竜崎は面白い。正確には、竜崎と話しているとたのしい。
…腹のたつことも多いが。
薄々かんじていた事実を最近ようやく、月は認めるようになった。
「へえ…じゃあ陽の国やその周辺国では、貨幣価値が圧倒的に高いんだ」
「そうですね。貿易も闇取引以外はすべて共通貨幣でとり行われていますし、各国内の物流も同様です。いまどき
金砂やダイヤを持ち歩いているのは、それこそ私たち海賊やならず者たちくらいでしょうね」
「国力や治安が安定している証拠だな…凄いんだね南の国々は。…夜の国ではいまだに物々交換が主流で、貨幣
の価値は…ほとんどないに等しいな」
「世界的にみればそういった国の方が多いですよ。南の方角には国土がひろく資源の豊かな国が集まっています。
恵まれた土地があれば人々は潤い、ちからのある国家がつくれる。しかしその逆もまた然りです。国々によって事情が
異なるのは当たり前です」
月は読書が好きである。
大概は生まれ育った城のなかで日々を過ごし、夜の国からは一歩も足を踏み出したことがなかったけれど、
そのかわりにあふれる知識欲と好奇心と探究心はこれまで、ほぼすべてを本で満たしてきていた。
夜の国のなかでも抜きんでて聡明で、思慮にたけ、また学ぶことそのものを愛していた月は。
だから、たとえ小さな国の小さな城に住まう身としても、けしてその頭脳がほかの誰かに劣るものだとは今まで一度として
感じたことがなかったのである。
だが。
正直竜崎と話していると、その圧倒的な知識の多さに、月は脱帽するよりほかない。
「文化人は南よりすこし西寄りの地帯におおく住んでいます。彼らは商業のさかんな土地よりもひとの少ない穏やかな
場所をえらぶ。私も南の国よりは西の国の方が好きですね。
そういえば、月くんの気にいった華の絵があったでしょう?アレを描いた人物は私の知りあいなんです。今度、彼のところ
にいって月くんのために新しい絵を描いてもらいましょうか」
「頼んだら描いてくれるほど…親しい相手?」
「もちろんですよ。あとは近々寄港した際に、先日貴方が読んでいた本の続編を手にいれましょうね。
出版しているのがこの近くの国でしたから、このあたりなら手に入りやすい筈です」
「よく知ってるな…」
人脈の広さや引き出しの豊富さ。しかも量の問題だけではない。
なにより彼の話すことばは月の知るそれと質が違い、生の迫力がある。
他の誰かからスライドしたモノじゃなく。卓上の文字とはまったく異なり。
世界中を船でまわり、自分の目で見て、肌でふれて、手で掴んできた経験。
実体験として学び得た膨大な知恵。
「どちらにしても一度上陸する必要があります。陽の国に行くための物資を調達しないと。
もうすこし進むとちょうど貿易の中継地点にあたる国がありますが、そこなら入国審査も税関もユルイですし、いろいろ
都合がいい」
「帰属国の刻印のない船を…停泊させる港もあるんだ…」
「それは当然ありますよ。海が真水では私たち魚は棲めません。もちろんそれなりの停泊料も支払いますから、むこうも
ビジネスです」
海千山千の男のそれに、月は負けを感じて悔しく思う反面、素直に憧れた。惹かれた。
竜崎との会話から、自分の知らなかった世界をリアルに垣間見ることが出来る。
まるで無知を指摘されるみたいで苛つくときも多々あったけれど、それでも純粋にたのしい、と。
やわらかな海綿がみるみる水を吸収するかのように。月は竜崎から物事を学びとる。
