月は、竜崎とするキスは好きだとおもう。
ふたりで船の見張り台のうえ、夕陽につつまれながら交わしたくちづけ。あの日から、竜崎はことあるごとに
唇をよせてくる。
月自身からしたことはまだ殆どないけれど、求められ与えられるそれはとてもきもちいい。
優しく擽られるみたいに啄ばまれ、柔らかで弾む感触を愉しんだあと、ふかく重ねられる。
「…ん…」
あまり唇を弄られているとくすぐったくてむず痒くて、そのうち次第に熱が篭って息苦しくなってくる。だから月の
顎は自然とひらいて、そのタイミングを心得た男の舌が、慣れた動きでスルリと入りこんでくるのを受けいれる。
「………っ」
いちばんはじめは、濡れた他人の体温に驚いた。滑りをおびながら絡みつくそれに、困惑よりも怯えをかんじた。
戸惑い咄嗟に逃れる月の舌先が、そのとき不意に甘い味覚をとらえた。
つねに菓子を食している男の甘味。
ああ…竜崎だ。
おもったとたん、突っ張った力が抜けて、あとはおもうがままに貪られていた。
口のなかでこんなに色々な感覚が味わえるなんて。今までまったく知らなかった。クラクラ眩暈がする。促される
まま交じりあった唾液をも嚥下する。長い指で、頬やくびすじを撫でられるとゾクゾク痺れが背筋をはしる。
これも、月の知らなかったこと。
きもちいい。
すべて竜崎がおしえてくれる。
竜崎だから受け入れることができる。
だけど。
「ま、って…っ」
「月くん」
すっかり眠りにおちる準備が整っていた月の唇を奪った男は、そのまま寝着を乱しにかかった。
几帳面で器用な月がキチンと結んだ衣紐を、いかにも不器用そうな手つきで一生懸命ほどいている竜崎の手。
それを月の細腕が止めに入って、おおきなベッドのうえでふたりはジャレつくように揉みあっている。
「嫌ですか」
「嫌…じゃないけど…でも…今はいやだ」
「いつなら良いんですか」
「無理強いはしないって言ったじゃないか。竜崎。好きになってほしいって」
「月くんはもう私のこと好きでしょう。それに貴方がその気になるのを指を咥えて待っていたら、あっという間に私、
満足に勃たない老人になりそうです。それからじゃあ月くんにだって申し訳ありません」
「馬鹿!なにいってんだこのバカ!」
「怖がらないで下さい。その気にさせてあげますから」
緩んだ袖口から侵入した竜崎の掌が、素肌をさぐる。繊細にていねいに胸元を弄られ、月はヒュッと息をのんだ。
駆けぬける痺れがつよくなる。身体がふるえる。
「あ…やっ…や」
「綺麗です月くん。キレイなモノを穢したくなるのは、男の本性ですよ」
「オマエは…やっぱりオマエは!海賊だ!」
「ああそうですね。私は、欲しいものは力づくでも奪う人間です」
シーツ押さえつけられ首筋に顔を埋められ、月は固く目を瞑りもがきつづける。
痩身にみえて鍛えぬかれた竜崎に上からおさえこまれては抵抗のしようもないが、口に含まれ吸いあげられるたびに
粟立つ肌をこらえると、
おもいきり。すぐそばにある耳朶に噛みついてやった。
「痛!いたた。いたいですよ月くん」
「嫌だって言ってるだろう竜崎!嫌いになるぞ!」
「………」
嫌いになるということは今現在好きだということですよね。
つい確認しそうになって、竜崎は口をつぐんだ。
キッと見上げてくる月の煌くヘイゼルの瞳。切れながの整った目尻が、薄らと紅くそまっている。
けして嫌悪と拒絶だけに彩られているわけではない、その宝石のような、どんな宝石よりもうつくしいその目。
傷つけたり曇らせたりするのは竜崎の本意ではない。
たぶん月も。
本音をいえば多分、抱かれても良いとは思っているのだろう。それでもきもちが追いつかなくて、もう少しだけ待って
欲しいと思っているのだろう。
「…わかりました」
観念して竜崎は月のうえから身体を退いた。
起きあがりすばやく着衣を整えながら、ベッドの端に移動して月から距離をおいた男に、気まずげに声をかける。
「…怒ってるのか?」
「怒ってませんよ」
「おこってるならちゃんと言えよ。一方的に不機嫌になられるくらいなら、ちゃんと喧嘩した方がずっといい」
「おこってません。喧嘩もしません。私が急ぎすぎました。
いくら欲しいとはいえ、貴方の意思を無視した行為はしたくありませんから我慢します」
パチパチッと長い睫を瞬いて、月は小首をかしげたあと、
「………竜崎は、ちゃんと僕をたいせつにしてくれるんだな」
つぶやきに今度は竜崎がマジマジと、ギョロ目をさらに見開いて月の顔を凝視してから、
「………私は最初から、月くんのことをとても大切にしています」
「ん。知ってる。ありがと」
月はズリズリとシーツの上を近づいて、血色の悪い竜崎の頬にキスを贈る。
暫くのあいだ硬直したのちに。
「すみませんが…今晩はソファで寝ます…」
若干ヨロヨロしながらベッドから逃げ出した男の背中に、クスクスと声をたてて月は笑った。
ずっと一緒にいるのだから、もうすこし待って。もうすこし先で。
ずっと一緒にいられるのだと、信じて疑わなかったから。
「竜、崎…!」
怒声と、怒号と、衝撃が走ったのは同時だった。
ビリビリと空気が振動した。
ド、ド、ド、ドドドドド───ッ!
