冷たいみぞれが本格的な雪に変わり、窓の外はシンシンと寒くて、
そして静寂に包まれた無音の世界。
だけど部屋のなかは暖かくて、竜崎の腕のなかは温かくて、施される愛撫は優しくてきもち良くて、もどかしくて、
なんど震えながら達したかも覚えていない。
熱い楔に穿たれ、酩酊する意識のなかで、竜崎が幾度もいくども
「一緒にいきましょうね月くん」
と耳元に囁いていたのを朧に覚えている。そのたびに月は竜崎の背に縋りながら、無意識にカクカクと頷いた。
愛しい。この世の誰よりも自分を理解してくれる。キラである自分も、夜神 月である自分も。
罪も罰も死神すらもぜんぶひっくるめて受け止め抱き締め、欲しいといってくれる、男。
「考えさせてくれ」
と月は竜崎に伝えた。大学を卒業するまでの丸三年間。重い過去と贖罪を背負った自分が、真摯に現実を受けとめ、
これからどうやって生きていくのかを模索するには、あまりにも短すぎる時間だけれど。
あの日。Lとキラの戦いの決着がついたあの夕暮れ。あの時から止まっていた月の時計はいまやっと。ようやくカチリカチリと
時を刻みはじめたのだから。
「これからどうぞゆっくり、月くんが心ゆくまで考えて下さい。そして納得したら必ず、私と一緒に世界に旅立ちましょう」
熱塊に押し広げられ最奥を貫かれ、衝撃と、爪先から脳髄まで痺れる快感に全身を撓らせて吐精した。
体内に放たれた竜崎の熱をかんじながら、細かく痙攣する身体を包みこまれて、くりかえし互いに甘いキスを強請りあった。
あの日。
あの雪の2月。澱んだ世界の中のひとつの事件が解決して、月の誕生日を迎え、金色のリボンで飾られた茶色い小箱の
チョコレートを、シーツにくるまりながら二人で分けあいっこした。
あの特別な夜。
あれから三回目のバレンタインと、バースデイ。
「つくづく、往生際が悪いですよねえ月くんも…」
「なんだ竜崎。その言い方は」
久方ぶりに。本当に久しぶりに会うことが出来た恋人は、スラリとしなやかな肢体を若々しい紺色のスーツに包み、
まだ今ひとつ慣れていない初々しさを感じさせるネクタイの結び目をしきりと気にしている。
「で。冗談のようなホントの話。本当に、ほんっとーに警察庁入庁で決まっちゃった訳ですか」
「いまさらだなあ。夏に試験結果が出たとき、ちゃんとメールで伝えただろう。一種で合格したからね。
父さんの顔を立てる意味もあるし、今日も学閥OB会に呼ばれているんだ。だからあまりノンビリしてられない」
「はあ………」
月と竜崎が待ち合わせる場所は、三年前と変わらず竜崎好みの甘味のそろったデザートカフェだ。
以前は元・キラと現・Lとして、それなりに気を使って落ちあっていた彼らも、いまでは割とおおっぴらにデートを重ねている。
もっとも月の方に「デート」という認識があるかどうかは未だ謎なのだが。
それにしても。
「まさか夜神くんが…本気で警察官になるとは思いませんでした」
「ああ…」
ガシガシ爪を噛みながら椅子のうえに体育座りで、上目づかいに呟いた竜崎の繰言に、フワリと月は微笑んだ。
穏やかな、ほんの少し大人びたソレは、出会った当初からつい先日まで、竜崎が一度も目にすることのなかった月の貌。
傾けているカップの中身の珈琲は相変わらずブラックだ。たまに、ミルクをひとつだけ入れるときもある。けれど砂糖は無し。
そんな所は何ひとつぜんぜん変わっていないのに。
「色々考えたのさ。この三年間。これでも」
薄く唇で笑いながら、俯いた月の表情を竜崎は用心ぶかく観察した。
けして欠片も見落とさないように。それがLである自分の役割なのだから。
「僕の…キラの、してきた事をね。考えて、考えて、考えて…眠れない夜もあって。
でもどうやって償えば良いかって無理矢理にでも考えたとき、どうしたってまずは目の前の現実に直面するだろう?
