剣を片手に、不規則に揺れる廊下をしなやかに駆けぬける。
周囲に人影はなく、とおくから篭った爆音がきこえる以外、あたりは奇妙なほどの静寂につつまれていた。
月はもう広い海賊船内の間取りを完璧に把握している。一瞬の逡巡もなく、角を曲がりめざす旅船側の甲板に
むかって走りつづける。
「!」
狭くみじかい通路の向かい側に男が立っていた。だが足は止めない。瞬間、竜崎の部下かともおもったが
風体があきらかに違う。
敵だ。瞬時に判断した。
男は翻る風のように眼前にせまった月のすがたを認めると、目と口をパッカリひらいた。
殺意になりそこなった驚愕のマヌケ面。
鮮やかなひとふりで薙ぎ払う。血潮がふりかかるまえに走り抜けた。
「ちっ」
たおした巨漢の影には数人のならず者たちが待ち構えていた。さすがに足を止めざるをえず、腰をおとすと月は
深呼吸とともに剣を掲げる。
うつくしく高価な獲物を前にした獣たちの眼。
ギラギラといやらしく、惨忍で、下卑た哂いを浮かべた汚い顔を、苛烈に輝くヘイゼルの瞳が睥睨する。
はりつめた緊張。
無言のまま空気がうごいた。
横一線の一太刀でふたりまとめて首を切断した月のうしろから、男が襲いかかる。その腹に剣を突き刺すと同時に
残りのひとりが。
まにあわない。
衝撃と苦痛を覚悟した月の目の前で、しかし、ならず者は突然硬直するとドサリと床に倒れこんだ。
背中にニョキリと生えた短剣。みるみるひろがる血の海。
「大丈夫かしら?ライト」
無造作に死体の腹から剣をひきぬき、迸った朱にドレスを染めながら、月は冷静にその問いかけに応じる。
「大丈夫です。僕の護衛と監視を竜崎に頼まれたんですか?ウェディ」
「そうよ。あなたが戦闘中に勝手に部屋から出ないように。それからあなたの居る部屋に近づく輩がいたら、
処分するようにってね。大切にされてるわね」
微笑みながらあらわれた、豊満な胸もとで腕組みをした美女は、幼いこどもを諌めるみたいに話しかけた。
「さあ危険がわかったら大人しく部屋にもどってライト。これ以上、私の仕事を増やさないで頂戴」
「助けてくれたことには感謝します。でもすみませんがお断りします」
言い際。
月の放った剣が、ウェディの髪を掠める。
驚きにふりかえった背後で、忍びよっていたらしい男の額が割れているのを確認すると
「アラすごい」
「これで貸し借りなしですね」
すばやく遺体に近づき剣を拾いあげた月は、真摯な声で、
「僕は自分の身は自分で守ります。だから貴女は他の、もっと弱いひとたちを守ってあげてください。
竜崎は僕を守りたいのかもしれないけれど、僕にだって守りたい人間がいるんです。守られているだけじゃ、駄目なんです」
ごめんなさい。
それだけを言うと、再び走りだした。
「そう言われても…コッチも仕事なのよねえ…」
呆れたようにその後姿を眺めながら美人はため息をつく。
「カワイイお人形みたいなカオして困ったコ。とんだオテンバね。…Lが本気で惚れるわけだわ」
微妙に感嘆のいろを滲ませながら。
つぶやくとちいさく笑って、後を追い走りだした。
甲板に近づくにつれ増えるならず者たちを片端から切り捨てながら、月は駆けつづける。
やっと通路から外に出てみれば、右をむいても左をむいても、乱闘の渦。
鋼と鋼が火花を散らす音。怒声。苦鳴。悲鳴。火薬の匂い。血臭。
阿鼻叫喚。
気配をかんじて剣で受ける。衣一枚かわし、返す刃で相手の咽喉を切り裂いた。もんどり倒れる男には目もくれず
騒乱のなか、船の手すりから海上をさがす。
旅船は───あそこだ。
おもっていたより竜崎の船から離されていない。これなら乗りうつることが出来る。
戦いのあいだに月のドレスはボロボロになっていたがかえって都合が良かった。その方が動きやすい。まだ残っていた