ウオオオオオオオオオオ───ッ!
鬨の声。
つづけざまに聞こえる、爆破音。
立っていられないほどに床が揺れて、飲んでいたティーカップが飛沫をあげて転がり、月は傍らの机にしがみつく。
戦闘だ。
瞬時にそれだけを悟った。
私室にやってきたワタリになにかを耳打ちされて、竜崎が仕事に戻ったのは昼食のすぐあとだった。そのときに今日は
いちにち、部屋から出ないようにと言われ、悪い予感がしたもののその後はとくに何事もなく。
時刻は夕方、沈む陽は鮮麗に、いつかふたりで見た夕陽とおなじように美しく、赤く、あかく。
「竜崎!」
叫んでもこたえる声はない。そんな事は月にもよくわかっている。竜崎はここにはいない。
ドドドンッ!
ふたたび突き上げられる激しい揺れに耐えながら、奥の部屋まで走り、クローゼットを開いた。
瀟洒なひとふりの剣。いっけんあえかな細い刀身のそれは、使い手によっては切れ味するどく、兇器ともなりうる。
まるで月くんみたいな剣ですね。
そんなセリフとともに竜崎から手渡されたそれを取りだすと、月は、冷静に機敏に考えをめぐらせた。
この部屋から出ない方が良いのは確かだろう。竜崎もそう言っていたし、戦いに不慣れな自分が海賊たちの戦場のなかで、
役立つとはおもえない。むしろ足手まといだ。
自分の身はこの剣で、自分で守る自信があるが、他の人間までは………
ハッとした。
守らなければならない人たちがいる。
月のたいせつな人たちが。
窓際に駆けよった。竜崎の私室からは並走する月の旅船の状況が、いつでもよく伺うことができた。
目を凝らす。破壊されたり、煙が上がっている様子はない。
いや、アレ、は。
あかく夕陽に染まった高波をぬって、つぎつぎと近づいてくる船、船、船。あっという間に取り囲まれる。
バタバタと荒く海風にはためく帆の髑髏マーク。大砲と殺戮を満載した海賊船たち。
雄叫びがきこえてくるようだった。遠目にも、ロープで捕えられた旅船に、ならず者たちが怒涛になだれこむのが見てとれた。
戦いが、殺しあいが、はじまる。
全身が戦慄した。
そして瞬間、腹のそこから爆発した
憤怒。
誰も殺させはしない。だれも傷つけさせはしない。たいせつな人たちを守るために。
ずっとずっとずっとそのために!
頭の片隅では計算も働いている。竜崎はこの戦いを予見して、増援を頼むとまで言っていた。であれば当然、旅船は守ら
れるべき。月のでる幕など本来は無いはず。
でもいま目の前で、月のたいせつな人たちは襲われているのだ。殺されようとしている。
守らなければ。
ほかのだれでもない、自分が。
まっしろになった。スローモーションのように、世界が動いている。
私室のドアノブに手をかける。力任せに扉をひらいた。
───必ず貴方も、貴方のたいせつな人たちも。守ってみせますから。
どこかで竜崎の声が聞こえた気がしたけれど。
かまわず月は、殺しあいの渦へと飛びこんだ。