さわやかな海風が吹いている。
船のうえには、奇妙な規律が戻っていた。屈強な男たちの指示で、怪我人が担架にのせられ運ばれる。
杭や木筒の鳴り響くおと。戦闘で壊れた船体や帆を、黙々となおし始める従者たち。
皆、沈黙に口を閉ざしたまま。
うつむいた彼らの、やるせない表情。
「貴方はこちらへ」
月ひとりが、海賊船にのり移るように命じられた。拒否権はない。
腕をひかれ立ち上がる。肩を抱かれた。そんなことをしなくても逃げやしないのに。男は、月が自分の部屋に荷物をとりに
行くことさえも許してくれないらしい。
別にかまわなかった。いまさら大切なものなんて何もない。
「………ライト!」
悲痛な声にふり返る。ミサが駈けよろうとして、周囲に居た従者たちに止められている。
瞬間、彼らとも視線があう。
月を見つめる様々な瞳。泣きそうな目、怯えた目、憤る目、憐れむ目、
共通するのはうしろめたい想い。
そらされる視線。
───つらい想いをさせて、ごめんなさい。
謝罪の言葉は双方のもの。だから月はそっと笑った。ひっそり咲く花のように静謐に。
「…大丈夫だから」
ちいさく、でも毅然と言って、手をひかれ月の姿は海賊船のなかへと消えていく。
二度、ふりかえらずに。

連れてこられた部屋は広く、豪奢だった。どうやら海賊の長である男の私室らしいが、船内であることを忘れさせるくらいの
無駄なつくりだ。
月を部屋にいれ扉を閉めた男は、コドモのように指の爪をかじりながら
「扇情的ですね」
つぶやいたので、月は身を固くした。
先の海賊たちに襲われたときに服は引き裂かれている。ボロボロの衣の下からは素肌が露出していて、さぞかし情けない状態
だろう。
警戒したようすの月に構わず男はひょこひょこ部屋の奥に歩いていくと、何やらゴソゴソしてから少しして、手に白い衣を抱えて
もどってきた。
「これを着て下さい。その格好のままでは私がたまりません」
驚いた。てっきり、すぐさま裸に剥かれるだろうと覚悟していたのだ。
手にした綺麗なドレスに戸惑っている月に、男が笑いかける。
「とても似合うと思いますよ。白は華やかな色ですから、美しい貴方にはピッタリです」
言われた台詞よりも男の笑顔に、気がぬける。先ほどとは全くちがう妙に邪気のない顔におもわず「ありがとう」と呟いてしまう。
しかし着替えようとしても、背をまるめ突っ立ったままの男が退室してくれる気配はなかった。
月は諦めてその場で背を向け、着替えはじめた。
「少し、お話しをしましょうか」
紐を解き、袖をぬき、着ていたドレスを床に落とす。衣擦れの音が部屋にひびく。
「お名前は?」
「…月。ライトだ」
「なるほど。貴方にふさわしい名だ」
さらされた背中に、男の視線がいたい。
「噂はきいています。夜の国の王、夜神の御子だそうですね。眉目秀麗、頭脳明晰。誉れ高い才子だと。実際これほど魅力的な
方だとは思いもしませんでしたが」
「それはどうも…僕のことを知っているのか…?」
服を脱ぎながら月はふたたび驚く。噂?
そういえば彼の父も、太陽の王は月の噂をきいて后に望まれたと言っていたが。まさか海賊にまでそんな噂が流れているのか?
つい振りむこうとして、ゾッとした。
横目で見た月を凝視している男の目は、獲物をまえにした肉食獣みたいで。性欲を隠そうともしていない。
なんでそんな目をして、そんな穏やかな声が出せるんだ。
あわてて新しい衣を手に取る。のん気に会話している場合ではないと気付いた。
「そのままで」
ピタリと。月の手が止まる。
「ドレスを着るまえに、こちらを向いてください」
残酷な男の台詞に肩がふるえた。
一呼吸おいて、諦めたように月は男に向きなおった。細く、どこまでも整ったすんなりとした裸体が、隠すところなく暴かれる。
肌理こまやかな若い肌のうえを、男の目が隅々まで舐めていく。触れられてもいないのに粟立つ感覚を、屈辱を、月は瞼をふせ
必死で耐えた。
どのくらいそうしていたのか、
「もう結構ですよ」
かけられた声に、ギュッと白いドレスを抱きしめ、肢体を隠した。
「どこにも怪我はないようですね。良かったです」
うそつけ。そんなことを確認するために見ていたわけじゃないくせに。
しつこく月から視線を外さない男の存在に、息が詰まる。もうやめろ。
ねっとりとした空気に変化した部屋のなか。首筋が総毛立つ。
きもちわるい。
不意に、男が一歩近付いて、無意識に月の足が一歩、下がった。
のびてくる手が悪夢みたいに見えた。
まだ服を着ていない。
「…くるな」
こわい。
フ、と。
男が苦笑した。
手をひっこめると数歩うしろ向きに歩いて、月と距離をとる。
「月くん。なにもしませんから」
名前を呼ばれたことに気付く余裕もない。全身を強張らせている月に、男は「月くんはこういうことに慣れていないのですね」と
嬉しそうに独り言をいうと、
「私が我慢できるあいだは何もしません。嫌がる貴方に無理をして、嫌われたくはない」
月は混乱したまま、また、嘘だ、と思った。なにもしないのであればこんな事だって、する必要がないだろう?
すぐに察したのか、ポリポリと頭を掻きながら「まあ我慢できるあいだですけど」呟くと男は、
「だから、好きになってくれると嬉しいです」
当たり前のように平然と言い放った。
───月は呆気にとられた。

結局、茫然と固まったままの月を「ごゆっくりどうぞ」と一人残して、男は紳士的に立ち去る。
部屋をでる直前、思いついたように
「私のことは竜崎と」
告げられた名前だけが。唯一、月が知る男のすべてだった。