春霞、雨上がり、朧宵。
聞こえはいいけれど纏わりつく湿気と妙な生温かさを含んだ夜気は、きもち悪い。
深夜、をとおにまわった時間。月は急いで道を歩く。
東京で生まれ育って、こんな濃霧に出会う機会はなかなか無いだろう。十メートル先の視界が利かないなんてこと、
街中では滅多にない。
空気中に大量に含まれた水分は何もかもを吸収して、街灯の光も、とおく車の騒音も、世界も、ぼんやりと。
白いもやがかかった薄闇を月はひとり歩く。歩く。
誰かに呼ばれた気がして立ち止まった。
ふりむいた。なにも見えない。
前に向き直った。また歩き出そうとして、
数歩先に、足先だけがぽつりと、霧の中に見えた。
裸足のゆび。なましろい。親指がほんの少し内側に折れ曲がっている、見慣れたソレ。
ああ、アイツだ。
あの男は死んだときも裸足だった。たぶん棺桶のなかでもそうだった。
少しわらって、やさしく言った。
「馬鹿だね。足じゃなく手なら、僕を引きずっていけるのに」
僕は急ぐんだ。邪魔するなよ。
月が動けば大気は揺れて、目の前の足は掻き消える。今度は肩をつかむ冷たい感触。首筋にかかる這うような吐息。
重い背中。苦しい肺。
気にもとめず、歩きつづける。
春霞。雨上がり。この夜だけだ。濃厚な白濁と、そこにただよう憐れな男の恨みつらみ惑い嘆き。
全身にまといながら進むのも悪くはない。
月はとろけるみたいな微笑を浮かべた。
ふと思い出すのは、青白い死相。
竜崎。
いま、僕のうしろに居るかい?
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霧が酷かった日に思いついたsss。竜崎さんはいまも月ちゃんの背に乗っかってるといい。