「危機一髪」
しつこいようだが竜崎は探偵である。黒猫の探偵である。
とは言っても竜崎や仔ネズミ月の暮らす館は広くて大きくて、竜崎は建物の数多ある部屋のなかでも
陽のよく差しこむ暖かい部屋の窓辺、特にお気に入りのアンティーク椅子に座りっぱなしの事が多いのだが。
いわゆる引きこもり探偵である。安楽椅子探偵ともいう。
しかし、竜崎が名探偵である事実に変わりはないのであった。
探偵業で大切なものは何か。
優秀な頭脳も必要だろう。鋭い観察眼も、鋭敏な知覚も、世界の真実を語る能弁な舌も必要だろう。
そして重要なのは権力と人脈。もとい、猫脈。
力を持たないものの言葉に、力は存在しない。
月は、竜崎といっしょに暮らしはじめてしばらく経った頃から、竜崎が他の猫たちと接触する様子をたびたび、伺う機会を得ていた。
どうやら月と竜崎とワタリの暮らす洋館の敷地はあまりにも広大で、
その中に近所の猫たちが通う猫道が何本か通っているらしいのだ。
猫は本能的にまいにち歩く道筋を、テリトリーの有無や安否などを確認し、予め決めていることが多い。
それを通称猫道というのだが、黒猫竜崎はその猫道権利者として元締め的役割を果たし、
かつ各々猫たちとの交流を図っているのであった。
とある日は、月は今まで一度も見たことのない不思議な毛色をした男女(雄雌)の猫二人(匹)と引き合わされた。
竜崎は彼らを
「アイバーとウェディです」
頭のうえにチョコンと乗っかった月に紹介した。
「南蛮渡来の詐欺師と泥棒猫です」
「その紹介の仕方はちょっとどうかな…」と月も思わないでもなかったが。
相手はとくに気にした風もなく、とくにアイバーと呼ばれた雄猫の方などは、竜崎の頭頂部で警戒態勢中の仔ネズミ月に向かって、
「やあ。噂には聞いていましたがキュートなハニーですねL。よろしくライト」
などとウィンクを送ってきたりして、月は戸惑いながら軽くヒいた。
まさか竜崎以外にも、鼠であるところの月に対して好意をよせる猫がいるとは思ってもみなかったので。
ところがである。
またある日は、小柄で、金色にカラーリングした毛をツインテールに結んだ可愛らしい彼女(雌猫)が
通りがかりに月を発見するなり叫んだ。
「ヤダー!あなたがライトね?!噂どおりちょお!かわいいー!!
ライト、竜崎さんなんかと一緒にいないでミサのうちにおいでよ。
そいつマジ変態さんだから、ライトそのうち手錠で繋がれて監禁とかされちゃうかもよ?」
「うるさいですミサさん余計なこと喋らないでください。蹴り入れますよ」
言ってる側からマジな蹴りあいと引っ掻きあいが始まって、月はヒラリと竜崎から飛び降りるとトテテテテテッと物陰に走りこみながら
黒猫と金猫のわりと互角な恋のバトルを傍観しながら、小首をかしげた。
アレ…猫って鼠の天敵なのが常識じゃなかったっけ…?僕まちがってる…?しまった…!屈辱…!!
いやいやいや間違いなく猫は鼠の天敵である。
しかし、きょうびの猫は野良であっても食糧事情がかなり宜しいので、
鼠を見かけても餌として捕らえることなど稀なのが昨今の猫事情であり。
しかも。小さなちいさな仔ネズミ月は、追うものと追われるものの宿命関係である筈の異種の壁すらを越えさせる、
愛くるしく。いとおしく。ついつい保護欲を掻き立てられる、そんな魅力に溢れているのだ。
猫族の竜崎たちからしてみれば、ちいさな月は「ンマー」と口のなかに入れて守ってやりたい存在。
でも、ソレをすると洩れなく「モグモグモグモグ」と美味しく租借してしまうので、絶対に出来ない。
愛情が食欲に直結するあたりは、動物の哀しいサガである。
兎にも角にも。
そうやって竜崎は各方面の猫たちに月を紹介してまわり、「この仔ネズミには手出し無用」と暗に警告を発する一方で、
迷子の月の情報を収集してまわる日々であった。
くどいようだが竜崎は黒猫の名探偵なのであった。
だが。名探偵にも誤算は、あった。
あるとき。
いつもの様に竜崎の箒尻尾のなかで昼寝をしていた月は、きゅうに空腹感をおぼえて目を覚ました。
…おなか…すいた…
ガブ!
