くん。もしかして寝惚けてるんですか。落ち着いてください」
冷静に言われたので、なおさら怒鳴りかえす。
「うるさい!誤魔化すな!オマエがLで、僕がキラだ!僕たちは敵同士だ!夢なんかに騙されるものか!
そうだ、僕がキラだ。
僕は、新世界の神にならなきゃいけないんだよ。その為にたくさんの代償を支払って、父さんや、家族すら犠牲に
してきたんだよ。キラは絶対に神になって、人々を導き正義の世の中を創世しなきゃならないのに、
それなのにオマエが」
邪魔をするから殺したのに。
僕は、本当は、
ずっとオマエと共に在りたかったのに。竜崎。
「殺したくなんか、なかったのに…」
「はい、そうですね。急に素直になりましたね」
「だってコレ、どうせ夢だろ?オマエはとっくに死んでる。僕の、都合の良い夢なんだろう?」
孤独な夜が見せる、ほんのいっときの幻想。
だったら別に何を口にしたって構うものか。本音を告げたところで。
「はい、たしかに私、死にました。しかし残念ながら夢オチではありません」
「…え?」
「貴方も死んだんですよ月くん。忘れたんですか」
「………あ」
パシリ、と。
瞬いて、雫が弾けた。風船が割れるように思い出した。自覚した。とたん正気に、我に返った。
頭に血が上った。
そうだそうだそうだ思い出した!ぜんぶ丸ごと思い出した!ちくしょう!
僕は竜崎の死後4年経って、SPKのNこと二アや、日本の捜査本部の連中に追い詰められ、
最後はリュークに名前を書かれ死んだんだった!くそ!やられた!屈辱だ!
死んだ。死んだんだ。そうだ。竜崎も、僕も、等しく、死んで、
………。
………え?えええ?竜崎?死んでる?僕も?死んでる?
じゃ、ここは…?
「さあ。私にもよく分かりません。が。とりあえず他に誰も居ないのは間違いないです。
私と月くんの二人きり」
「…へえ…じゃ、リューク曰く『無の世界』って奴じゃないのかな…」
人間が死んで逝く場所は皆おなじ。待つのは「無」だと、あのバカ死神は言っていたけれど。
「死んでも死に切れなかった、未練を持つ人間の集う場所ですかねえ」
「そんなの、未練なんて皆あるだろう。誰もが大往生な訳じゃないんだし」
「まったく同じ心残りを抱いた死者が、再会するところだとしたら?」
「………ああ、なるほど」
心残り、という言葉にスンナリ納得する。納得せざるを得ないし、割とどうでも良かった。
どうせ真実は分からない。
死にたくない逝きたくないという生への執着ではなく、果たせなかった願いと想い、過去への哀愁。
───クリスマスは12月、月くんの誕生日は2月ですよね。
聖なる夜と、この世界に生を受けた感謝を込めて、ケーキと苺とシャンパンとクラッカーで盛大にお祝いしましょう………
叶えられず終わった、かつての約束を。
だから僕はあんな夢を見た。キラであってもキラでなくても、どんな世界ででも、
僕は竜崎と過ごすアニバーサリーが欲しかったのか。
竜崎がいなくなってから、ミサと住んでいた日本のマンションでクリスマスを過ごしたのは、ほんの数回。
そのたびに思い出していた。
もし。もしも今日という日を二人で迎えられていたなら、どんな夜だったのだろうと。
「私も、残念だったみたいです。
月くんとは結局、一度もお祝いをせずお別れするハメになりましたから」
「ふうん…」
本気とも嘘ともつかなかった、口先だけの下らなくも他愛ない、あの日のやり取りを、
竜崎。オマエも憶えていたんだな。
あの会話が、あの約束が、僕は嬉しかったんだ。忘れられなかった。死ぬまで、死んでも。
オマエも同じだったんだな。
「再会を祝して、乾杯しましょう月くん」
飄々とおどけた風に竜崎が笑うので、僕は膝枕していた男の上から身体を起こして、コックリ頷いた。
もう、ぜんぶ終わったから。
素直になってもいい。
「…そうだね。竜崎とは何もしてないよな。クリスマスも、正月も、バレンタインも」
「月くんのお誕生日も。これから何回でも祝杯をあげられますね」
「竜崎のだって祝ってないし」
「あ。いえ。実は私…バースデイはハロウィンの日でして。
なので一応、月くんからのお祝いは頂いているという事で………」
「あ…あ!あああああの日か!あの晩かよ!
どうりでオマエしつこかった筈だ!僕はてっきり、僕がキラの記憶を取り戻したのに気づいて
竜崎は興奮してるんだと…この変態がって思ってた…なんだなんだそういう事だったのか」
「はいソレもアタリです。が。今まで言えなくてごめんなさい」
「まったくだな!…まあ、いいさ。もう教えてくれるんだろう?Lの本当の名前だって」
「はいそうですね。呼んで欲しいです。月くんに、私の名を」
今度こそ。嘘偽りなく。
Lも、キラも、終わった。ここに居る僕らは、約束を叶える為にもう一度出逢った、ただの恋人同士。
いくつかの可能性があった未来。いくつもの関係があっただろう僕と竜崎。その中で、一番哀しい結末を
選んでしまった僕らだけど。
どんなカタチであれ、様々な未来を孕んだ夢の中で、僕と竜崎は共にいた。
きっと、ふたり一緒に在ることが運命だった。
別たれた絆は、奇跡の夜に、神様からのプレゼントで甦る。サンタクロースの袋の中から取り出されたモノは、
生クリームとチョコレートケーキ。メリークリスマスとハッピーバースデーの文字。
苺とシャンパン、クラッカー。
食べて飲んで喋って笑って、口づけして、抱きあって抱き締めあって、
「これからはずっと一緒ですね」
「そうだね。ずっとずっとずっと、一緒だ」
僕らは眠りにつく。
もう二度と悪夢は見ない。哀しい現実にも還らない。
穏やかで優しい、甘いあまい夢のなかで、
永久に、ふたりきり。