父さんとか、母さんとか、粧祐とか…家族とか、周囲とか、僕の、夜神 月の日常をね。まずは幸せにしなきゃなってさ…
欺瞞であってもね…そう思ったんだ。
だから僕は子供のころからの目標どおり、とりあえず立派な刑事を目指すよ」
「…そうですか」
それは間違いではない。竜崎もそう思う。人間が地に足つけて歩もうと思えば、その為には道行に見えてくる景色や人々を、
関係を、触れあいを、大切にしなければならない。
キラであった夜神 月は恵まれた裕福なこどもであり、あまりにも恵まれ過ぎていて、逆に己の立ち位置を見失ったことで
誤りを犯した。
キラを犯罪者と断定するなら、だ。
キラは三年前にLとのゲームに負けて、敗者となり、犯罪者となった。
キラであった月はLの特別措置のもとで夜神 月の日常に戻され、平穏な生活のなかでの苦しみ、罰を受けた。
そしてキラが「過ち」であったことを自ら悟ったのだ。
その証拠に。
「最近また凶悪犯罪の増加傾向が著しいからね。とくに外国人による犯罪も多いし…噂じゃ、北経由でシンジケートが
日本侵入を狙っているらしいんだ。
水際で食い止めるにしても、父さん達だけじゃ、正直手が回らない現状なんだよ。はやく僕も第一線で役に立ちたいんだ」
月はキラではなく夜神 月として、月のたいせつな人たちの、月の日常の、月の世界の平穏を守りたいと願っている。
自分自身の力で、幸福を成し遂げたいと思っている。
あの日。あのホテルでニュースを観ながら叫んだ
「キラだったら!」
という悲痛なセリフは、もう月の口から零れることは、ない。
甘いキャラメルシフォンティーを啜りながら、新社会人目前の月を前にして、この三年間をずっと見守り続けてきた竜崎の胸には
安堵が広がっていた。
しかしその一方で、一抹の暗雲が晴れないのもまた、事実だった。
「では…月くんが私のもとに嫁ぐ日はなかなか遠そうですねえ…」
「嫁ぐってなんだよ。僕は『考えてみる』とは言ったけど、オマエと生涯を共にする約束をした覚えはない」
「警察でも検事でも弁護士でも医者でも、経済でも政治でも語学でも何でも、勉強するに越したことはありません。
すべてが探偵業には役立ちますから。
しっかり学んで経験を積んで、いずれ私のところに永久就職してくれる日を気長に待っていますよ」
「ひとの話を聞いているか」
「あ。でもアレの経験を積む相手は私だけにして下さいね月くんお願いします」
「ははは。こんな場所だけど遠慮はしないよ竜崎」
グーを鼻面むけてお見舞いしてきた月をヒラリとかわすと、反対にその腕をひっぱった。
グラリと体勢をくずし竜崎の胸に倒れこむ形となった月は、慌てて起きあがろうとしてキュッと眉を潜める。
「よせよこんな所で…っ…離せって!ちゃんと今晩は時間空けてあるから。ホテルですれば良いだろ!」
ひそめた声に、かたちの良い耳朶が微かに赤い。
それに思考の片隅で満足感を覚えながら、竜崎はソッとさり気なく、月の掌にソレを押しつけた。
懐に忍ばせてあった、カサカサと乾いた紙束。黒い表紙の、ノート。
─── 一瞬。月の表情が削げおちた。
『………クククッ…それにしても三年間もホンット律儀だなーオマエら』
言いつけを遵守してそれまでずっと大人しくしていたリュークが、堪えきれなくなったように初めて嘴をはさむ。
「うるさいです死神。外では黙っているように」
『ハイハイ。黙ってるからホテル帰ったらリンゴくれよーL』
その間にそつなく元の姿勢にもどった月は、照れ隠しだろうか再びネクタイの結び目を気にしながら瞼を伏せ、
フ、と。
わらった。
「リューク。これは大事な儀式なんだ。僕がノートの所有権を、そしてキラの記憶を失わない事は、たいせつなことなんだよ」
二度とおなじ過ちを繰り返さないための。
これは、贖罪の儀式なのだ。
そうだろうか、と。竜崎はおもう。
三年前は、夜神 月からキラを取り上げてはならないと、彼からノートを、死神を、記憶を、キラを奪ったら。
おそらく月は月として生きていかれなくなると、本能的に悟っていた。
だから現在でも竜崎が保管しているデスノートの所有権は、月にある。
しかし。
時計の針は動き、月日が流れたいま。蟠りはあるだろうが過去を過去として清算し、新たな一歩を確実に踏みだそうとしている月に、
果たしてデスノートの、死神の存在は未だ必要なのか。
むしろ、枷となるそれにこだわり、手放したがらないのは、月の方ではないか。
贖罪の意識がない訳ではないだろう。自戒の意味がない筈もないだろう。
けれど月の本心が、無意識の彼自身が、未だキラを求めているとしたら───………
「じゃあ竜崎。そろそろ行くけど、今夜は例のホテルで良いのか」
「…あ。はいお待ちしてます。月くん」
「ん?なに?」
「就職祝いにとっておきのシャンパンで乾杯したいので、お酒は程々にして早く帰ってきてくださいね」
ちょっと目を見張って、それから面映そうに視線だけで応じて店を出ていく月を見おくり、
竜崎は着ているトレーナーの鳩尾のあたりを鷲掴んだ。
隠し持っている服の下で、黒いノートから、言いしれぬ冷ややかな不安が滲みでてくるのをヒシヒシと感じていた。
すこし冷めてしまった甘いキャラメルシフォンティーは、妙に仄苦い味がした。
ずっと見てきた。