ドレープの裾を自分で力いっぱい破りすてると、スラリとましろい素足が晒される。
肌理細やかな肌に吸いよせられ、抱きついてきた男の眼球目がけて、履いていた靴の鋲が打ってある踵を叩きつけると、
月は船の見張り台にむかった。
梯子をあがり帆に近い高さにある見張り台からなら、結んであるロープを使えば、振り子の要領で旅船に一気に
のりうつることが可能だ。
剣を口にくわえて裸足で梯子をのぼりはじめる。
両手が使えず無防備になった月の背に、巨大な鎌がふりおろされる。
「ライト危ない!」
ウェディの投げた短剣が間一髪、兇器のうごきを止める。なおも鎌を振りかざしたならず者の息の根を止めたのは、
背後から咽喉を掻っ切ったアイバーの洒落た短剣だった。
「俺の剣はキミのとちがって実戦には不向きなんだが」
「バカ言ってんじゃないわよ!ライトは?!」
そのあいだに、月はつぎつぎ射られる矢をものともせず、スルスルと見張り台のうえに到達した。
支柱に巻きつけられているロープを手にすると剣をしっかり咥えなおす。
不思議とまったく恐怖はかんじていなかった。
視線を上げれば戦場のうえにひろがる、沈みかけたあかい夕陽。
深紅と群青のいりまじったなんてうつくしい世界。
いつか竜崎とふたりでみた景色。
そんなことが不意に頭を掠め、それから全力で、
月の素足は見張り台を蹴った。
わあああああ………!
怒号と狂乱でなりひびく空に、白い一羽の鳥が綺麗に舞うすがたを、
男の虹彩のない双眸がハッキリと捉えた。
ドダアアアンッ!
ロープから手を離した瞬間、旅船の床に叩きつけられるのを受身をとってやり過ごす。
剣を抱えたままいきおいに任せゴロゴロころがって、跳ね起きると同時に一閃する。周囲にいたならず者たちの首が
いくつか跳ねた。
「ライト!」
「ミサ!無事か!」
案の定、旅船のうえも惨状だった。あちこちで戦いが繰りひろげられるなか、見知った顔が血を流し蹲っている状況に
月の背に震えがはしる。
「怪我人を一箇所に集めて手当てするんだ!戦える者は全員、援護をしろ!バラバラになるな!
みんなで力をあわせて戦うんだ!」
きもちを奮いたたせ大声で指示を出した。突如あらわれた主人である月のすがたに、旅船の従者たちはみな驚くより先に、
混乱と恐怖で忘れかけていた理性をとりもどしはじめる。
「月さま!」
「月さまよくぞご無事で!」
「頑張って応戦するんだ。もうすぐ援軍もくる。これ以上、死傷者を絶対に出すんじゃない!」
叫び、なだれの如く襲いくる凶賊を薙ぎ払った。
統制がとれた月の従者は、お互いかばいあいながら月の指示どおり防護を固める。旅船に乗りこんでいる竜崎の屈強な
部下たちも、必死で防戦している。
月のセリフは嘘ではない。竜崎は援軍をたのむと言っていたのだから、それはかならず訪れるはずだ。
それまで何とか凌いで、生きのびればいいのだ。
考えながら懸命に戦う月のドレスも、肌も、髪も、顔も。
汗や埃でドロドロに汚れていて、
手についた血糊はベトベトして、
疲労に、剣が、すべる。
「ライトうしろ!」
ミサの叫びに一瞬集中力がとぎれていた月は、ふりかえる前に剣を逆手に、脇から背後に突き出した。
肉を切る手ごたえを覚えながら
「ミサは危ないから隠れていろ!」
声をかけるのと、彼女の後方でひとりの男が弓を構えているのが目に飛びこむのが、同時。
時が止まった。
ことばより先に身体が動いた。
ミサに駆けよる月の視界がスローモーションのように。
コマおくりみたいに。右足、左足、右足、左足。
弦から放たれ弧をえがき飛翔する矢。
だ、め、だ。
目をつむり少女をだきしめ
全身で庇い押し倒した。
意識がとぎれた。
とぎれた意識は、ほんの数秒。
うおおおおおおおお───!