夜が更けても夢中になってふたりで話す時間が、いつの間にかふえていた。
その事実には、月は気がついていない。

部屋から月を連れだすことに成功した竜崎は、その日から、時間があると強引に月の手をひいて海賊船のなかを案内
するようになっていた。
興味がないわけではないのだが、しかし、ならず者の巣窟ともいえる船の中をウロウロしたいほど、月も物好きな訳でも
なかった。
それでも竜崎はかまわず月の手を握る。
いかにも屈強な男たちの間をすりぬけて歩く、フワフワとひらめくドレスの裾をなびかせて、白い肌とヘイゼルの髪と輝く瞳を
もった美しい人形みたいな月に、誰しもがふりかえり目を見張る。
悪目立ちしている…月は居心地がわるくてたまらない。
竜崎は頓着かまわぬ様子だ。むしろ、ただ月のことを自慢したいがために連れまわしているようなふしすらある。
案内されてわかったことは、船のなかは想像以上にひろく、清潔かつ機能的で、本当に竜崎を王とした一国の城のようだと
月は思った。
さらにそれだけではなかった。海賊たちの行動にはおそろしいほど秩序が保たれ、統制がとれている。
すれちがう時に聞こえてくる彼らの会話、言葉づかい、所作、視線のうごきにすら、完璧に訓練された人間の匂いを感じとって、
月は驚くと同時に眉をひそめた。
やっぱり、ただの海賊たちじゃない。
餓えたケモノのような犯罪者の気配は、微塵も感じられなかった。これならたぶん月ひとりで船の中を歩きまわったとしても、
危害を加えられることもないだろう。
ましてやこうして、この綺麗な人形は竜崎のおきにいりであることが、海賊たちに誇示されたのだ。
月がいちばん驚愕したのは、竜崎を見つめる彼らの目。
底しれぬ信頼と尊敬と、畏怖と、絶対服従のひかりを宿した目。
まちがっても竜崎のモノである月に手を出すことはありえない。竜崎もそれが当然とわかったうえで、月を誘いだしている。
「…竜崎って…何者なんだ…?」
一緒に過ごすようになってから何回かつぶやいたセリフを、もういちど月は口にした。
手を握りしめたまま前を歩く男には、聞こえないフリをされた。

「やあ竜崎。ずいぶん可愛いひとを連れてますね」
突然親しげに声をかけられ足が止まる。ふりかえると開いたドアから男女が一組、姿をあらわしていた。
月は彼らを見てパチリとまばたきする。はじめてみる肌と髪の色だったので。
「アイバー…ウェディもですか。そんな所でなにをしているんです?」
「竜崎が自慢の恋人を紹介してまわっているともっぱらのウワサですよ。だからこうして足を運んでみたわけです」
背の高い、すこしキザな仕草の男と、おもわず豊満な胸元に目がいってしまうセクシーな女。
「暇つぶしですか。残念ですがあなた方に月くんを紹介するつもりはありません。余計なちょっかいは出さないように」
「ひどいな。そんなつもりはありませんよ」
口調から察するに彼らはその辺の海賊たちと違い、竜崎と対等にちかい立場にあるらしい。
とまどっていると、
「月くん。アイバーとウェディーです。彼らは仕事の関係で、私の依頼でこの船に乗ってもらっています。客人に近い人間たち
ですが遠慮はいりません。万一、不愉快があった場合にはすぐに海に放り込みますので言ってください」
「あんまりねえ、L」
ウェディと呼ばれた色気のある女性が、紅く塗られた唇をゆがめながら口にした名に、月はピクリと反応した。
L…?…竜崎じゃなくて…?