この三年間、ずっとずっとずっと。
「夜神 月くん…だったね」
「いつも父がお世話になっております」
赤坂にある、居酒屋と呼ぶにはあまりにも敷居が高い、しかし格式ある奥ゆかしい料亭程度でもない、店。
広い座敷には真新しい畳のにおいと床の間にうつくしい生花がさり気なく飾られていて、十数人の背広姿の男たちが、
鍋が放つ湯気のなか、ビール瓶や日本酒を片手に表むき和やかに談笑を繰り広げている。
「噂はよく聞いているよ。将来を嘱望されている、夜神次長の懐刀。今度、大学を主席卒業予定だそうじゃないか。
たいしたものだ。頼もしいかぎりだね」
「畏れ入ります」
ポンポンと形容するには馴れなれしく肩を撫でられ、正座したまま月は上面だけで綺麗に微笑んでみせた。
まだ正式に入庁した訳ではないので、名詞は失礼しますと断りを入れると、月の、両手で包んでいたグラスと掌のあいだに
男は強引に名刺を押しこんでくる。
渡された紙片にさり気なく視線を滑らせる。年齢は近いのだろう。
しかし役職名は父親である総一郎より格下だ。
一瞬で判断して、月はニコリと笑った。
「まだまだ気持ちばかりが焦ってしまって、実際お役に立てるかどうか不安ですが。何卒今後もご指導、ご鞭撻のほど
よろしくお願い致します」
「なあに。あの夜神次長の息子さんだ。しかも我々と同門の仲じゃないか。なにかあったら遠慮なく頼ってくれたまえよ。
これでも各界に顔は効くほうだからね」
月の綻ぶ華みたいな微笑に見蕩れ、気をよくしたのか、やや酔いが回っているらしい赤ら顔の太った男は、フラフラと席を
立ちあがった。つぎのターゲットを見つけたのか、それともトイレに直行か。
彼らが言う「同門」つまり大学は「東応大学」だけだ。
他大学卒では学士としてすら認めない。歯牙にもかけない。
「東大に非ずんば人に非ず」という言葉はジョークでも何でもなく、いまだ一部の人間たちのなかに根強く残る強烈な選民意識と
学歴信仰の現れであり。
国家公務員のなかでも一種合格者、さらにキャリアと呼ばれる人種は、概ね学閥、ハッキリいえば東応大学出身者であることが
必要不可欠なのだ。
極端な表現をすればそういう、ごく一握りの限られた存在によってのみ、日本国家の舵取りは行われているのだ。
その点、月は東応大学に主席で入学し、途中紆余曲折はあったものの無事、今春主席で卒業する予定である。
その意味で月はエリート中のエリート、キャリア中のキャリア候補生として入庁前から周囲に一目置かれている状態であった。
さらに。
夜神 月は他にも無視する事のできない、ごく少数の人間のみが知る、重要なファクターを孕んだ存在でもあった。
それは国家公安委員がつねに目を光らせ、憂慮するほどの疑惑でもあって。
彼の父親。夜神 総一郎は現在、警察庁次長という要職に就いている。
しかし彼自身は国家公務員一種での警察庁採用であったものの、出身は地方の国立大卒だった。
その総一郎が最終的に東大出身の並いるライバル達を制し、次長という要職にまで昇り詰めたのは、
もちろん彼自身の正義、誠意、人徳さらに幸運もあったであろうが。
───キラ。
あの三年前の。キラ事件が………。
「やあ、今日はずいぶん大人しいんだね。お父上はいらしていないのかい?」
声をかけられ振り仰いだ。
警察庁長官。
月はさすがにすばやく立ち上がり背筋を伸ばすと、最敬礼をする。
「お久しぶりです。…まさか、今晩こちらにお越しになるとは思ってもいませんでした」
「ああ。会議が思ったより早引けてね…それで寄ってみたんだが」
ぞんざいに手を振りながら囲んでいたSP達を下がらせ、月が差しだしたグラスを受け取ると、冷えたビールを一気呵成に煽る。
空いたソレにふたたび並々と炭酸をそそぐ、月のまだ若く、瑞々しい白い指先を眺めながら、
「てっきり父上と一緒に来ると思っていたんだがね」
「…父は、先日の連続強盗・一家惨殺事件の捜査指揮で抜けられない様でして…同門でもありませんし」
「ああアレか。聞いているよ。あの事件も恐らく外国人犯罪だろうな。いまごろ実行犯はとっくに高飛びしているだろう。
………ここだけの話だが、実行犯のおおよその身元は割れているんだ。いま、ICPOと連絡を取りあっている」
ピクリと瓶を持つ手が揺れたが月の表情は穏やかに変わらなかった。
反応はそれだけだった。
片手で窮屈そうなネクタイを緩めながら、長官はそんな月を横目に、まるで愚痴を聞かせるように言葉を続ける。
「平和にしあわせに暮らしていた家族がある晩、母親から幼い兄弟に至るまで皆殺しにされて家には火を点けられて。
その理由が怨恨ならまだしも、わずかばかりの現金を狙った物盗りの凶行。しかも連続してだ。正直、たまらんよ。
三年前に比べて、シンドイ時代に戻ったものだ。黒だと判っていても面倒な所定の手続きとやらを踏まないと、犯人を取り押さえる
ことも出来ない。そしてその間にも、目先の利益に釣られてヤツラは次々と罪もない人を殺していってるんだ。
全く堪らん。国家は、警察は、無力だと痛感するばかりだ。本当に嫌な時代に戻ってしまった」
三年前は、キラがいた。
悪人はキラが裁いてくれた。
平等に迅速に正確無比に。淡々としたそれは輝かしい、神の裁き。
そして保たれていた素晴らしい世界の平和。
