茫然としている月にかまわず、男は話しつづけた。
「逃げだしたんです、私は。
もう二度と王室には戻らないつもりでこの国をあとにした。海賊として、Lとして。心が求めるまま自由に生きていきたかった」
「L…」
脳裏にまざまざと浮かぶ情景。
竜崎の船の帆。ましろい大きなそれに掲げられたイニシャル。竜崎のもうひとつの名。Lの旗印のもとに集う力。
「太陽の王の先祖は、さかのぼれば海賊の長だったと伝えられています。末裔である私たち一族の血にはもともと、
ならず者のそれが流れている。
Lという名の海賊は、陽の国が大国となる以前から陽の国を影で支えてきた存在。いつしかこの国の闇の権力として、王族の血を
ひく者が長になり、表だって王室とのつながりは見せないものの裏世界でその力を発揮し、世界中で暗躍している。
しかしLはあくまで治外法権の勢力です。海賊と、一大国の王室と。密接な関係を諸国に公表する訳にはいかない。
けして陽の光のしたに曝す訳にはいかない。
たとえ暗黙の了解があったとしても。正体をバラす訳にはいかなかった」
「だから…あのときも逃げたのか…」
月の旅船を陽の国海域まで送り届け、なにも告げずに去っていった竜崎は。
話したくとも、話せなかった。
嘲笑うなら嗤えばいい。王位継承者として生まれ、物心ついたときから上に立つ者として育てられ、多くの家臣の命をあずかり。
それらを捨て去ってみせた傲慢さも、自由を追いかける強かさも、恐れを知らない不屈の肉体と精神をも、兼ね備えたはずの男は、
実際は。
初めて、本当に失えないものが出来たとき。失うことを怖れるあまりに手も足も出せなくなった。
決着をつける勇気も持てず、明晰な頭脳も働かず、結果、時間切れで逃げだし月を深く傷つけて、守ろうとした筈の大切なものを
永遠に失うところだった。
あまりにも愚かすぎて嗤いたくてもわらえない。兄に言われるまでもない。すべては竜崎の責任だ。
床に伏す月の姿をみては何度叫びそうになったことか。
噛みちぎった爪から血が流れる、悔恨と、自責と、
そして決意。
「…はい。海賊Lとして私が陽の国の警備艇に捕えられれば、兄も困るでしょう。
つかまえた海賊を処分しないわけにもいきませんからね。あくまでLは、表向きただの海賊でしかありません。
自分の命は、自分で守らなければならない。
それが、求めた自由の代償です」
呼びかければ応える力は大きい。太陽の王とおなじく脈々と受け継がれてきた、世界中に轟くLの力。
しかしあくまで己の剣と実力のみで生き抜かなければならない、過酷な海の棲家。
スルスルと紐解けるみたいに謎のひとつひとつが結びつき答えを形成し、月の胸に収まっていった。
竜崎のもつ教養。知識。人脈。権力。財宝。ほかの海賊とは一線を画した存在。
なにより竜崎自身が内包し、月が惹きつけられて止まなかった、憧れ。
───ずっと一緒に自由な世界を。
なにもかもが…ようやく…。
腰かけた月を、背を丸めた男がじっと凝視している。
夜空から照らす淡い明かりが逆光になっていて、表情のよく伺えない男の貌を、月は静かに見返した。
「それから?」
「…驚かないのですか?」
「じゅうぶん驚いてるよ。まあ竜崎が只者じゃないのは前々から感じていたから、そういう意味では納得もしている。
それよりも、もっと知りたいことがある。いちどは祖国も立場も捨てる覚悟までしたオマエが、どうして今、ここに戻ってきたんだ」
「月くんがいるからです。たとえ貴方に嫌われても私は」
「ちがう。誤解しないでくれ。竜崎を責めてるんじゃないんだ。
………だったらあのとき、一緒に連れて行ってくれれば良かったんだよ。陽の国には来ないで、僕はオマエと一緒にいきたかった。
ひろい自由な世界に、竜崎と一緒に、連れていって欲しかった」
「でも月くんは夜の国を想ってずっと泣いていましたよ」
ヘイゼルの瞳が見ひらかれる。
