さいきん、男の顔をみるとイライラする。
目があって、その真っ黒な薄気味わるい瞳がうれしそうに瞬いたりすると、無性に爪をたててやりたくなる。
もちろん月は夜の国の王室の子として礼儀ただしく育てられているので、そんな無体なマネはしない。
ただ眉間にしわをよせて、フイッと男から顔を逸らすだけである。
「月くん………」
竜崎の若干、情けなさそうな声を聞いて。ほんの少しだけ胸がすく気分だった。
夜。仕事を終えて私室に戻ってきた竜崎を、月は黙って出迎える。ほんのすこし前であればすぐにも会話が
はじまって、話しに花が咲いて、そうしてふたりで深夜まで過ごすことが多かったのだが。
ここ数日は交わすことばも少なく、気まずい雰囲気がただよっていた。
原因はハッキリしている。さいきん、月が竜崎とのコミュニケーションを徹底して避けているのである。
「今日もご機嫌ナナメなんですね」
「………」
尻尾をたらした犬のような目をした竜崎に、だが月はほだされない。あくまでも視線をあわせようとはせず、
キリリと結ばれた可憐な唇も冷たい影をおとす睫も。
しかし。美人は怒りの表情をしていてもあくまで美人なんですねえと竜崎はのん気に考えながら、そんな月を
見つめつづける。
「どうしてですか?私、なにか月くんを怒らせるようなこと、しましたか?」
「…自分で考えろよ…」
「やっと口をきいてくれました」
「………」
ふたたびムッツリ黙りこんでしまった月に、竜崎はやれやれとため息をついた。
そのまま、奥の部屋にはいってゴソゴソしだした男の気配を背中で感じながら、月はひどく腹をたてていた。
なにかしたかだと?
何もしていないと思ってるのか?
僕が傷ついていないとでも思っているのか?!
いきなり旅船を襲われた。従者を人質にとられ問答無用で軟禁された。自分は太陽の王の婚約者であるのに、
海賊の妾にされた。好きになって欲しいなんて無茶を言われ、それ以来ずっと寝食をともにしている。
なのに。その当の男は肝心のことをなにも話さない。月がきいても教えてくれない。相手のなにもかもを知らないで、
どうやって好きになれというのだろう。生まれも、育ちも、本当の名前すら。知らない相手を、いったいどうやって。
挙句の果てに詰めよった月に対し、竜崎は「内緒です」などと言い放った。
つまり竜崎は、何だかんだと言っても月を信用していないということだ。自分の秘密を打ち明けても良い相手として、
月を認めていないということだ。
でも当たり前だな…ボンヤリと思った。
自分だって竜崎を信用しているわけじゃない。
「───っ!」
「すみません。驚かせてしまいましたか」
耳元を掠められてビクッと身体が跳ねる。蜘蛛の足みたいな男の指が丁寧に髪を梳いている。
竜崎にふれられると、月の肌はいつもザワザワとあわ立つ。
「…っなに?」
「とても似合いますね」
夜の暗闇を背景に、窓硝子にうつった自分の髪に綺麗な飾りが施されているのを見て、月は目を見ひらいた。
キラキラ輝くルビー。サファイヤ。エメラルドにダイヤ。花を模したあざやかな髪飾り。
「ご機嫌取りのつもりかい?僕が装飾品は身につけないって、わかっているはずだろう?」
「そうですね。先日のブルーダイヤも結局つかってもらえませんでしたし。でも月くんにピッタリだと思うと、我慢でき
ないんです。受けとってください」
「お気に入りのお人形を、綺麗に飾りたてるみたいだな」
薄く、馬鹿にしたように月は笑った。髪を梳いていた竜崎の手が止まる。
「そういうことだろ?竜崎にとって、僕は綺麗なキレイなお人形。気が向いた時にたまにさわってみる程度の愛玩道具。
………みんな一緒だよ」
「…みんな、とは?」
「一緒だ。オマエも、太陽の王も。…うんざりする」
哂ったまま歪んだ声で、月はつぶやく。その瞳を、竜崎は手をおろすとじっと凝視する。
「竜崎といるとまるで一国の王の后になった気分だ。