そういえば。海風に悠々とはためく白い帆に記された文字。L。
「本当にカワイイ子ね。…もうモノにしたの?」
「うるさいです」
じっと舐めるみたいに向けられる視線に、臆するでもないがどうしたらいいかもわからない。
そんな月の困惑した表情にクスリ…と笑い声をもらすと、
「どうりでここしばらくLからお呼びがかからないと思ったわ。こんなにキュートな恋人がいるなら、私はもうお役御免、てことね」
「ウェディ!」
ピシッとわかりやすく月が固まった。顔がみるみる強張る。
それは指先にまで伝わったのだろう。竜崎の手が焦ったように強く掴むまえに、月はいきおい良くその手をふりはらった。
「アラ…ごめんなさい誤解しないで。別に愛情があっての行為じゃないのよ?かといってLに頼まれた私の仕事がソレなわけ
でもないから…」
「ウェデイ黙りなさい」
「部屋に帰るよ」
なにもかもを切り捨てるみたいに月はさっさと歩きだす。後ろで何やらさわぐ声がしたが聞きたくもなかった。
すぐに竜崎が追いかけてくる。
「月くん待ってください」
「もうだいたい船内の間取りは把握したから、ひとりで帰れる。竜崎は仕事しろよ」
「部屋まで送ります」
あとは黙って歩きつづけた。行きとちがって月のうしろを付いてきた竜崎は、自室にもどりドアを閉めると、
「怒ってるんですか?」
「…そうだね。嫌な気分だ」
「ウェディとは気持ちがあっての事ではありません。長い航海のなかで、私も男ですから溜まるモノを処理する相手になって
もらっていただけです。…月くんは妬いて下さっているので…」
「バカじゃないか。汚いって思っただけだよ。愛情があった方がよほどマシだ」
バッサリ一刀両断されて、失敗した、と竜崎は頭を掻いた。
この綺麗なひとは、生々しい欲望や行為にまったく慣れていない子供だったのだ。ウッカリした。
「…まあ竜崎の女癖がどうであろうが、どうでもいいさ。僕には関係ないし」
「月くんそれは…」
「それよりも。ねえ、Lってなに?」
椅子にこしかけた月が光る目で問いかける。
きゅうに話題をかえられて、竜崎はカクンと首をかしげてみせた。
「さっきウェディってひとがオマエのことをそう呼んだ。船の帆にもおなじ『L』の文字がある。
もしかしてそれが竜崎の本名なのか?」
「『L』が本当の名前という人間は、そうそういないと思いますよ。私の仕事上の呼び名のひとつです。私はいくつかの名を
持っていますから」
「いくつかの名前って…じゃあ、竜崎の本名は何ていうんだ?」
「それは内緒です」
───唖然とした。
仮にも、これから関係を結びたいと望む相手にむかって、言うセリフじゃないだろう…?
「すみませんがまだ教えられません。でもいつか、貴方には私の本当の名を呼んで欲しいと思っています」
「………竜崎」
「それじゃ仕事してきますね。夜に帰りますから」
なにも言えない月を残して、竜崎はさっさと部屋を出ていった。
しばらく茫然としたあと。月は我にかえると立ち上がる。本棚から数冊、本をぬきとり椅子にもどる。
なにか嫌なことがあったり心が乱れたりしたときは、本を読むのが一番良かった。昔からそうしていた。
ページを捲る。ふと気づいた。読み癖がついている。竜崎のものだから、彼がつけたのだろうか。
ずっと以前に、竜崎もおなじようにこの本を読んだのだ。
気が失せて、月はページを閉じると瞼を伏せた。
ためいきをついて、それから考えた。
竜崎は、月の知らないことをよく知っている。月が尋ねれば何でもこたえてくれる。教えてくれる。竜崎と話していると楽しい。
月はいろいろなことを竜崎から学びたいとおもっている。
彼のことばは彼が学んできた知識。
彼の知識は彼がこれまで辿ってきた道程。
じゃあ。竜崎自身のことが知りたい。はじめて月は思った。
けれど、本当に教えて欲しいことには何一つこたえてくれないのだ。あの男は。
月に好きになって欲しいなんて無茶を言うくせに、月が知りたい男の謎は、いつも誤魔化してばかりで。
教えるつもりがないのだ。
なんて嫌なヤツ。
ひどく胸がムカムカした。
怒っているはずなのに、哀しい、と感じた。

知りたいと願うおもいは否応なく男との距離を縮めることに、
月はまだ気がついていない。