夜になって竜崎が部屋にかえってきた。
本から顔をあげ、後ろ手に扉を閉めた男の顔をみる。いつみても健康状態を問いただしたくなるほどの顔色のわるさと
目の隈に、月はしらずため息をこぼした。
「おかえりなさい」
「…戻りました」
ずっと厳しく躾けられてきたので、あいさつというものを月は欠かさない。たとえ海賊相手であってもだ。
そんな月の所作一つひとつが竜崎にはものめずらしく見えるらしい。
ときおり、反応に間があいた。
「またずっと読書ですか」
「他にすることがないからね」
「この部屋に閉じ込めているつもりはありませんよ。暇でしたら、船のなかを歩いてみたらいかがですか」
「遠慮するよ」
興味本位で海賊船を探検するほど悪趣味ではなかった。竜崎に気をつかうというよりも、自分自身の保身のために
月は大人しくしている。
「竜崎、食事は?」
「仕事中にすませました。月くんまだなんですか?」
「さっきワタリさんが持ってきてくれたから済ませたけど、竜崎が食べるかと思って…」
とっておいたスコーンとジャムを見せると、唇がゆがみ動物みたいな歯がのぞく。変な顔だな、と正直に月はおもう。おもしろい。
こうしてたまに、月が竜崎を気づかう行為をみせると、竜崎はきまって変な顔でうれしそうに笑った。へんなかおというのは作り物
でない証拠。それをみるのは、嫌いじゃない。
「無理して食べなくていいよ」
「いただきます。…なんだか月くん、本当に奥さんみたいですね」
「は?」
「おかえりなさい、も。嬉しいです」
「………」
月は表情を消した。きゅうに気分が冷めた。
馴れあいたいわけじゃないし絆されるわけでもないし。口を閉ざした月を、竜崎が子供みたいな仕草で見あげる。
「既成事実はまだですけどね」
「…すきにすればいいって言ってる」
「好きにしますよそのうち。その前に好きになってもらいます」
なるわけないだろう馬鹿なヤツ。
顔をそらしそれ以上かまわず、椅子にすわりなおすと、置いてあった本に再び目を落とす。
なにやら竜崎がゴソゴソしているのも気にしないでいたら、不意に首筋につめたい感触をおぼえ、驚いた。
シャラ…と豪奢なひかりとおとが揺れた。
「なんの真似だよ」
「プレゼントです」
月のなめらかな頸にかがやくブルーのダイヤ。その大きさも光を放つ深い色あいも、まわりをふちどり装飾する石の数々も、
うまれてはじめて見る美しさだ。
まばたきし、魅了されながらも吐息をついた。こんなものをかけられては、くびが重い。
「これで僕を口説いているつもりかい?」
「そんな野暮ではありませんよ。貴方の雪のような白い肌と、ヘイゼルの髪と瞳によく似合うだろうとおもっただけです
…受けとってくださいね」
ちゅっ…と髪に、耳元に、首筋に、口づけられる。
身体にまわされた手にやさしく執拗に弄られ、竜崎の腕のなかでちいさくふるえながら、月は贈られた石に目をむけた。
一緒にすごすようになってから竜崎はこうしてよく、月に貢ぎ物をさしだす。それはドレスであったり宝飾品だったり月の喜ぶ本
だったり、さまざまではあったが、全てが今まで見たことも手にしたこともないような怖ろしいほど希少価値の高いものばかり
だった。
眉をひそめる。
確かに夜の国は小国ではあったが、仮にも月は王室の子だったのだ。
その月ですら持たないものを竜崎が持っている。たとえどれほど大きな海賊船の長であろうと、たかだか一介のならず者でしか
ない竜崎が。
なぜ?
「…月くん?」
「…竜崎って何者なんだ?」
触れていても拒絶もせず黙りこんでいる月に、竜崎が不審気に声をかけたとき。
おもわぬ反応が返ってきた。
「こんな珍しいもの、普通の海賊はもっていない。もし略奪したとしてもすぐに売り払って金にかえるはずだ。
オマエが今まで僕にくれたもの全部、石にしたって絵にしたって貴重な本にしたって。金に換算しないかぎり、その本当の価値を
知っている者しか、所持していたいなんて思わない」
「…貴方は賢いですね」
捲くしたてるように月が言うと、ボソリと竜崎がつぶやく。
侮られた。腕を振りほどこうとしたら逆に拘束がきつくなり、息がつまった。
「たしかに私は『普通の海賊』ではありませんよ月くん。私、けっこう強いですし。こう見えてもこの船の船長ですから色々仕事も
しています。報酬も多いです」
「略奪と殺人の報酬か」
月の痛烈な厭味はきれいに無視された。
「もしかして…従属する国があるのか?」
海賊には大きく分けて二種類ある。どこの国にも帰属せず海域にもこだわらず、海の上をすみかとし戦いを生業とする。それは
共通しているのだが、まったくの自由気ままを謳う者たちに対し、国々と『契約』をかわし、利害が一致すれば従属して契約海軍の
役目も果たす、そういう海賊たちも存在する。
だいたいにおいて前者は無法者集団と化し、そして後者は限りなく国軍にちかい。
そう考えれば、納得がいくのだ。竜崎が不相応な財宝を持っていることも、必要以上に月たちに危害を加えないことも。
わざわざ陽の国に向かっていることも。
───もしかしたらこの船は、陽の国と契約を結んでいるんじゃないか?
「どうなんだ竜崎」
「私のことが知りたいですか月くん?」
逆に問い返され、グッとなった。
知りたくないと言えば嘘になる。月は竜崎のことをなにも知らない。『竜崎』という呼び名しか、知らない。
本当の名前すら。
「月くんに興味をもってもらえて嬉しいです」
「興味なんかないよ。別にオマエのことなんか知りたくもないし…どうだっていいんだそんなこと。勘違いするな」
そうだ。知ったところでなんになる。
どうせなにも変わらないじゃないか。
もう口をききたくないとばかりに唇を噛み締めた月の髪に、「本当にかわいいですね」と囁いて竜崎はキスをおくった。
うまく誤魔化されたことはわかっていたけれど、話しをむしかえす気にもなれない。
月の胸元で、海のような蒼い輝きが、ゆらゆらと揺れていた。