翌日も陽の国は快晴である。そして、暑い。
きけば雨季になると毎日、定時にスコールに見舞われるが、いまの季節はほとんど雨が降らないのだという。
しかし生い茂る植物と豊かに流れる河、恵まれた土壌も相まって、干からびることなく通年人びとは陽気に逞しく暮らしている。
月の体調がだいぶん落ち着いたのを確認すると、竜崎は諸々の仕事を片づけに一度、船に戻っていった。
これからが大変なのだ。ほかの者にLの座を引き継ぎ、太陽の王を継承する。
周囲への根回し、承認、反対する者たちへの説得、駆けひき、山のように積み重なる諸雑事と難関。
月と竜崎、ふたりで力をあわせ乗り越えていかなければならない。
心配そうになかなか傍から離れようとしない男を笑顔で送りだして、月はヤレヤレとベッドに横になった。
するとまるでそのタイミングを計っていたみたいに、
『太陽の王』が従者もつけずひとり、月のもとを訪れてきた。

「やあ。調子はどうかな」
相変わらず飄々と現れた竜崎の腹違いの兄に、月はなんとも言えない気持ちになる。
あの晩。竜崎から聞かされた詳細と、これからは義理の兄弟になる関係、さらに現時点では『太陽の王』を務めている相手に、
どう距離感を保ったら良いものか。
ひそかに思案している月にかまわず、竜崎の兄は話しつづける。
「顔色はずいぶん良くなったね」
「はい。ありがとうございます。眩暈も吐き気も、ほとんど治まりました。もう暫くしたら普通に起きられるようになるかと」
「うん良かった。しっかり食べて早く元気にならないと。
もし婚礼の儀に間に合わないような事になったら、ライトは弟に抱きかかえられたまま、皆の前で宣誓をしなくちゃならなくなるよ」
「………っ」
想像に、思わず顔が赤くなるのを止められない。
楽しそうに月の様子をながめて、男は長い前髪に隠された瞳をニコニコと悪戯っぽく輝かせている。
やっぱり竜崎のお兄さんだ。月はおもった。………いちいち一筋縄ではいかないところが、よく似ている。
「弟から聞いた。ちゃんとライトと話しあって結論をだしたと。
アレが『太陽の王』を継ぐとハッキリ言ったのは、生まれて初めてなんじゃないかな。感激したね。
あの臆病者もやっと腹を括ったみたいだ」
「…はい。あの…でも、貴方は…お兄さんは、本当にそれで良いのですか?」
気にはなっていた。
普通の人間は、身近に権力があればそれに執着し固執する。
いくら妾腹とはいえ竜崎よりも年上で、聡明で知略にも優れ人望も厚く、
現在立派に陽の国を取りまとめ『太陽の王』を務めあげているのは、この兄なのだ。
周囲の反対もさることながら、この男自身は権力の座から身を退くことに不満はないのか。
どうして、太陽の王の座を、弟に譲りたがるのか。
「ああ」
フ、と竜崎の兄は笑った。
よく似ているけれど、竜崎よりもさらに大人の寛容と包容力をそなえたソレに、戸惑いながら月はパチリと瞬いた。
「さあてねえ。…弟から聞いただろう?我々の祖先はもともと自由奔放の身で、私たちにもその血が脈々と流れているんだよ。
実はねライト。ひろい世界を、自由の時間を求めるのは、なにも弟にかぎった話じゃないのさ。
私は、生まれてから今までずっと、この狭苦しい王宮のなかで、十二分に我慢をしてきたよ。我儘勝手な弟の代わりにね。
そろそろ立場を交代してもいい頃合だとは思わないかい?」
そのセリフでわかった。竜崎のつぎにLの座を引き継ぐのは、このひとだ。
太陽の王の座を竜崎に譲り、かわりに今度はこの兄が、海賊Lとして蒼い大海原に漕ぎだすのだ。
ああ。月は思う。
紛れもなく、この人と竜崎は同じ血をわけた兄弟なんだな。
「まあ…打ち明け話をすれば、ライトをみて正直、気が変わったんだけれどね。
もし弟がいつまでも煮え切らない態度なら、本当に私がライトを娶って、正式に太陽の王を継いで構わないとね。
どうだろうライト。今からでも遅くはないぞ。あんな軟弱な男より、私の方がよほど頼りになるしライトを幸せにできると思うのだがね」
前髪からのぞく双眸は悪戯っぽく、しかし笑ってはいなかった。
おだやかに炯々とひかる瞳。相手のこころの奥底を透かしみる慧眼。
思慮遠謀に長けた人物だと、あの竜崎が言っていた。
なるほど。つくづく一筋縄ではいかない。
ニコリと月は綺麗に微笑んだ。
「ご冗談を」
「私では役不足かな」
「とんでもないです。でも僕は、竜崎を愛しています」
兄も笑った。
「では、もうひとつ打ち明け話だ。これを聞いてもまだ、弟を愛していると言えるだろうか。
ライトを陽の国に呼んだのは、私だ。夜の国王室の気高く美しい御子の噂は、この国まで届いていた。
当然、弟の耳にも入っていただろう。
出奔したままどうあっても王室に戻る気のなかったらしい弟に、私はひとつの賭けにでた。
誉れ高いライトをこの国に迎え、万一、弟がライトを気に入れば。
夜の国の王族であるライトを后にするためには、弟は太陽の王を継がざるを得ない。
もし失敗したとしても、私がライトを娶って后にし、王の座を継げばいいだけの話。
気軽な賭けだったよ。私は、美しいと噂で聞いただけのライトを、簡単にゲームの駒にしたのさ」