例えそれが仮初であったとしても。
キラさえいれば。
キラ。
「………何がおっしゃりたいんですか?」
月は唇を笑みの形に引きあげる。
切れ長な眦の、ハシバミ色の眼は笑っていなかった。
この男は知っている。
この、日本警察権力のトップに立つ男は、知っている。
キラ事件の捜査で、世界の名探偵Lにキラ最有力容疑者として疑われ、尋問され、監禁までされた月の過去を。
あるいはもしかしたら、唐突にこの世から存在を消した、キラという名の神の正体すらも。
海千山千の魑魅魍魎ともいうべき権力の亡者たちを、一手に束ねている壮年の男は、培ってきた実績と経験と人脈と勘とで
夜神 月という青年の秀麗な面に隠された苛烈な本性を、とおの昔に見抜いていた。
彼の父親である総一郎よりもよほど素早く、的確に。
月の稀有な頭脳。
月のもつ未知の能力。
月の、謎の名探偵Lとの繋がり。
そして総一郎を利用して月を、夜神親子ともどもを、警察組織の絡め手をつかい己の手駒として掌中に収めようと、
手ぐすね引いて待ちかまえているのだ。
フ、と月は淡い吐息を零す。
神であるキラを手に入れようだなんて思いあがりも甚だしく。
神であった今はただの子供を、手に入れようだなんて酔狂な事このうえなく。
そんな馬鹿を望むのは、あの男くらいだ………。
「長官らしからぬ発言ですね」
お疲れなんでしょうと労わるように再度、ビール瓶を傾けながら月は何気なく宣告した。
「キラは大量殺人犯です。殺人に正義も悪もない。
キラは、この世からいなくなって良かったんですよ」
───これからは私達の手で、私達の力で。この世の中を良くしていきましょうよ月くん───
デスノートに、キラに頼らない、
自分たち自身の力でほんとうの幸福を。
「警察が無力だなんて思いません。たとえ時間はかかっても、正義のための尽力はかならず実を結ぶと僕は信じています。
そのための努力も惜しみません。4月に入庁した暁には、職務に全力を尽くしたいとおもっています」
マジマジと月の綺麗な貌を見つめ、男はパシリパシリと数度まばたきを繰りかえした。
「………そうだな。いやそのとおりだ…前言撤回する。どうやら私は酔っぱらっているらしいな」
たかだかビール数杯でそんな言い訳をしてみせると、両手でツルリと顔を撫で、立ち上がった。
「お帰りですか」
「ああ。明日はセンセイ方との接待ゴルフでね。朝が早いんだ。月くんはゴルフの方はどうだね」
スウィングの真似事をしてみせる長官に苦笑して、
「いえ。まだコースでの経験はありませんが、そのうち勉強させて頂きます」
「そうだな。仕事も大事だが、酒も、ゴルフも大事だぞ。あまり父上のような堅物にならんようにな」
思わず苦笑いせざるを得ないセリフとともに帰り支度をはじめた長官を、他の取り巻き連中と一緒に玄関口まで案内する。
靴を履き門の外にまで出て、車に乗りこむのを見届ける。
そして車のドアが閉まる直前。
ひとこと。
「月くん。今度の機会には父上と連れ立って来たまえ。同門などは関係ない。
優秀な人材は、これからの日本国家にとって必要不可欠な存在だ。特別な能力をもった人間は、国の宝なんだ。
その力をわざと活かさない人間こそ、そこらの犯罪者以上に罪ぶかい存在だと、私は考えている。
これ以上言わなくても聡明な君になら、この意味は、わかるだろう」
恫喝している訳でもない。
それなのに低く、腹に響く声は、仮にも警察庁長官の肩書きを背負う男の底力だった。
周囲にたたずむ他の男たちは沈黙していた。
誰も、口も開かず、問いただしもせず、ある者は耳を塞ぎ、目を伏せ、全員が身分相応の態度を保った。
月は。
ふかぶかと腰を折ると、
「ありがとうございました」
夜闇のネオン街に去りゆくリムジンのテールランプを静かに見送った。
ずっと見てきた。
この三年間ずっとずっとずっと。移りゆく世界を。結局なにも変わらない世界を。
そして僕はずっと考えてきたんだ。竜崎。
街を歩けば吹く風には悪意が漂っている。
いつの頃からソレに気づき始めただろう。少なくともあの黒いノートを拾う前、大学受験を控えた高校生だったころ。
退屈と倦怠と閉塞感のなかを、いっぴきの熱帯魚みたいにヒラヒラすり抜け泳いでいた昔には、感じたことはなかった。
あの頃の自分は、なにも知らない子供だったから。
あの頃の世界は、なにも知らない箱庭だったから。
OB会を終えて、つぎの店への誘いを丁重に断り、タクシーを使わずに徒歩で月は竜崎の待つホテルへと向かった。
夜風に吹かれて、考えてみたかった。でもなにも考えたくなかった。
坂道をゆっくりと下る。某繁華街ほどではないが、誘いの声はそれなりにかかる。
聞こえないフリをしながら歩を進めると、傍らの道路で止まっていたタクシーから急に怒鳴り声をあげて男がひとり、降りてきた。
続けざまに降車した運転手となにか口論をしている。支払いについて激しく揉めているらしい。
不意に、乗客の男の方が拳をふりあげて、とっさに月の身体が動いた。
痩身だが月は背が高い。そして警察庁入庁に向けそれなりに鍛えてもいる。
かるく腕を捻りあげられ、運転手に暴力を振るおうとした男は唸りながら青褪めた。
ただの酔っ払いの中年だ。
「今回は見逃します。ちゃんとお金を払ったら、行ってください」