男の口角が微かに歪んだ。苦笑したみたいな、ほろ苦い貌だった。
「出会ったときの月くんは、従者の皆さんと夜の国のために自害するのを諦めて、私を受けいれた。
私に向かって、自分は祖国のために売られる人形なのだと、そのために生きてきたのだと強気に言い放った。
けれど眠りながら何度もご家族の名を呼んで、涙を流していた。何日もなんにちも、そのことに月くん自身は気づいてもいなかった。
愛していると。国も、守るべきひとたちも捨てて私と共に生きると言ってくれた時ですら。貴方は内心、とても辛そうでした。
どこまでも貴方のこころは夜の国に縛られたまま、ずっと懺悔していたのでしょう?私にはけして見せない様にしていたけれど、
押し隠したどこかに後ろめたい想いを抱いて、そうするしかないと、他に進むべき道が無いのも事実だから、仕方がないのだと。
自分に言い聞かせて、自分に言い訳をして、自分を誤魔化して我慢して。
二度と帰れない祖国に、望郷の念をつのらせて」
還りたい。
あのうつくしい、私たちの夜の国へ。
やさしい人たちの笑顔が待っている、懐かしい故郷へ。
裏切って、ごめんなさい。
「ちがう…僕は、竜崎と…オマエと一緒に…!」
夜の国と、竜崎と。選べなかったのは事実だ。だけど。
ちいさくかぶりを振って否定しようとした月に、笑いかける。
「陽の国を切り捨てた私とちがい、最初から最後まで変わらず月くんはそういう人でしたよ。
正直それを、歯がゆく思ったときもあります。どうして自分の為だけに素直に生きられないのか、と。
貴方は私とおなじ種類の人間だ。籠のなかに無理矢理閉じ込められれば、いずれ花は萎れ鳥は窒息して、死んでしまう。
ならば強引にでも私が連れていった方が、月くんは幸せになれる。月くんを縛るもの全てを、いずれ忘れさせてみせる自信もありました。
だから海賊Lとして私は貴方を浚い、私だけのモノにしようとした。迷いは、なかったんです」
───私が、貴方の理由になります。そして私が貴方に自由を与えます。
───月くんは私と一緒に、本当の自由と、世界を。見てまわりましょう。
そう。竜崎が月の生きる存在理由になる。それでいいと、月も了承した。だからこそ。
「でも」
月はなにも言えない。言葉を失ったまま、唯ひたすらに竜崎を見つめて。
「でも。それがどれだけ残酷なことなのか、私は理解していなかった。どれほど危険を伴うことなのかもです。情けない話ですね」
ともに過ごした航海の途中、竜崎はいくども月を危険に晒した。
戦いに巻きこみ犯罪に巻き込まれそうになり、何度その身を案じたことか。
「兄からも聞きました。月くんは『太陽の王』の赦しを得るため、土下座までしてみせたと。
あの時の月くんの状態で、それがどのくらい辛いことだったか、おまえに分かっているのかと。
そうまでして貴方が守りたいと願う夜の国。そして私を好きだと言ってくれる貴方のこころ。
ふたつを切り裂くことは、貴方を愛し守るべき私のする事ではないと。ハッキリ痛感しましたから」
「………僕は、竜崎に守ってもらわなきゃならないほど、弱い人間じゃない。
それに危険なんて承知のうえで、オマエと一緒にいるって決めたんだ」
「はいそうですね。
でもやっぱり私は、月くんを大切にしたいんですよ。たとえ貴方が望むことでも、貴方を哀しませたくはない」
海賊Lの竜崎と共にいけば、月は二度と夜の国には帰れないだろう。
同じならず者として世界から追われ、待つのは自由と引きかえの、より一層の厳しい修羅。
それはけして、真実のぞむ結果ではないのだから。
「私は貴方に本当の自由を教えたい。そのためにも、太陽の王の権力は必要だと。そう判断しました」
「───!」
月は耳を疑った。
いま竜崎の言ったセリフ。それはつまり。

「私は陽の国に戻ります。Lの座を捨てて、正式に太陽の王を継ぎます。
自分の果たすべき責務を負うかわりに、私はこれから先もずっと、月くんと一緒に居たいと思います」

