うまれてきたのはこの国のため。
愛され大切に育てられ、傷ひとつ付かないよう。やがて見知らぬ誰かのモノとなり、引き換えに国を国民を守ってもらうために。
自分はそのためだけに生きているのだから。
月は、国王待望の第一子であり、ひどく美しい子であった。
白い肌も薄茶色の髪も、瞳も、あちこち整った身体も、人形のように綺麗な顔も。
一日の半分以上、暗く閉ざされた空に月のひかりが満ちる夜の国で、『月』と書いて『ライト』と読む相応しい名をつけられ、
月はなに不自由なく成長した。
不自由はあったのかもしれないが。外見と相違なく、月は賢い子供でもあったので。
だから、国王からその話しを聞かされた時も、ただ黙って長い睫をそっと伏せただけだった。
「結婚…ですか」
「そうだ月。陽の国から使者がきた。太陽の王が、お前を后にと望んでいるらしい」
太陽の王。后。重いことばが月を縛る。
夜の国と違い、陽の国は大国だ。その国王である太陽の王の望みを直々に伝えに来た使者のことばに、逆らう術など誰にも
どこにも、ない。
そもそも自分は『そのため』だけの存在。
「粧裕ではなく、僕なんですね」
「海を越えたお前の噂をきいたらしい。粧裕はまだ幼いが、月。お前はもう17歳だ。太陽の王は若いが、懐深く思慮にも長け、
国民にも慕われている立派な人物だそうだ。
そんな方に望まれている…いい話じゃないか」
口ではそう言いながら、哀れみと謝罪の色を含んだ目で見つめてくる国王に、月はやさしく微笑んだ。
「夜神。父さん。…大丈夫だよ。ずっと前からわかっていたことだ。僕がこの国の役に立つなら………陽の国に、いきます」
「月………」
小国は、大国の庇護のもとに生き延びる。
あらそいを避けるために王室の子供を人質として差し出し、かわりに経済的軍事的援助を受けるのは、当たり前のはなし。
太陽の王の『后』として、身体を、プライドを差し出すなんて、なんでもないこと。
月は本心からそう思っていた。
それでも、月は生まれてから一度も夜の国を離れた経験がない。自分か妹の粧裕どちらかが、いずれは他国に渡るのは必然
だったが、出来ればこの地にとどまりたいと願っていたことは我侭ではないだろう。
かわりに大切な妹がつらい思いをせずにすむのだと、心から安堵したのも事実なのだから。
もう二度と。月明かりに照らされた、この景色のなかに帰ることは叶わない。
それだけがほんの少し、切なかった。
夜の国から陽の国へは、ひろい海を渡って行かなければならない。途中、遭難の不安もあれば海賊に襲われる危険もある。無事に
辿り着くのは至難のわざだ。
なにより陽の国は一日の大半、日のひかりに晒されている。
月夜の世界で生きてきた、月の、白く細い肢体ではとても暮らしてはいけないだろうと、夜の国民達は沈痛なきもちで囁きあった。
月自身は、どうでもいいと思っていた。
太陽の王に嫁ぎさえすれば自分の役目は終わるのだから。
あとのことなんて、どうでもいい。
陽の国の使者が帰国の途についてから三ヶ月後。
月と、50名弱の従者をのせて、一艘の旅船は夜の国を出国した。
その様子に、王室の子が他国に嫁ぐ華々しさや祝賀の雰囲気は微塵もない。数少ない身内に見送られ、長い夜の明ける直前、
薄らいだ月のあかりと日の出のひかりに包まれながら、月は静かに生まれ育った景色に別れをつげた。
なみだは不思議と浮かばなかった。
ちいさな船に追尾する警備艇もなく、乗り込んだ従者も最小人数。それでも十分だと月は思っている。
目的地へ無事辿りつけるかどうかもあやしい今回の旅路。むしろ付いてきてくれる者たちに、申し訳なく思うくらいだ。
陽の国の使者は、陽の国の海域ちかくまで行けば迎えの船をよこすと言っていた。なんとかそこまで頑張らなくては。
それから月が陽の国に着き、太陽の王の后になった時点で、月を乗せてきた船は月の従者と、婚姻証明書と、積めるだけの資源と
財宝と武器をもって夜の国へと帰ることが出来るのだ。
月ひとりと引き換えに。月ひとりを残して。
かなしくはなかった。それが自分の存在する意味。
「ライト。風邪ひいちゃうから、中にはいろう?」
船尾の手すりにもたれて、ずっと白い波を見つめ続ける月に、金髪の少女がそっと声をかける。
王族血縁の娘でおさない頃から月を慕っている。今回の危険な旅にも自ら志願して付いてきた。
「ミサ…そうだね。海風はつめたいからね」
小柄な背中をうながし、一緒に船内へともどる。
つよい時化に頼りなく船は弄られながら。先の見えない航海は、はじまったばかりだ。
海に出て、十日後。
昼と夜の長さがおなじくらいになったその日。
さけびが、船のなかに響き渡った。
「か………海賊だ───っっ!」
ベッドに腰かけ本を読んでいた月は、僅かに片目を眇めると唇をひきむすび、
立てかけてあった長剣をスラリとひきぬいた。