月の穏やかな声に、万札を数枚なげすてて男はヨロヨロ走りさる。
道端に落ちたソレを拾いながら運転手がブツブツとボヤいていた。
「まったく…最近はあの手合いばっかりだ…コッチが隙を見せるとすぐに乗り逃げしようとしやがって…
ロクでもないヤツラばっかりだ…クソッたれが…」
───あんな野郎、死んじまえばいいのに………
黙って立っている月に気づき、一瞬きまり悪げにヘラリとわらうと
「どうもすんませんでした」
申し訳程度に頭をさげて、運転手はそそくさと車を発進させた。
あっという間の出来事に、足を止めた人間はほとんど居なかった。皆、せいぜいがチラリと視線をよこすだけで、足早に通りすぎる。
あの運転手がもし殴られていたら、どうだったのだろう。
月が立ち尽くす場所から、ビルが掲げた電光掲示板がよく見えた。
ちょうどニュース速報で、いま若者たちに人気のアーティストが麻薬取締法違反で緊急逮捕された事が伝えられていた。
月の父親の総一郎は、一家六人惨殺をふくむ連続強盗殺人犯の確保にここ数週間、昼夜を問わず追われ。
街を歩けば悪意と悪意がぶつかりあって暴力を産み。
メディアが伝える世界はインモラルで溢れかえり、氾濫をおこしている。
いま。
キラが求め、理想としていた現実はどこにも、ない。
キラが消えてから。まだたった三年なのに。その三年のあいだに世界は怒涛に時計の針をもどし、より膿を孕んで崩壊への時間は
加速している。
月はふたたび歩きだした。
早く。はやくあの男に会いたかった。
坂道を下りきったところで、大きな交差点の隅に、ヒッソリとひとりの若者が立看板を支えているのが見えた。
『キラ様復活の刻を信じ待ちましょう。善良な人々はかならず救われます』
看板に記された言葉と、若者が無言で差しだしている小冊子。
誰ひとり受けとる者は居なかったが、三年前から、この手のキラに係る新興宗教は爆発的に増加している。
キラが消えてから。
まだたった三年なのだ。
うつりゆく世界はキラを忘れ、理想を忘れ。
それなのに人々は心の暗闇で、未だキラを求めている。
月の耳に死神の羽ばたきが聞こえる。比喩ではなく、リュークのソレだ。
現在も月に憑いている月に最初にデスノートを与えた死神。彼はキラの能力の、象徴。
『ライト』
「なに。リューク」
外では話しかけるなって、何百回も言ってるだろう馬鹿。さすがに飲み会の最中は大人しかったが。
『顔がヘンだぞ。また疲れてるのか?』
顔が変っていう言い方も止めろって散々言ってるのに。ホント馬鹿なペットだな。
『疲れてるなら早くLのところに行こう』
なんで竜崎なんだ馬鹿。だいたい死神のクセに心配なんかするな。ペットのクセに。リュークのくせに。
オマエは、ずっと傍観者として僕を見てきているから。
「………そうだね」
月はちいさく頷いた。
こんなとき。
リュークの翼に乗って、風を切りながら空を運んで貰えたらどんなに良いだろうかと、思った。
はやく竜崎に会いたい。
ただの無力な非力な一人の子供として生きてきた。見つめてきた。
それが罰なのだと、分かっていたからだ。
「お仕事お疲れ様でした」
指定されたホテルのスウィートで、竜崎は相変わらず甘い香りを漂わせて月を迎え入れた。
ただし、いつもの甘味の匂いとは少しちがう。
「………苺?」
『ちえーなんだL。リンゴじゃないのかよー』
「シャンパンに合うのは苺なんですよ死神。甘くて美味しいです」
モグモグモグモグ。
椅子のうえで体育座りのままヘンな生物みたいに租借している様子はとても「美味しい」ようには見えなくて、
要するにコイツは甘けりゃ何でも良いんだろうと、大きなフルーツ皿何枚もに山もり盛られて部屋中に置いてある
真っ赤な果実を横目に、月はドサリと投げだす様にソファに腰かけた。
上質のスプリングが、疲れた身体をフワリと支えてくれた。
「酔ってますか?」
「そんなに呑んでないよ。…すこし疲れただけだ」
気だるげに応える。竜崎はカクリと首を傾げた。
「色っぽいですね」
「………は?」
「スーツ姿。昼間お会いしたときも思いましたが、よく似合ってます」
「…ああそう。ありがとう」
「ネクタイは男の武器、スーツは男の戦闘服って、言いますよね」
「…どっかで聞いたCMのキャッチコピーじゃないかなソレ…よく知ってるね…」
「似合ってはいますけど、武器や戦闘服は私の前では必要ないでしょう?早くぜんぶ脱いでくださいソレ」
ポカン、と呆れたみたいに薄く唇をひらいて、それから月はクックックッ…と咽喉で笑いだした。
邪気のない笑みだった。
「すごい誘い方だな」
「シンプルにストレートなんです私」
「むしろオマエの前でこそ、僕は身を守るための武器やら戦闘服やらが必要な気がするよ」
「必要ありません。貴方はもう、キラじゃないんですから」
フ、と。
月が笑うのを止めた。
竜崎の腕が伸びてきて、すこし離れて座った月の身体に触れる。
先ほどまで摘んでいた苺のせいで赤く染まっている、男の荒れた指先が、愛おしむように頬を撫で、首筋をたどり、
スルリとシャツの襟首を弄った。
衣擦れの音をたてて意外なほど器用に、竜崎は月のネクタイを解いていく。
たぐまったソレを気にも留めず上着を脱がせ床に放りだすと、今度はプチプチとシャツのボタンを外しはじめる。
