夜の国を護衛もつけずたった一隻の旅船で出国し、予想どおり海賊に襲われていたところを竜崎に助けられた。
その竜崎の船もまた、海賊船だった。
しかしその後、航海はとても順調で、海は青く空は高く波はおだやかに吹く風は船員達の活気あふれる声をはこび、
船は一路、陽の国をめざし。
だから忘れかけていたのだ。
竜崎が海賊であるという、その意味を。
ドンッ!
一瞬。突き上げられるような揺れを感じ、眠っていた月は目を見ひらいた。
驚きに心臓が跳ねている。
いつもとなにも変わらない、真夜中の闇に包まれた私室。咄嗟に上半身を起こすと隣で寝ていたはずの男が
いつのまにか起き上がっていて、身支度もすっかり整っている。
窓からうっすら差しこむ月あかりに照らされた、外の様子を伺っているらしいその顔をみて息をのんだ。
険しく、炯々と光る目。凄味の増した表情。獲物をねらう肉食獣の気配。残忍さすら漂わせた、
月のはじめて見る竜崎の貌。
ドドンッ!
また激しく船が揺れた。月が竜崎の船に乗りうつってから一度も、感じたことのない揺れだった。巨大で堅牢な海賊船は
横殴りの波程度にはビクともしない。
どこか遠くから、尾をひく動物の鳴き声みたいな音が高々きこえてきた。
アレは一度聞いたことがある。
襲撃の合図だ。───鬨の声。
「竜崎」
「大丈夫ですよ」
いたって冷静に、低い声で応じると男はバサリ、とかけてあったガウンを羽織りドアに向かった。
その手に握られている長剣。すでに鞘から抜かれ、白々と輝きを放つ刃。
「月くんは寝ていてください。この部屋は安全です。ベッドのうえから動かないように。絶対に部屋から出たり、
窓に近づいたりしないで下さい」
「…わかった」
返事を背中でうけると竜崎はふりかえることなく部屋を出て行く。扉が静かに閉まって、月は軽く息を吐いた。
耳を澄ませてみても、もう特に目立った音はきこえない。争う声も破壊する衝撃も剣で肉を切り裂くそれも。
ポスン、とふたたびシーツに埋もれて、月は目を閉じた。竜崎がベッドのうえから動くなと言ったのだから
言うとおりにした方が良いだろう。
状況がまったくわからないのが少し不安だったが、あまりにも静かだった。
もしかしたらアレは襲撃ではなかったのかもしれない。
そうだ。きっともうじき竜崎も何事もなく戻ってくる。
こんな穏やかな月あかりの夜に、何かある筈が無い。
そう考えたらなんだか安心して、ウトウト睡魔に誘われるまま、月はもういちど眠りに落ちた。
男に守られている船のなかで。
翌朝。
甲板に足をはこんだ月は、目の前にひろがる惨状に声をうしなっていた。
とはいっても竜崎の船がどうこうなっていた訳ではない。
酷かったのは、錨で横付けされた見慣れないやや小ぶりな船のほうで、いまにも崩れ落ちそうなぐらいボロボロに焼け
焦げ、はんぶん海に沈んでいる状態だった。
波に晒された船体から次々と剥げ落ちる木片で、真っ青な海はあたり一面塵だらけになっている。
もともとの乗組員はもう誰もいないのか、竜崎の船員達が行ったり来たり忙しなく、せっせと沈みかけた船から無事な
積荷を運びだしている最中だった。
「いったいこれは…」
「昨晩の海賊船ですよ」
うしろから聞こえた声にふりむいた。不思議な髪の色の、洒落たシャツを着た背の高い伊達男。たしか以前、竜崎に
紹介されたひと。
名前は…アイバー。
「夜闇にまぎれ急襲を狙ったらしいが、残念ながら昨夜は月がまぶしかった。アッサリ見張りに見つかってこの有様だ。
我々はうつくしい月に助けられたことになりますね、ライト」
突然親しげな口調で話しかけてきた事に戸惑いながらも、月は会話に応じる。竜崎は彼を紹介する際、客人に近い人間