とりあえず目の前の尻尾に噛みついて、ハムハムハムハムッとやってみたが、
最近痛みに慣れてしまったのか惰眠をむさぼる黒猫が目覚める気配はなく。
ムクリと起き上がると、ポテッと床に飛びおりて、ヨチヨチと月は寝ぼけながら歩きはじめた。
多分ダイニングかサンルームに行けばコンソメチーズのワタリさんが居るはず…おやつを貰ってこよう…
覗いてみたダイニングは無人でコンソメチーズのワタリさんの姿はなく、
寝ぼけて更にお腹が空いた子供特有の癇癪泣きを起こしそうになりながら、月はチヨチヨチヨチヨと今度はいっしょけんめい、
サンルームに向かう。
その途中で。
不意に気配をかんじた。
ん?と月は顔をあげた。
ちょうどサンルーム手前、開いていた窓枠に、黒い影がうずくまっていた。
最初。月は竜崎かと思った。竜崎とおなじ漆黒の毛並みの猫は、ジッと月を凝視していたかとおもうと
「神…」
つぶやいた。
んんん?
月はチョコンと首を傾げた。
竜崎よりもスラリとした、見目麗しい黒猫は狂信的なモスグリーンの両眼をギラギラ輝かせる。
「お会い出来て光栄です───我が神よ」
月の薄茶の毛がゾワッ!と総毛立った。
たたたたいへん…!ヘンタイさんだ…!
「貴方は種族の違いすらを超えて、万民を跪かせることのできる御人(鼠)…
神のもとで皆、平和で争いのない理想の世界を構築することが可能となる…」
ここここわいー!りゅうざきたすけてー!!
月は泣きそうになりながらオロオロと立ち上がった。仔ネズミはパニクると後ろ足で二足回転するものと相場が決まっている。
クルクルクルクル必死でその場で回っているちいさな月を愛おしそうに見つめると、
「参りましょう神…我々の新世界へ…」
「そんなことはさせません」
低い、冷えびえとした声と同時に、
月に近づきかけた黒い影が吹き飛ばされた。
「りゅうざき…!」
「私の月くんを浚おうとは。何処のどいつだか知りませんが、いい度胸してますね」
ムエタイ攻撃のポーズを取った黒猫竜崎に月がすばやく走りより頭のうえに駆けあがる。
蹴りとばされて壁に激突したもう一方の黒猫は、ヨロヨロ起きあがると憎々しげに竜崎を睨みつけた。
「神を冒涜する愚かモノめ…!」
「見かけない顔ですね。何者(猫)ですか」
「神の噂を聞きつけ、遠きより馳せ参じた。いずれ神は私がもらいうける!」
ピルピルピルピルと怯えて震える気配を頭頂部にかんじ、猛烈な怒りを覚えながら竜崎はガルルルルル…と恫喝の鳴き声をあげる。
「月くんは私のモノです。誰にも渡しません。殺されたくなかったらとっとと失せろ」
「彼は神だ。神が誰かの所有物になるなど、あってはならない」
「あなた、頭おかしいんじゃないですか。なんで月くんが神なんですか。彼は可愛い仔ネズミですよ」
「彼は世界に理想郷を実現する。猫も鼠も悪人もない、すべてが等しく正しい世界」
「確かに月くんは猫の皆さんにも人気がありますけど…それと理想郷となんの関係が」
「私の理想だからだ!」
モスグリーンの瞳をもつ美男猫は絶叫した。
「キュートで可愛らしく美しい神に、跪き平伏し蹴り倒されそのおみ足の裏を舐めるのが、私の夢だからだー!!」
………あ。変態だ。
竜崎はおもった。
私以上の変態だ。これは月くんがアブナイ。
ゲシイッ!ともう一発蹴りを決めながら「ワタリー!」と竜崎は腹心の名を呼んだ。
途端。どこからともなく音もなく現れたミスター・パーフェクトにヒョイッと襟首摘まれ持ちあげられて、美男黒猫は鳴き喚く。
「私は諦めません神!必ず貴方をここからお救い致します!私の名は魅上です!忘れないでください神よー!!」
「りゅうざき〜あのヘンタイさんこわい〜」
「ヨシヨシ大丈夫ですからね月くん。ワタリ、その変態を早く捨ててきてくれ」
「かしこまりました」
ニギャーッ!フンギャーッ!と暴れる魅上をものともせず、スタスタと優秀な執事が立ち去ったあと。
静かになったサンルームで、ペロペロペロペロ…慰めを口実に月の顔を舐めながら、竜崎は優しく囁いた。
「もう平気ですよ。危機一髪でしたが怖がらなくていいです。月くんは私が守りますから」
「ん…こわかった…でもりゅうざきカッコよかった…」
「月くん…!」
内心苦々しく思っていた竜崎である。情報を得るために月を表に出したは良いものの、あんな輩を迂闊に呼び寄せてしまう様では
この作戦は失敗だった、と。
でも。これはこれで結果オーライ…かもしれない。
竜崎を見つめる月のつぶらな目は今までにないくらい、信頼と親愛の情に潤んでいて。
シメシメ。名探偵はホクホクと喜んだ。
「月くんは私から離れては駄目です。これからも常にいっしょに居て。あんなヤツがいつまたやって来るとも限りませんからね」
「うん!もうぜったいりゅうざきから離れない!ずっといっしょにいる!」
コックリ、ふかぶかと頷いた仔ネズミに、変態黒猫はニタアッと笑ったのだった。
………月の危機は、微妙にまだ続いている………。
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