とくに止め立てせず、竜崎の、好き勝手やらせている赤い爪先をボンヤリ眺めながら。
「僕は…もうキラじゃないんだよな」
ポツンと呟いた。
男の指がピタリと静止した。
自然に言葉がこぼれた。
「三年前の丁度いまごろ」
「キラは、Lである私に負けて、消え去りました。ですから月くんはもうキラではありません」
「そのとき竜崎が言ったんだ。キラでなくても出来ることはあるって。自分達の力で、成しとげられる理想があると」
「言いました。けして簡単ではない。限りなく実現は難しい。
それでも私はぜったいに諦めないし、挫けたりはしない。
私と一緒にその努力をして欲しいと。月くんには、私と一緒に世界の表も裏も、たくさんの隠された真実を見て、聞いて、知って。
それからデスノートの力に頼らずとも私たち自身の力を合わせて」
「世界を、より良いものにしたい」
「どれほど困難な理想であっても。一生涯を賭けてでも」
交互に。
月と竜崎はまるでひとつの理念を語るように。美しい詩を口ずさむように。
永久の誓いをたてるように。
コクリと頷いた。
想いは三年前のあの日から確固たるものとして胸のなかにある。
キラの存在に代わり、いまの月を支える、こころの真中にそびえ立つ大きなおおきな柱。
ならば。
「竜崎。僕はキラじゃない。そしてもうキラに戻るつもりもない。
だったら、デスノートの所有権もキラの記憶も、もう放棄した方が良いのかもしれない」
『ライト?!』
ウホッ!と天井の片隅で、フヨフヨ漂いながらそれまで成り行きを傍観していた死神が驚愕の声をあげた。
その声は、月の耳に届いている。リュークの姿も見えている。
もし本当に月がデスノートの所有権放棄の意思を固めれば。
その瞬間に、目の前から死神は消えうせ、記憶は失われる。
だから月は口ではそう言っていても、本心では決断しかねている。未だノートも記憶も手放せはしないのだ。
そんな揺れる心情すらも、竜崎は把握していた。
「今晩なにかありましたか」
問われて小さく溜め息をついた。
警察庁長官の、男たちの横顔が陽炎のように脳裏をよぎった。
大した事だった訳じゃない。権力社会のなかに入り、組織に所属し、立場を利用して自ら社会的地位を築いていこうと考えれば、
今日程度のプレッシャーはこれからも日常茶飯事なのだろう。むしろ当たり前の事として受け止めるべきなのだろう。
理想を成し遂げるために力は必要不可欠で。それを今の月が自分自身で得るためには、組織のなかで伸し上がり権力を手に
入れることが絶対条件で。
けれど一方で。
口汚く罵るタクシー運転手。
無言で街の片隅に立ちすくんでいた若者。
キラを忘れ倦み腐れていく世界の中で、キラであることを世界から求められ続け、組織には常に圧力まで掛けられて、
総一郎や家族をも巻きこむ結果になれば。
これから先いつどこで迷いや間違いが生じないとも限らない。いや実際、心のどこかに月は迷っている部分がある。
だからこんなにも不安で、苦しい。
「竜崎…僕は、夜神 月は…どうしたらいいんだろうか」
「日本警察になにかキラの情報が洩れていましたか」
「そうじゃない。そこまでの事態じゃない。いずれは起こりうる危険かもしれないが、僕はそのくらい自分の力で御せる自信があるさ。
侮るつもりもないが、たかだか日本警察組織のトップなんて。いつだって掌握してみせる。
僕は、そうすることが必要だと思ったんだ。竜崎に頼るだけじゃなく、ただLの片腕になるだけじゃなく、
自分自身で、デスノートじゃない力を得て、理想の世界のために努力することが僕のいま出来る最大の懺悔だとおもったんだ。
それが僕の為すべき事だと、やらなくちゃならない事だと」
「月くん。おちついて」
「そのために僕にノートも記憶も残したんだろう竜崎。
罪を忘れないことで悔恨を抱き、贖罪の意識をもつことで二度と愚かな過ちを繰り返さないよう───」
怒涛のことばが途切れた。
両掌で頬を包まれ、唇に唇が重なった。
キスは優しく甘い。仄かな苺の香りがした。
濡れた舌と舌とを絡ませあい、ひとしきり水音を響かせながら堪能したあと。
そっと口付けをほどくと、竜崎は穏やかに、言った。
「月くんにノートの所有権や記憶を残したのは、貴方自身からそれを放棄するという明確な意思表示がないかぎりは
無理矢理とりあげるべきではないと、それをするのは月くんの為にならないと、あのとき判断したからです。
ですからもし今、貴方がデスノートの所有権を放棄するのであれば、私に止める理由は一切ありません。
むしろ喜ばしいことだと思っています」
淡々と、穏やかに紡がれるセリフに月は視線を彷徨わせ、貌を俯ける。
黒いノートの元持ち主である黒い死神は、つけっぱなしの賑やかなテレビのほうを向いていて、まるで無関心を装っている。
「名を記すだけで人の命を奪える。そんな、この世の理から外れる殺人兵器は、本当なら早く存在を無くしてしまった方がいい。
けれど貴方は本心ではそれを望んでいない」
「………だって…無かった事にするのか…法で裁かれないまま記憶まで失って…
なにもかも有耶無耶にぜんぶ放棄して…!そんなの…!!」
「私はそうは考えません。貴方は今までにもう充分に罪を償ってきている。そしてこれからも、償い続けます」