豪華な宝物をプレゼントされて美味しい食事を与えられて、華やかなドレスを着て、忠実な部下たちもたくさんいて。
きっと陽の国に行ったとしても大して変わりは無いんだろうな。だけど、所詮オマエは海賊だ」
「月くん」
「オマエはただのならず者だ。…オマエなんか、大嫌いだ」
向けられたのは侮蔑のこもった月の瞳。
今まで威嚇してきたり、怒りに燃えていたり、僅かに怯えを浮かべたそれを見たことは何度もあったけれど。
はじめて見る、他人をあざける月の貌。
高みからひとを見下す高慢な目。
「せいぜい、抱くなり何なり好きにすればいいさ。人形代わりに船のなかに飾っておいて、飽きたら捨てればいい。
オマエにつかまった時点で僕の値札にはゼロがついて、もう陽の国には買ってもらえない。僕は夜の国のために、何もできない。
すこしでも僕を気にいったと思うなら、オマエが太陽の王のかわりに代価を払えよ」
辛らつな口調に、竜崎が冷静にこたえる。
「貴方は陽の国に売られる人形だったのですか?」
「そうさ。会ったこともない相手を后に迎えたいだなんて、ちょっと気になった花を部屋に飾っておきたいのと一緒だよ。
本当はどうだっていいんだ。僕だって、太陽の王なんてどうでもいい。誠実で懐深い人間だなんて言われているらしいけど、
知ったことじゃない。それよりも、陽の国が夜の国に、僕のからだ分の恩恵をあたえてくれる筈だったんだ。
…それなのに。
僕は夜の国のたいせつな商品だったんだよ?竜崎。それなのにオマエが」
「自分で言っていて空しくないですか」
「どうして。なんの資源もない国にとって、取引できる人間は貴重な財産だ。竜崎だって言ってたじゃないか。恵まれた国も
あれば、そうじゃない国もあるって」
ひとつの嘘もなく、月は言う。
夜空に無数に散るダイヤモンドダスト。
夢幻にひろがる雪原野。
焔に照らされた笑顔のひとたち。
美しいうつくしい私たちの夜の国。ちいさな、なにもない、だけどうつくしさだけはある。
愛する祖国。
まもりたかったのに。
「僕はそのために育てられてきたんだ。少ない食べものや、衣服や、暖かいベッドを与えられて。大切に守られて、傷ひとつ
つかないように。いずれ何処かの大国の誰かに、高く買ってもらうために」
「もうやめなさい」
「オマエは聞くべきだ竜崎。オマエがすべてメチャクチャにしたんだ。それなのにオマエがなにも話さないつもりなら僕が話して
やるよ。僕はぜったいオマエを好きになんかならない。たとえこれからオマエの何を知っても知らなくても、オマエが僕になにを
しても。頼まれても絶対に、好きになんかならない」
「月くん」
「竜崎なんか、だいきらいだ」
低く。ひといきに言い捨てて。
頭から髪飾りをむしりとると月は足早にベッドにむかった。
もう今夜、話しをすることは不可能だろう。いったい自分のなにが、月をそれほどまでに刺激してしまったのか。
意外に鈍い男はシーツの中にもぐりこんでしまった細い肩を見やりながら、再度、ため息をついた。
海賊稼業をし、世界中を船でまわっている竜崎だったが夜の国のことは存外、知らない。
もともと北の方角への海路は、あつい氷の壁で閉ざされていることが多いうえ、月の言うとおり貧しい国が多いので出向く機会も
少ない。稼ぎにならないからである。
資源のない国が、人民を輸出品として他国から代価を得るのは昔からよくある話しだ。
特別、非道なことでもなかった。
だったら。竜崎はおもう。
だったら、あんな目をしてはいけない。
売られることを何とも思っていないと言うのであれば。
男を嘲り、侮蔑しながらも。
自分自身を嘲り、侮蔑し、傷ついた瞳。
ひびが入った硝子玉みたいな、痛々しいほどにかがやく瞳。

夜のしじまに、深くふかく、ため息がいくつも落ちる。
自分の本当の疵には気づけないまま、眠りの淵。夢の中でしか泣けないひと。
どうせ泣くならば、私の腕のなかで泣いてくれればいいのに。