窓からさしこむ、眩しい朝のひかり。
とおく微かに聞こえる、海風の鳴るおととやさしい潮騒。
月はパチリパチリと数度まばたきしてから、心地よいリネンからモソッと顔をあげた。
べッドのうえ。隣に寝ていたはずの竜崎のすがたは、既にない。
ちいさくため息をついて伸びをする。ドレープからはみだした細い足首がフカフカの絨毯におりて、月は立ち上がり窓辺に
よると軋むガラス戸を開けた。
サアアア…ッと、とたんに祖国にはない熱と湿気をふくんだ風が、頬をなで通りすぎる。
ふりそそぐ太陽の光。目に映るのはどこまでも広がる美しい紺碧と白のコントラスト。
海のうえの新しい一日のはじまり。
月はおおきく深呼吸した。
月たちの旅船が海賊に襲われ、とらわれてから、一週間が過ぎていた。
「月様。お目覚めでございますか?」
「あ。おはようございます」
軽いノックとともに礼儀ただしく、初老の男がワゴンを押して部屋に入ってきたので、月はあいさつをする。
それに対し柔和な笑顔で「おはようございます」と返してくるこの男のことを、竜崎は『ワタリ』と呼んでいた。
いつもキチンとした身なりで、海賊船に移ってきてからの月の身の回りの世話をあれやこれやと焼いてくれる。それだけでなく、
側で見ていて、彼の控えめかつ献身的なまでの竜崎への仕え方に、月はこの老人を好ましく思っていた。
「よく眠れましたか?」
「うん。こう言ったら何だけど旅船よりこの船は大きいから、波の揺れもあまり気にならないし快適です」
「それは良かった」
あたたかいカフェオレをつくり月に手渡してくれる。ワゴンの上にはパンに卵、ソーセージに果物、ワインにチーズまで用意され
ている。
たしかに快適だ。
「竜崎は無体をしておりませんか?」
「あははは」
サラリと穏やかでないことを穏やかに問いかける老人に向かって、月は朗らかに笑った。
その程度にふたりはうちとけていた。
「なにもしてこないよ。本当に僕のことが好きなのかなあ?好きなんだったら、相当我慢強いヤツだよねえ」
「竜崎は目的のためならどんな忍耐も苦にならない人間です。それだけ、月様のことを大事に思われているのでしょう」
それを聞いてフ、と。ベッドに腰かけた月は笑うのを止めると、ワタリの顔を見あげた。
老人は穏やかなままで月に朝食の給仕をしている。料理を適当に皿にもりつけ、ナイフとフォークをそえてサイドテーブルに置くと、
丁寧に一礼した。
「終わりましたらそのままで。邪魔なようでしたらワゴンごと通路に出しておいて下さい」
「…ありがとう」
ほんのすこし、さみしそうに見える子供を部屋にのこして、老人は立ち去った。
月はフォークを手に取ると卵をすくう。
焼きたてのそれは黄金色をしていてフワフワで、食べたらとても美味しかったけれど、どこか味気なかった。
「…そうだ。竜崎がどこに行ったか、ワタリさんにきくの忘れちゃったな…」
ポツンとひとり言が、カフェオレの底に溶けて沈んだ。
窓からは、海賊船に並走している月の旅船も見える。
いつもは追尾しているが潮のながれや状況によって、大きな船体に保護されるかたちで航海を続けているらしい。
月が過ごしている竜崎の部屋からは、旅船の様子がよくうかがえた。数人の見張りの海賊たちが要所要所に立ってはいるものの、
雰囲気はいたって和やかに、乗組員たちには笑顔さえみられる。
月が旅船にもどることは一度も叶っていなかったが、竜崎はちゃんと約束を果たしてくれているのだろう。
良かった、と心から思う。
誰も傷つけることなく、奪うことなく、月の守るべきひとたちを代わりにまもってくれている。
それだけではなかった。
羅針盤も航路図もないためハッキリとはわからなかったが、しだいに遅くなる日没と早い夜明け、部屋のなかにいてもわかる湿気の
多さに、月はまちがいないと確信していた。
船は陽の国に向かっている。
本当に旅船を、陽の国に連れていってくれている。
この事実に月は正直とまどっている。
海賊なのに。
道理は通じず、襲い奪い殺すことが生業のならず者たちが、どうしてここまでしてくれるのだろう?
さきほどワタリが言っていた言葉が、フとよみがえった。
───それだけ月様のことを大事に思われているのでしょう………。
───だから、好きになってくれると嬉しいです………。
理由はそれだけ?だとしたらとんだヌルイ海賊だな。
嘲笑うこころにも、力がなかった。
月はフォークを置くと立ち上がり、窓を閉め、シェードをおろす。
外界のさざめきがプツリと消えた。
あれから一度も月を抱こうとしない竜崎。
月との約束を守る竜崎。
そうすれば、月が心を許すと本気で考えているのだろうか。そんなこと絶対にありえないのに。
好きになってほしいって?馬鹿なヤツ。愚かな男。
こころは動かない。誰にもどこにも。月のこころは生まれたときから夜の国のものだ。王室の子として。月のものですらなかった。
だからつらくないのだ。生きていけるのだ。太陽の王の后になると決まったときも、海賊の妾になったとしても。
構わず、勝手にしてほしかった。力づくで奪いたければうばえばいいのに。憐憫や同情、それは月にとって屈辱なだけだ。
出来なければ最初から、月の前にあらわれなければ良かったのに。
愛情や赦しを求められたって、与えられるわけがない。
無礼者に拉致され、その庇護におかれた時点で月にはもう、太陽の王の后になる資格はない。
夜の国にも帰れない。
望むと望まざるとにかかわらず、竜崎のもとで生きていくしか、ないのに。
朝食を食べおわり身なりをととのえると、月は椅子にすわり本を読みはじめる。
竜崎の部屋には圧倒されるほどの蔵書があって、好きにさわっても良いと言われていたので嬉しかった。
ひとりで過ごすのは嫌いでないし、月は自主的に部屋から外に一歩も出ようとはしない。
海賊船のなかで話す相手は竜崎とワタリだけ。ふたりが居ない部屋にはひとりきり。
この世でいま、月を必要としている人間は、竜崎だけ。