生きている限り。キラとして殺してきた人間分の屍を背負って。屍分の十字架を担いで。
重いおもい、路行を。
歩みつづける。
「シャンパンをあけませんか」
急に月から離れクルリと方向転換すると、竜崎はペタペタ素足で豪奢な部屋を横切り、ミニバーまで歩いていった。
きちんとセッティングされていたシャンパンクーラーの中から得意気にボトルを取りあげて、さらに細長いグラスを二本。
両腕に抱え飄々と戻ってきた。
「とっておきの一本なんです」
「あまり飲みたい気分じゃないんだ…祝いたい気分でもない」
「月くんのバースデイ祝いですよ?」
「ますます殺伐とした気分になるな…生まれてきたことを神に感謝しろって?」
皮肉に形良い唇を歪ませる月に、隈つきのまっくろな双眸が笑いかける。
「就職祝いでもあり、聖バレンタインでもあり、月くんの誕生日でもあり、私達が恋人同士として結ばれた記念日でもあります。
ちなみにプロポーズ記念日でも。まだ受けて頂いてはいませんけど」
「ああそう。………そういえば、そうだったね」
思わずといった具合に、苦笑した。
「サーベルは…流石に用意してありませんね…仕方ありません面倒なので手で開けます」
それまでの重い雰囲気などまるで無かったかの如くに、ブツブツ呟いたかと思うと、子供みたいな仕草でラベルを毟りとり留め金を外し、
よいしょよいしょと不恰好にコルクをひっぱる男の隣で、盛大に服を乱した半裸状態のままぼんやりソファに埋もれている自分。
なんだかなあ…と月はおもった。
三年前のあの日から、キラとLの関係で無くなった自分と竜崎の間には、どうにも緊張感が欠けていて。
どんなに真剣であったとしても。
泣き叫んでしまいそうな時にすら。
こんな具合に、空気はすぐに緩んで。下手すると間がヌケている気すら、する。
それが男の演出だったとしても。
まるで包み込まれるみたいに温かく、こんなに心地いい、なんて。
パンッ!
小気味良い音を立ててシャンパンの栓が抜けた。
「乾杯しましょう月くん」
促されるままに華奢なグラスを手に取る。注がれる淡い光を放つ、金色の発泡酒。
フワフワと立ち昇る泡が夢のように綺麗で、おなじ煌きを放つ月の瞳が眇められた。
「乾杯」
シャリリン…とグラスの縁を擦りあわせて、かるく掲げて。
飲み干したアルコールは芳醇な香りとともにちいさく咽喉を刺激し、噎せて、視界がユラユラ揺れた。
「大丈夫ですか?」
「…泣きそうだ」
「泣きたいときは泣けばいいんですよ。月くんは意地っ張りですから」
「そうかな…そうかもね。見透かされていればこそ、張りたい見栄も意地もあるさ」
「せめて私の前では泣いてくれませんか。でないと、私は存在している意味がない」
グラスを手に持ったまま、思わず驚いて目を見張り竜崎を見つめる。
竜崎も、月を凝視していた。
「月くん知ってますか。───Lも。デスノートのようなものなんですよ。
世界にとっては理から外れる存在。謎の、得体の知れない、けして陽の当たる表舞台には現れない、存在の証明が許されない存在。
私は月くんをそんな裏側の世界に、また、誘おうとしている。
警察官として精一杯がんばろうと人生を歩きはじめた貴方を、いつこちら側に引きこむかタイミングを計り、その日を待ち望んでいる。
ひどい人間です。でも私と一緒なら、貴方はけして独りにはならない。
月くんを二度とひとりにはしない。そして私も、独りではなくなる。
貴方が私の存在証明になる。
だから一緒に歩いて欲しいと願います。
我儘であっても、エゴでしかないかもしれなくても」
私は貴方と一緒に生きていきたい。
ともに世界の果てまで。
三年前にも告げられた。まるで本当のプロポーズのように。
「デスノートを持って、キラになった時もそうでした。キラを止めて、警察官になろうとしている今の月くんもそうです。
どうして何もかもを一人で背負おうとするんですか?なぜ周囲を、私を、頼ってくれようとはしないんですか。
三年前からそこだけは変わってくれませんね。本当に意地っ張りでプライドの高い子供だ」
「………頼ってるさ。頼りすぎなくらい、僕は竜崎に依存してる…」
「ぜひそうしてください。貴方が肩に担いでいるモノはひとりではとても重たすぎる。
路連れにするには、私はちょうど良い存在だと思いますよ」
この世でただひとり。キラを追い詰め、キラを殺した男に、月はどれだけ救われているか。
「路連れか…さすが上手いこというな」
「はい。名探偵ですから」
「はは」
キラも。夜神 月も。
すべてひっくるめて欲しいといってくれた男の存在にどれだけ頼ってきたか。
瞼を閉じた。
アルコールのせいではなく鼻腔の奥が熱くなって、睫がおもたく濡れる気がした。
男の気配が近づいて、ソファの軋む音とともに温もりが被さって、ペロリと目尻を舐められた。
いつだって竜崎に会いたくなった。
迷って、嘆いて、苦しい時はいつでも竜崎の深淵の瞳を思い出した。
世界の真実を射抜く探偵の瞳。
そして月も見てきたのだ。三年間のあいだ、両眼をひらき、毎日まいにち、ずっとずっとずっと。
ずっと。
この世界を見てきた。見つめ続けてきた。だから分かる。僕だけじゃ駄目だ。ダメなんだ。
自分だけの力ではこの世界はとても複雑すぎて。デスノートを持たないキラではない唯の無力な子供の自分では、理想の世界を
