数日後。
海賊に襲われていたところを保護され、竜崎の船に乗り移った日からはじめて。
月は自分の旅船にもどることを一時的にゆるされた。
竜崎の月にたいする態度はやや過保護の傾向にある。と月自身はおもっている。それは好きだと口にする優しい
こころとはあくまで別の部分で、大切なたいせつな掌中の小鳥を、羽根を切り籠の中に閉じ込めてしまうのとおなじ
昏い感情。
竜崎からは常にそんな想いが感じ取れる。それでも少しずつは、信用されてきているのだろうか。
旅船に戻りたいと何度目かの願いを申し入れたら、僅かな逡巡のあと、しぶしぶ許可を下した男の顔を思い浮かべ
月はそんな風に考えた。
燦々とまぶしい青空の下。揺れる船体をロープで固くつなぎ、逞しい男たちに手助けされて移動する。
「ライト!」
旅船の甲板におりたった途端、ミサが抱きついてきた。
ワッといっせいに集まってくる従者たち。
皆、安堵したような、泣いているような笑っているような。口々に月の名を呼びながら、よくぞご無事で。お怪我は
ございませんか。お身体は大丈夫ですか。月様。
心配そうに問いかけてくる従医。
袖口で目元を押さえる女官。
旅船を離れてからすでにひとつき以上がたっている。どこか懐かしい気すらする、親しい人たちに安心させるように
笑顔を見せる月に、ミサが
「ねえライト。この船にもどって来られたんだよね?私たち、もしかして解放してもらえるの?」
言ったことばに。
微かに眉をよせた。
自分を取り囲んでいる顔を見まわす。月を見つめる従者たちは泣いていたり笑っていたり表情は様々だったが、
どの顔にも浮かんでいるのは、拭いきることのできない、不安。
「みんな。聞いてほしい」
まぶたを伏せた。
「この船はちゃんと陽の国まで連れていってもらえる。全員の身の安全も保証されている。だから、どうか安心して」
「それは本当ですか月様」
「では私たちは無事に夜の国に帰れるのですね」
ザワッと波のように喜色がひろがる中、ミサのするどい声が尋ねた。
「ライトは?ライトも一緒に陽の国に行けるのよね?陽の国に着いたら、全員解放されるんでしょう?」
「僕、は」
嘘をついた方が良かったのかもしれない。
しかし咄嗟に空いてしまった間に、誤魔化せないと感じた。
「…僕は陽の国には行けない」
「月様?!」
「なにいってるのライト!」
「竜崎とはそういう約束だ。みんなを陽の国に送りとどけて、だけど僕は解放されない。そのまま竜崎の船にのこる。
でも今の僕が太陽の王のもとに行ったとしてもなんの意味もないし、むしろ不興を買うだけだ。
だから、これでいいんだよ」
いっときでも海賊に囚われの身となっていた人間に。大国の王が、如何ほどの価値をつけてくれるというのだ。
たとえその事実がなかったとしても、だ。穢され傷物となった、値札の破れた人形。
不快に顔をゆがめ、目をそらされるくらいなら。
「父から聞いているんだ。太陽の王はとてもすばらしいひとだって。噂どおりの懐深い王なら、ならず者に襲われた
婚約者の船をぞんざいに扱うこともないだろう。僕がいなくてもきっと、丁重に、夜の国に送り返してくれるとおもうんだ」
「ライト!」
「月様…そんな…」
目を見開くミサ。愕然とする従者たち。
申し訳無いな、と月は思った。
彼らにしてみれば大切な商品を失ったのだ。希望的意見を言ってはみたものの、陽の国に辿りつけたとしてその後、
旅船が夜の国に帰国できるかどうかは、正直、月にもわからない。
太陽の王の慈悲に縋るしかない。
そして月にはもう、どうすることもできない。
「ごめんなさい」
ちいさく謝罪を口にすると、衣を掴んでいたミサの指をそっと外し、人波を縫うように旅船の自室にむかった。
全員が凍りついていた。誰も何も、ひとことも。喋らなかった。
月は考える。竜崎には私物を取りに行くために旅船に戻りたいといった。けれど本当は、みんなを安心させるためだった
はずなのに。
まったく逆効果だなと苦く哂った。
けっきょく自室から持ちだしたのは数冊の本と、写真。たったのそれだけだった。

「ライト!待って!」
固定されていたロープが外される。大小ふたつの船が波に揺られ離れる間際、甲板から身を乗り出したミサが叫んだ。
「ミサ!よせ、危ない!」
「行かないでよライト!」
ふりかえり驚いて月も叫んだ。吹く海風にヘイゼルの髪が弄られ、声がかき消された。
そばに居た従者たちに抱えられながら、ミサは叫び続ける。
「ライトだけ苦しまないで!ライトだけ辛いなんてイヤ!ライトだけ不幸になんかさせない!ミサも一緒に行く!」
「ミサ」
「ライトライトライトー!!」
すこし茫然とし。
それから綺麗にきれいに笑って、数回手をふって、なおも絶叫する姿にクルリと背を向けると、
もう、振り返らなかった。
ミサの声もすぐに風で聞こえなくなった。
「月くん」
気がつけばいつの間にか竜崎が立っている。さしだされた手をつなぎながら月はボンヤリと思う。
「月くん。取りに行った私物ってそれだけですか?」
「ん。ドレスも本も竜崎の部屋にぜんぶ揃ってるから、必要なものってそんなになかったよ」
「そうですか」
もし。
もし今日とおなじように。必死に、何度も、なんどもなんども、頼んだら。
竜崎は自分を解放してくれるだろうか。
「部屋に戻りましょう」
「はい」
もし竜崎から解放されたら。自分はどうするのだろう。
決まっている。太陽の王のもとに行って后になる。哀願してでも后にして貰う。
土下座して涙を流してみせてもいい。ならず者に襲われた憐れな者だと、同情と憐憫を買ってでも妻にして貰えさえ
すれば。そうすればミサや従者たちはみんな、無事夜の国に帰ることができる。
さらに陽の国と夜の国の国交の役にも立つだろう。夜の国の為に。
そうだった。自分はそのための存在だった。
太陽の王に嫁ぐことが自分の役目。あとのことなんてどうでもよかった。自分の気持ちすらどうでも。
自分はそのためだけに生きてきたのだ。
夜の国のために。
そのためだけに。
不意に。
ギュッとつよく手を握られて、痛みに月はハッと我にかえった。
間近に、冷えびえとした光を放つ男の目があった。
「いま、貴方がなにを考えているか大体わかります」
低い声。なにもかもを見透かす闇色の眼球が、月を凝視している。
おもわず瞳をそらした。
「離しませんよ」
言い捨てると足早に歩く竜崎に腕をひかれ、引きずられるみたいに私室に連れて行かれる。
そのあいだ、
月は離して欲しくはないと思っていた。
握られた手を。