だと言っていた。では悪いひとではないのだろう。
「じゃあ、襲撃は本物だったんですか?」
「モチロン。もっともこの船の乗組員たちは勇敢かつ優秀だ。襲ってきたヤツラはみごと返り討ちにあって、この結果です」
「ぜんぜん気づかなかった…」
横付けされた船が焼け落ちているということは火も放たれた筈なのに、部屋で寝ていた自分は戦闘の気配すら
まったく感じていなかった。
月が心中で昨晩の呑気を恥じていると、
「弱い犬ほどよく吠えるもので、プロは冷静に沈着にすみやかに仕事をこなすんです。
静かな月あかりの晩に、ねむる綺麗な貴方の夢を邪魔するなんて。無粋なマネはするものじゃない」
パチンとウィンクしながらキザな台詞を、おどけた口調で話すアイバーに、月はすこし複雑な心境で微笑んだ。
つまりは竜崎も竜崎の部下たちもひいては彼自身も、裏の世界を生きる者として数々の戦場をくぐりぬけてきた
戦闘のプロ、ということか。
戦いに勝った海賊たちは、さまざまな戦利品を洗いざらい浚ったあとで敗者の船は沈めてしまう。
それは禍根を残さないための海の男たちの常識なのだが、今回の戦闘で、気がかりな点が一つあるとアイバーは
月に話す。
何艘かの手漕ぎボートで闇と波にまぎれ、沈む船を見捨てて脱走した海賊たちがいる。
「戦いから逃げ出したヤツラがいるんですよ。ふつう負けた者は全員、船と運命を共にし、海の藻屑となるのが海賊の
流儀なのに、まったく情けないというかみっともないというか」
大仰に肩をすくめてみせるのに、
「じゃあ…もしかして今後、逃げた者たちの復讐もありえると?」
「それだけじゃない。そもそも、なぜ夜に襲ってきたのか。
まるではじめからこの船の位置を把握してわざわざ付け狙っていたみたいじゃないですか」
「そういえば…」
言われてみればそうだ。偶然見つけた獲物を襲うなら、視界の悪い夜よりも昼のほうが確立は高いだろう。
もちろん、海賊である竜崎が付け狙われる理由なんていくらでもあるのだろうが…。
ハッと。
なにかに気づいたように、月は手すりに駆けよると、沈みかけた海賊船の船首に目をこらした。
ぶら下げられているいくつもの塊には見覚えがあった。ボロボロに風化した遺骸。おなじくボロボロの帆に描かれた
髑髏のマークにも。
それから昨夜耳にした鬨のこえ。
あれは。以前、月たちの旅船を襲った………。
「竜崎!」
その時。
沈みかけた船の上。目の端でとらえた人影に、大声でその名を呼ぶ。
こたえるようにバサリ…と青い海と青い空の狭間に、一点の墨のような黒い影が躍った。
肩にかけた上着を翼の如くはためかせて。
───リュークみたいだ。
おもわず祖国に残してきた大切な黒鷲の名を思い浮かべた月の傍らへ、船の甲板へ軽くひと蹴りで乗りうつった竜崎が、
ペタペタと歩みよってきた。
「どうしました月くん。…この男がなにか」
「俺はなにもしてませんよL」
船長として朝から戦闘の後始末の指示を出し続けていた男は、月のひと声でさっさと仕事を放棄すると、
そばに立つ伊達男に物騒な視線をなげつける。
慌てたアイバーが言い訳するのもかまわず、
「竜崎。あの船は…もしかして前に僕らの旅船を襲った海賊船じゃないのか?どうしていまさらこの船を襲撃してきたんだ。
…まさかあの時の報復で」
問い詰めるように月が言うと、僅かにくちもとを歪めたあと
「アイバー。余計なことを月くんに言いましたね」
「そのつもりはなかったんですが…すみません」
やれやれと。それから真剣な顔をしている月にむかって、
「とりあえず日ざしも強くなってきましたし、部屋に戻りましょうか。話はそれから」