以前の竜崎が抱いていた昏い欲望。
月を夜の国という籠から解き放つかわりに。Lである自分の船に、竜崎自身の籠に閉じ込めたいという冷ややかな願い。
結局はそれすらも、月を喪うことへの怖れからくる妄想なのだと。
喪うことを怖れるあまり、判断を誤り、月を傷つけ哀しませるくらいならば、
喪わずにすむ為の巨大な力を、なりふり構わずなにを犠牲にしても、手にすればいいのだと。
「………だって…いいのか?オマエは僕のために、せっかく手に入れた自由を完全に失うことになるんだぞ。
かわりに陽の国王室に縛られて………それでもいいのか?」
竜崎が、生半可な想いで海賊になったとは、月も考えていない。おなじ国を担う立場にある者同士として、どれだけキツイ決心だったか。
想像だけなら簡単につくだけに、信じられないきもちだった。
「海に出るのは容易いことなんです。もともとが海賊の血をひく王室ですからね。その気になれば、これからだって何時でも
ささやかな航海を愉しむくらいのことは出来ます。
今までは好き勝手を押し通すことで、私は自分ひとりの気儘な立場を得ていた。これからは太陽の王として貴方を守る力を得ることで、
たとえ国に束縛されても、私にとっても月くんにとっても、真の自由を得たいと考えます。
夜の国の王族として祖国を想う貴方を、今度は陽の国王として大切にしたい。なにひとつ欠けることなく、幸せにしたい。
月くんは故郷もたいせつなひとたちも、捨てる必要はないんですよ。なにも失わず、私と一緒にいてください」
「竜、崎」
男の両腕が伸ばされて、荒れた指先にソッと、月の綺麗な指がのせられた。
やさしく握られ、力強く引かれて立ちあがった。ギュッと胸のなかに抱きこまれて微かに震えながら瞳をとじた。
どうぞその手を。二度と離さないで。
永遠に。
「この庭は、綺麗でしょう?」
耳朶を掠めるみたいに囁かれ、ちいさく頷く。哀しくもないのに涙がこぼれそうだったから。
「この噴水の場所は、私のお気に入りなんです。王宮内でも人目につき難くて、昔はここでよくひとりで考え事をしたりしました。
私が海賊Lになる決心をしたのも、この場所です。ですからここで、貴方に伝えたかった」
竜崎の思い出の場所。青く未熟で、箱庭から抜けだすことばかりを考えていた。仮初の自由に酔い、まだ本当に求めるモノが
なにかすら分かっていなかった。
追憶のあの時代。
やっといま。大切なひとを胸に、この場所に還ってきた。
「嘘偽りなくもう一度。貴方に誓います。
愛しています。これからもずっと、ずっとずっとずっと。ふたりで共に生きていきましょう。
そしていつか一緒に帰りましょう。貴方のふるさとへ。月くんの愛する貴方のうつくしい故郷。
綺麗な雪景色を、いつか私にも見せてくださいね」
「………ああ…ありがとう」
ふたりの出会いは嵐のようで。流される怒涛の日々のなか、自然に感情が動いたのは間違いないけれど。
状況を考えれば、他に選択肢のない必然でもあったのだ。
けれどいまは違う。
夜の国も、守るべきひとたちも、関係なく、何にも縛られず、
ただ月は月だけの気持ちとことばで。
「愛してる竜崎。
これからもずっとオマエと一緒にいるよ」
誓いに、誓いのこたえと、口づけを。
重なるふたつの影を、やわらかな月光が照らし続けていた。
いつか夜の国を出発した、あの夜明けとおなじ、優しくあたたかい月明かりだった。

うまれてきたのはこの国のため。
愛され大切に育てられ、傷ひとつ付かないよう。やがて見知らぬ誰かのモノとなり、引き換えに国を国民を守ってもらうために。
自分はそのためだけに生きているのだから。
でもこれからは、オマエのために。オマエと一緒に、僕が幸せになるために。
夜の国も、陽の国も。大切なひとたちが、みんなしあわせになるために。
いつまでも側にいて。ずっと、ずっとずっとずっと。
愛してるよ竜崎。