ドッと、うねるような轟きとともに現実が耳に飛びこんできて、月はそっと瞼をあける。
「援軍だー!」
「Lの援軍がきたぞー!」
「撤退だ!撤退しろ!」
「ひとりも逃がすな!こんどこそ根こそぎ始末するんだ!」
「逃げろー!」
ついに、竜崎が依頼した増援が到着したらしい。
これで戦況は大きく変化する。Lの旗印のもとに続々と集結する援軍の船。この戦闘もじきに決着がつくだろう。
的確に状況判断しながら、ソロソロと月はミサのうえから上体を起こす。
生きている。死んでいない。それにどこも痛くない。
でも、あの矢、は?
「無茶をしますね」
低く静かな声に、ふりあおいだ。
目の下に隈をつくった猫背な男が、月とミサに覆いかぶさるみたいに、手をさしのべていた。
「りゅ…うざき…」
「危うく死ぬところでしたよ月くん。気をつけてください」
「竜崎…オマエが…助けてくれたのか…」
命をかけて。
月とミサのふたりを庇った男の肩には、鈍く光るいっぽんの矢が刺さっていた。
肉を抉られ血を流しながらも、茫然とした月のことばに微かに笑うと、
「貴方も、貴方のたいせつなひとたちも。守る約束でしたからね」
飄々といって手を握られひっぱり起こされ、月は瞠目する。
「だ…大丈夫なのか竜崎…肩の矢は…」
「傷自体はさほど深くありません。射手が下手だったのでしょう。でも月くんやミサさんが受けたら致命傷になったと
おもいますよ」
聞いたとたんにガックリ緊張が解けたらしく、フラフラしながら立ち上がった。
「よ…かった…」
「すみませんもっと早く助けにきたかったのですが、実は私もいっぱいいっぱいでした。
まさかあの部屋から貴方が出てしまうとは思わなかったので。ウェディも役に立ちませんね」
「ちがうよ…僕が勝手をしたんだ。ウェディは悪くない」
こんどは月がミサの腕をとり立ち上がらせる。
震えながら涙ぐんで抱きついてくる、月のたいせつな友人。
夜の国から月のためにここまで付いてきてくれた、月が守りたかったひとたち。
良かった、とこころから安堵した。
生きているんだ。よかった。
「月くんが船を乗りうつる所をみて、慌てて駆けつけてきました。ほんとうに際どい所でした」
「うん…ごめん」
「もう二度とこんな無茶はしないでください。お願いします」
「ん。ありがとう竜崎」
結果としては月とミサの命も、月の従者たちも、そして旅船も。すべて竜崎の力で守ってもらったことになる。それをすこし
悔しく思う反面、くすぐったくも感じて。
月がやっと笑顔をうかべたとき。
「───竜崎?!」
背後でうごめいた影を竜崎の長剣が一刀両断した。もともと両利きの男は片肩が使えなくとも、剣を扱うのにさして問題はない。
ほぼ終決したとはいえ、船のうえは未だ戦場で、隠れた敵がいるのは当たり前だったが。
月が大声をあげた理由はそんなことではなかった。
ガシャン!と音をたてて。
振るったばかりの長剣を、手から落とした竜崎の顔を、月は凝視した。
はじめから血色の悪い男だ。だから青褪めた顔色をしてたって別におかしくはない。
だって、肩の矢傷はたいしたことないと、言ったばかりじゃないか。
混乱と驚愕に思考がおかしくなる。
必ず貴方も、貴方のたいせつな人たちも。守ってみせますから。
そう約束したから、月は、約束をしてくれた竜崎自身の心配はまったくしていなかった。
殺したって死なないような男だろうオマエは。ずうずうしくて図太くて好きになってほしいなんて好き勝手いって散々かき乱して。
強い男だろうオマエは。月も敵わない剣の腕をもち月の知らないことを何でも知っている。なんでも教えてくれる。
ひろい世界。見たことのない景色。うつくしい夕焼け。
甘いキス。きもちのいい愛撫。
好きだというきもち。
もっともっとこれからもずっとずっとずっと一緒に。
「好きですよ月くん」
なにを、いまさら。
月が一度も見たことのない優しい顔で笑って、
月が一度もきいたことのないちいさな声で言って、
ゆっくりと、傾いで、倒れた、歪曲した身体を胸に抱きとめ、
月の咽喉から悲鳴が迸った。