竜崎は月の手を取り握りしめ、歩きだす。
青い海のうえでは始末の終わった船の残骸が、船員たちの掛け声を合図に、白い波間に静かに消えていった。
「心配はいりません」
アッサリ言い放ち、埃やら塵やらで汚れた上着をバッサバサと脱ぎ捨てる竜崎のあとを追いかける。
散らかった衣服を拾い集めながら、月はそれでも追求を止めなかった。
「僕のせいなんだろう?僕たちの旅船を助けたから、だからそれで逆恨みされて」
「逆恨みではないですね。単純に上玉の獲物を横取りされて、諦めきれなかっただけでしょう。
ヤツラがしつこく貴方たちを奪い返す機会を狙っていたのは、気づいてました」
「じゃあ…やっぱり危険が」
「月くん。私の仕事をお忘れですか?海賊なんて生業をしていたら危険は日常茶飯事ですよ。
なにも気にすることはありません。さいわいヤツラの本船は沈めましたし、今後そうそう手出ししてくることはないと
思われます。が」
「が?」
ガリガリと、指先を噛みながら月の顔を見る。
微かに不安げな表情に、竜崎は束の間めずらしく躊躇いをみせたあとで。
「私の船は大丈夫です。…しかし、貴方の旅船が心配です」
言われた言葉に、月は息をのんだ。
沈められた海賊船とは竜崎の船を挟んで反対側、月の旅船がいまも並走している。
旅船には竜崎の屈強な部下たちが何人も乗り込んでいて、監視がてら船の安全をまもってくれている。だから今回は
問題なかった。しかし、堅牢な海賊船とちがい旅船はもろい。
いくら守られていても激しい戦闘に巻き込まれ、さらに直接狙われれば、
沈む可能性は、高い。
なぜそのことに考えが至らなかったのだろう。旅船のなかの月の従者たち。月のたいせつな人達も一緒に。
「私もその点が気がかりです。
昨晩、取り逃がした輩の動向も気になりますし、仲間を集めなおしてもういちど襲ってこないとも限らない。
集団で襲撃された場合、一艘の船を守る自信はありますが、いまの人員で二艘の船を守るのは少々、キツイ。
なので助力を依頼する予定です」
「助けを…だれに…?」
「ならず者同士にも横の繋がりはあるのですよ。Lの旗印のもと、求めれば応える力は幾つもあります」
青い空に高々掲げられた帆。風に悠然となびくそれに刻まれた文字。L。
「ですからどうかそんな顔をしないで下さい。必ず貴方も、貴方のたいせつな人たちも、守ってみせますから。
月くんは心配しないで安心して」
まるで幼い子供をなぐさめるみたいに、青褪めた月の目を覗きこみながら言う猫背な男の姿に、
すこし無理をして笑ってみせた。
「わかってる…竜崎のこと信用してるから」
「おやそうなんですか?いつの間に」
「馬鹿。ちゃんと信じてるさ…さっきアイバーも言っていたよ。オマエはプロだって。…守ってくれるんだろ」
「はい。守ります。約束です」
素肌の胸に抱きよせられて、背中にそっと手をまわした。衣を脱いでいる男の肌には、よく見るとたくさんの傷跡が
のこっている。
血色のわるい肌に刻まれたそれらは戦いの歴史。剣で、矢で、炎で。何度も傷つけられ、死線を彷徨いそのたびに男は
強くなったのだろう。
修羅場のなかで力を身につけてきた、真の強者。
指先で引き攣れた傷跡をなぞると、痩せた身体にひそむ強靭な筋肉がグッとうねるのがわかった。
「…誘ってるんですか月くん」
「やっぱり馬鹿」
ちょっと笑って、今度は昂ぶってきた竜崎を月がなぐさめるように、頸を傾げくちづける。
あきらかに逆効果で、唇をこじ開け舌が執拗に絡んでくるのに感じながら。
月は包みこむ竜崎の温かい体温に守られて、安心していた。
月は。竜崎自身の心配は、まったくしていなかった。