白皙の美貌がみるみるうちに強張っていく。
耳の奥で、いつかのセリフが木霊する。
───みんな一緒だ。オマエも太陽の王も。ウンザリする。
───会ったこともない相手を后に迎えたいだなんて、ちょっと気になった花を部屋に飾っておきたいのと一緒だよ。
     本当はどうだっていいんだ。
───僕は、陽の国に売られる人形だ………。
そう吐き捨てたのは確かに月自身で。けれど。だけど。
「しかし、計画は弟の方が一枚上手だったな。いやむしろ予想外の行動というべきだったか。
アレは私からの託をきくと、さっさと船を走らせ自分でライトに会いに行ってしまった。おそらく私のやり方に憤慨したのだろうね。
もしかしたら、陽の国に辿りつく前に、ライトを夜の国に追い帰すつもりだったのかもしれない。
ところが出会ったライトに本気で惚れてしまった。笑い話だろう?どこまでもどうしようもないヤツだ。
そうして自分勝手にライトを手に入れようとして、ライトを傷つけ、大騒ぎをし、最終的には私の思惑どおりに事は運んだ。
まあ、悪い結果じゃないね」
ゾッと。悪寒が背筋をはしりぬける。
策略を張りめぐらせ、人のこころを読み、操り、思いのままに国をも動かしてみせる。
いま月の前にいる男は、そういう人間。
同時に、凶悪な海賊たちに襲われ竜崎に助けられたあの日がフラッシュバックする。
あの時あまりにもタイミングよく現れた幽鬼のごとき影。月と竜崎の出会い。あれは、けして偶然などではなかったのだ。
唇をひらいても、言葉もなかった。
「あきれただろう?」
まっしろになった頭のなか。
不意に、
竜崎の声が聞こえた。
───だから、好きになってくれると嬉しいです。
手に入れた据膳の月に、指をくわえ手を出さずにひたすら我慢した馬鹿な男。
なんとか月の関心を引こうとあの手この手で、苦労していた馬鹿な男。
約束を守り、月のたいせつなひとたちを守り、そのために命を落としかけた馬鹿な男。
月のためにせっかく手に入れた自由を捨て、月のために。
すべて月のために。
なんて馬鹿な男。
「ライトは夜の国のために生きてきたと言ったな。その為に生まれてきたと。弟は、ライトと同じ立場でありながらそれを放棄し、
しかもまた舞い戻ってきた。
重責を抱え日々を過ごすのは、立場は違えど誰しもおなじことだ。皆、それぞれに重い荷物を背負って毎日暮らしているんだ。
なのにそれを放りなげ逃げだした、そんな情けない男を、ライトはこれからも変わらず愛していくことが可能かな?」
何度もなんども。眩しい青空の下。広がる夕焼けのなか。静かな夜の帳。浮かぶ船のうえで、告げられた想い。
私が貴方の存在理由になる。
いっしょに、自由な世界を。
「愛してます」
「───」
男の鋭い心眼が月を射抜く。
負けじと琥珀色に煌く瞳をまっすぐに合わせて、
鮮やかに笑って、月は言った。
「竜崎がそういう男でなければ、いまの僕は有り得なかった。
自分の本当のきもちも、願いも、想いにも。気づけないまま一生憐れな人生を送るしかない、僕はそんな可哀想な人間でした。
竜崎が変えてくれたんです。どれだけ情けなくても、どれだけ馬鹿な男でも。竜崎がいたから、竜崎を好きになったから、
僕は変わることが出来た。
そしてアイツは、今度は僕のために自分を変えようとしてくれている。
一度は完全に逃げ果せた籠の中に、僕の為に、自ら戻ってきてくれる。それから真の自由を一緒に手に入れようと誓ってくれている。
どれだけ犠牲をはらっても。つらくても。僕らはともに在りたいと願っています。
それを愛していると言うのだと、僕は竜崎に教えてもらいました」
竜崎に教わった。ひとを好きになるということ。愛するという意味。
愛している。
キラキラと輝く、挑戦的で、長い睫で飾られた美しいヘイゼルの瞳を黙って見つめて。
男はため息をついた。
芝居がかった仕草で、肩をすくめてみせた。
「やれやれ駄目か。割りこむ隙はあるかと思ったんだが。
…おとなしやかな美人にみせて、ライトはかなり意地っ張りで、気が強いんだね」
「竜崎にも言われましたよ。残念ですけど僕は、お人形じゃありませんから」
兄がおかしそうに破顔する。
いつの間にか張りつめていた空気が、フワリとほどけた。
「オーケイ。気が変わったらいつでも言ってくれ。ますますライトが気に入った。今度は私が、海に浚ってしまおうか?」
「兄弟喧嘩になるまえに早く海に出かけてください」
「ハハ。つれないなあ。挙式までは居残らせて貰うつもりだけれどね。なにせ、婚礼衣装を身につけたライトはさぞかし綺麗だろう。
眼福だよ。
ああそうそう。弟はとにかく正装が苦手でね。王宮にいても、せいぜいが警備兵用の衣を着るくらいだ。
もし見栄えが悪いとおもうなら、挙式のときだけでも私が代役をつとめるよ。ぜひ考えておいてくれ」
片手をヒラヒラ振りながら退室する男に、月は苦笑して、見送った。
あの『兄』を相手にしては例え竜崎でも堪らないだろうな。
『弟』の積年の苦悩を察して、唇がほころぶ。
またひとつ。竜崎のことがわかった気がして、なんだかとても嬉しかった。