求めるにはあまりにも難しすぎて。
そう強く悟ったからこそ。
月の手からシャンパングラスが滑りおちて床に転がる。厚い絨毯のうえで幸い割れることなく、ころがった硝子は光を弾く。
縋るみたいに首と背中に腕をまわし抱き締め返した。
竜崎の、月を抱く力が強くなって、背が撓った。
押し出されるように身体の奥から突きあげる感情。三年前のあのときから温めていた決意を。
やっと、
告げた。
「僕はいずれLのもとに行きたい」
「───」
「今すぐじゃないけど…自分にやれる事をやり遂げたと思えたら………
その後はオマエと一緒に生きていきたい」
求められていた返事。
これが、承諾。
そのときは月は全てを捨てなければならない。名前も。家族も。友人も。夜神 月として持つもの全てを捨てて、存在を消して。
それこそを贖罪と呼ぶなら呼べばいい。
けれど月は自ら選ぶ。
互いが互いの存在証明になればいいのだ。そして生きている限りともに分かち合い。
今度こそふたりで、理想の世界を。
「………ありがとうございます」
竜崎の低い声がすこしだけ震えていた。それをこころから愛おしいと思った。
ゆっくりと体重を掛けられ、ソファに沈む。
気配を察したらしい、音もなく翼をひろげた黒いいきものは、窓の外のイルミネーションへと飛びたつ。
顔を見合わせた。
「よく躾けられたペットです」
「リュークは利口なんだ」
「あとでご褒美にリンゴをやりましょう」
肌理こまやかな首筋に痕をのこし、耳朶を嬲りながら竜崎が囁いて、月はクツクツとちいさく笑う。
さきほど器用にネクタイを解いた指先に胸の突起を捏ねられ、ヒュッと仰け反った。
次第に身体をずらしながら下へと降りていく、男のゴワゴワした黒髪をわしづかみ、浅い呼吸を繰りかえす。
「…っ…んっ…ふ」
ザラリと脇腹を舐められビクッと跳ねあがった。瞬間、衣服をすべて剥ぎ取られる。
月も両脚をひらき腰を浮かせて、ちゃんと協力した。
親しんだ体温。慣れた愛撫。
三年のあいだに、交わした熱。
いちばん最初はほとんど強姦だった気がする。抵抗はせずに、捻りこまれたソレが与える痛みも悦びも、淡々と受けいれた。
だが。生きることを諦め、漠然と死をのぞみ、目の前にひろがる未来から必死で視線を反らしつづけていた月を、
この世界に繋ぎとめたのは紛れもなく竜崎の楔。
ノートに触れることでキラを維持し、竜崎に触れられることで自分を維持してきた、月。
「う───!あ、あああ………っっ!」
杭を穿たれる。腰を高々と持ち上げられて、秘められた身体の中心に、奥深く。からだだけじゃない、もっともっともっと奥まで。
「ひっあっあっ…ああっ…あああ」
ガクガク揺れる視界。抑えきれない掠れた嬌声。抑える気にもなれないくらいに、いまは。
「うっ…んあっあっ…も…もっ…と…りゅう…っっ」
「きもちいいですか月くん」
「ん…んんんっ…はっ…きもちいい………気持ち良いよ…竜崎」
グリリッ!と弱いポイントを抉られて全身が撓った。
パサパサと色素の薄い髪が乱れ、掲げられた両脚が痙攣して。
やわらかく過敏になった内襞を擦り、抜いては貫かれる衝撃に爪先から頭のてっぺんまで火花がはしる。
「りゅっ…竜、崎っ…りゅうざきっ…」
「月くん月くん………月」
三年前にはけして認めることの出来なかった快感を伝えて。
名前を呼んで。
あいしてる。
きもちを。
伝えて。
「───………」
深々と最奥まで届いた竜崎の熱。
声もなく快感に震えながら、月も白濁を放つ。
覆いかぶさってくる男の背に腕をまわすと、苦しいほどに抱きすくめられて再び芯に欲望が点る。
繰り返しくりかえし。
吐息と濡れた体熱とまじわる眼差しと甘いあまい苺の香りだけが
その後の時間を満たした。
「まあ。実際オマエの所に行くのがいつになるかなんて、分からないんだけどね」
「準備は整えておきますよ。いい加減シビレを切らしたころに迎えに来ますから」
「強引だなあ…ところでさ…本当にどうしたら良いと思う?…デスノートの、キラの記憶を所有しておくべきなのか」
「貴方に放棄する意思がない以上、どちらでも構わないと思います。
でももし記憶を失うときは、月くんがそれを後ろめたいと言うのであれば、代わりにLとして全てのデータを、記録を残しておきます。
そうすれば何もかも無かったことには出来ません。罪を、責任を投げだすことも出来ません」
「ふ…怖いね。本当にLはキラの存在証明なんだな」
「お互い様ですから」
そんな会話を交わし、穏やかなぬくもりのなか素肌を重ねて、笑いあう相手がなにより大切で、愛しい。
睫が触れるくらい近づけた竜崎の顔をのぞきこんで、虹彩のない男の瞳に確かに自分が映っているのを確認し、
月はフワリと微笑んだ。
そのままもういちどキスを。
ふたりが。互いだけが。存在するたしかな証拠であり理由であり続ける。
2月の冬の夜。
もしいつか過去を手放すときが来ても、一年に一度は確かめあうだろう。生まれてきた意味を、これからも生きていくよろこびを。
ずっと一緒に。
永遠に。
ハッピーバレンタイン&ハッピーバースデイ月ちゃん。生まれてきてくれてありがとう。
生まれてきて良かったとこれからもずっと貴方が思えますように。